後編



 健太は冒険の合間を縫うようにして、暇を見つけては貪欲にナルニア国物語を読み進めていきました。


 二巻『カスピアン王子の角笛』

 正当なる後継者を王位へ据える為の継承戦争。


 三巻『朝びらき丸、東の海へ』

 創造主アスランのルーツを求めて不思議な島々を巡る航海記。


 冒険の舞台や時代、目的、敵対する存在が毎回異なっており、どれもこれもワクワクして子ども心をくすぐる素敵な冒険譚でした。


 当然、レンタル本の返却時にもっと続きを貸してくれるよう要求したのですけれど、返ってきた店主の答えは驚くべきものでした。



「正直、貴方にお勧めできるのは三巻まででして。ここから物語は段々と暗く悲観的になり、ナルニア国の終焉へと話が進んでいくんです。ムードメーカーであるネズミの騎士リーピチープが退場してしまうのも痛い」

「ええ? そうなのかい?」


「少し作者の話をしましょうか。C・S・ルイスは、イギリス人で敬虔けいけんなキリスト教徒なんです。彼は『指輪物語』の著者であるトールキンとはお友達同士。二人はオックスフォード大学で教鞭きょうべんをとっていました。つまり職場の同僚だったのです」

「トールキンなら知っている。近代ファンタジーの開祖と言われている御方だ」

「ええ、その通り。ところが、この『ナルニア国物語』のせいで良好だった二人の友情が完全に破綻してしまったそうなんです」

「どうして?」

「トールキンは純粋にファンタジーを愛していたからです。キリスト教を賛美する為に書かれたような小説を認める気にはなれなかったのでしょう」

「何だか問題点が判りかけてきたぞ……」

「続きを読みたいというのならお貸ししましょう。ですが、どうか私の言った事をお忘れなく」

「でも、世界的に有名な児童文学でファンタジーなんでしょう? まさかバッドエンドなわけが……」



 続きが気になって仕方がなかったので、健太はやはり最後まで読み進める事を決意しました。そこで どのような衝撃が待っているのかも知らずに。










 店主がナルニアの最終巻を引き取りに来た時、健太ときたら街の酒場で飲んだくれていました。貸本の屋台を酒場の表に停め、丸テーブルを挟んだ彼の向かいの席へ貸本屋は腰を下ろすのでした。



「珍しいですね。ダンジョン以外の場所で貴方と会うだなんて」

「……ああ、もう渡航チケットを買うだけの金は貯まったからね。これ以上は財宝を求めて冒険なんかしなくても良いんだよ」

「それはそれは、おめでとうございます。しかし、それにしては浮かない表情をしていますね。それに、何より……貴方一人なのですか? コリンナさんはいずこへ?」

「俺はねぇ、フラれてしまったよ、本屋さん」

「ほう」

「俺と一緒に日本へ来てくれ。そこで結婚しよう。こう、勢い任せに告白したんだけどさ。彼女ときたら何て言ったと思う?」

「さて、私には判りかねます」

「私は冒険をしている健太が好きなの。私が作る歌の主人公であって欲しいの。その願いが叶わないというのなら、貴方と一緒に居る必要なんてないってさ」

「詩人らしい意見ですね」

「帰るなって言うんだ。この俺に! これまで何の為に頑張ってきたのか知っているくせに! そんなのって……あんまりだよ」

「それで喧嘩別れですか」



 二人の席は静寂に包まれました。

 あたりの喧噪と比べてそこだけすっぽり音が抜け落ちてしまったかのようでした。

 やがて健太は苦虫を嚙み潰したような顔で、借りていた本を出しました。



「あんまりと言えば、この本も大概たいがいだったな」

「お気に召さない結末でしたか、やはり」

「当たり前だろ! これじゃ、まるっきりキリスト教の『最後の審判』じゃないか。ナルニアの神アスランを信じる者だけが救われて。そうでない異教徒は滅びろって! しかも主人公側がそんな蛮行を働くなんて! まるでゲームのラスボスだぜ」

