ある不思議な本屋のはなし

神山れい

不思議な本屋

『どこにその本屋があるかはわからない。ただ、気が付けばその本屋に入っている』


 都市伝説や噂が好きな友人から聞いたことがあった。この街には、どこにあるかわからない不思議な本屋の話が昔からあるそうだ。

 ふとした瞬間に本屋にいて、自分が望む物語を体験させてくれるらしい。白馬の王子様が迎えに来てくれる童話のような物語や超人気アイドルになる物語など、物語の内容は様々だ。友人はまだ入ったことはないようだが、早く自分も不思議な本屋に入ってみたいと興奮気味に話してくれたのは記憶に新しい。

 わたしはただ「へぇ」くらいにしか思っていなかった。だって、現実的に考えてありえない。それなのに、何故。


「……どうして、わたしが?」


 今、わたしは薄暗い建物の中にいる。周りは本棚に囲まれてはいるものの、本はそこに一冊も並んでいない。きっと、ここが友人が言っていた、どこにあるかわからない不思議な本屋だ。

 一体、何が起きたのだろう。わたしは家に帰ろうと駅に向かって歩いていただけだ。いつもと同じ時間、いつもと同じ道。特に変わったことはしていない。


「だ、誰か、いるんですか」


 わたしの震えている声が響き渡る。誰もいないのだろうか、と思ったときだった。どこからともなく声が聞こえてきた。


「あぁ、悲しいねぇ。悲しいねぇ」


 年配の女性の声だった。辺りを見渡しても何も並んでいない本棚ばかりで、姿は見えない。


「おばあちゃんに、会いたいんだねぇ」

「え……」


 その瞬間、かたり、と小さな音が後ろの本棚から聞こえた。振り向くと、今まで何もなかったはずの本棚に一冊の本が置かれている。表紙にも背表紙にも何も書かれていない、真っ白な本だ。

 わたしはおそるおそる本棚に近付き、その白い本を手に取る。すると、また年配の女性の声が聞こえてきた。


「これは、あなたが望む物語。おばあちゃんに、会っておいで」


 震える手で表紙をめくると、目映い光が辺り一面に広がった。その眩しさに目を瞑ると、すぐ近くから声が聞こえてくる。先程から聞こえていた年配の女性の声ではなかった。

 それは、聞き覚えのある声でもう二度と聞けないと思っていた声。ゆっくりと目を開けると、そこには──。


「おばあ、ちゃん」


 わたしの目の前に、笑顔を浮かべたおばあちゃんが立っていた。


「元気に学校へ行ってる? ご飯はしっかり食べてる?」


 いつもの、おばあちゃんだ。

 そう思うと、涙が溢れ、止まらなかった。制服の袖で何度拭っても涙は零れ落ちる。そんなわたしの姿を見て、おばあちゃんは頭を撫でてくれた。


「ごめんね、また遊びに行くって言ってくれてたのにね」


 そう、わたしはおばあちゃんと電話で約束をしていた。


『また遊びに行くからね』

『はいはい』


 これが、わたしとおばあちゃんの最後の会話だった。

 電話で話した次の日の朝、おばあちゃんは自宅で倒れた。誰が呼びかけても反応はなく、おじいちゃんが呼んだ救急車で運ばれ、病院で亡くなった。

 数日前の出来事だ。


「おばあちゃん、おばあちゃん!」


 わたしは泣きながらおばあちゃんに抱きついた。おばあちゃんが亡くなって、たった数日。それでも、おばあちゃんの匂いやぬくもりがとても懐かしく感じられた。


「遊びに行くって、言ったのに! 小さい頃、わたしの結婚式を見るまで死ねないって、言ってたのに!」

「ごめんね」

「なんで、なんで死んじゃったの! やだ、やだよ! 会いたいよ!」

「会うのはだいぶ先になるわねぇ」


 その言葉に、わたしはおばあちゃんから少し身体を離した。


「友達とたくさん遊んで、好きな人と結婚して、幸せな家庭を築いて、おばあちゃんよりもうんと長生きして、それから遊びにきてちょうだい」


 ほら、だいぶ先でしょ、と笑うおばあちゃんに、わたしも涙を流しながら笑った。


「今度は、待ってるから。約束だからね」


 頷いた瞬間、また目映い光が辺り一面に広がる。目を瞑りたくない。そう思っても、眩しくて目を開けていられない。


「おばあちゃん!」


 光が落ち着いた頃に急いで目を開けると、いつもの道に戻っていた。手に持っていた本もいつの間にかなくなっている。

 夢、だったのだろうか。夢にしては、頭や背中をを撫でてくれた感触がしっかりと残っている。そっと目元に触れると、涙で濡れていた。


「……うんと長生きするから。だから、また会おうね」


 胸の中にあった悲しい気持ちはまだあるけれど、少しだけ軽くなったような気がした。

 不思議な本屋。おばあちゃんに会わせてくれて、ありがとう。そう思いながら、わたしは家へ帰るために駅へと向かった。

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