「君たちはもう元の世界に帰らなくても良い。アスランが作った楽園で永遠に暮らしなさい。そう言われても、怒る所かむしろ喜んでいますからね、主人公たちは」

「元の世界に家族や友人は居ないのか? 信じられないよ、どうしてこうなった?」



 健太の怒りが静まるまで待ってから、貸本屋は厳かに口を開きました。



「前にも述べた通り、ルイスは敬虔けいけんなキリスト教徒で……しかも二度の世界大戦を直に経験していますから」

「第一次と第二次世界大戦の両方を? つまり……その、このナルニアは戦時中に書かれた作品だってことかい?」

「その通り。その時代背景こそが、作品を理解する上で必要不可欠な最後の一ピースなんです」

「そう言えば、物語が始まったのは田舎の疎開そかい先だった。まさか、まさか、この主人公って戦争孤児だったりするのかな?」

「さてどうでしょうね? 地球に帰ったとしても、肝心の祖国が戦時中だったとしたら? そう考えてしまえば、シリーズ後半の重く悲観的な空気を理解できるような気がしませんか? ネズミのリーピチープが居ないせいでもありますけど」

「どんだけネズミ推しなの? 現実が戻る価値もない程に過酷だったのなら、いっそファンタジーの楽園に留まった方がマシだと。そういう結末か、なんてこった」

「そして、その結論はそのまま貴方にも当てはまるんですよ、お客様」

「なに?」

「貴方はご存知ないでしょうが、健太さんがこっちで生活している間に地球では大国同士の戦争が勃発ぼっぱつしまして。世界情勢は極めて不安定となっています」



 それは聞きたくもない残酷な真実でした。健太はポカンと口を開けて、言われたことを必死に飲み込もうとしている様子でした。

 やがて脱力した風に健太はテーブルへ突っ伏し、ポツリと呟きました。



「ははは、ナルニアは他人事じゃなかったか。道理で感情移入できるはずだ」

「投げやりになるのはまだ早いですよ。本は教訓を与えてくれます。たとえそれが万人を納得させるようなハッピーエンドではなかったとしても」

「俺も、この世界に留まれと? 家族はどうなるんだ?」

「勝手な言い草ながら、ヒナはいつか巣立つものですよ、健太さん。そして、人生の伴侶と出会える機会なんて、きっとそう多くは与えられないでしょうね。貴方はそのチャンスをフイにしようとしています」

「クソ、なんてこった……なんてこったよぉ」



 健太は酔い冷ましに両手で自らの頬を何度も叩くと、席から立ち上がりました。



「ありがとう、本屋さん。俺はとんでもない過ちを犯す所だった」

「お礼はルイスに言って下さい。私は彼の本を紹介しただけですよ」



 貸本屋は独りワイングラスを掲げて、男の門出に祝杯をあげるのでした。












 それっきり、健太とコリンナの二人組がダンジョン最奥部の貸本屋を訪れることは二度とありませんでした。

 店主は一人カラフルな屋台を引きながら今日もどこかのダンジョン最奥部をさ迷っているのでしょう。時折あの二人を思い出しては、その行く末がどうなったのかを想像してみたりするのです。それを語る相手が飛び交うコウモリだけだとしても。


 結婚式をあげるのなら招待状ぐらい送ってくれたら良いのに。

 呑気にそんな事を考えてみたりするのでした。


 実際の所、二人がどうなったのかは誰も知りません。

 どこかのダンジョンで命を落としたのか?

 はたまた子どもでも儲けて、生き方を変えたのか?

 それは ただ、物語の主役である本人たち のみぞ知ること。


 本に記載もない多くの物語は、えてしてそういう結びなのですから。




 ダンジョンの最深部まで到達する冒険者はみな腕が立ち、何度も死線を潜り抜けてきた猛者ばかり。それ故に、戦いに明け暮れた心は擦り減ってどこかでうるおいを求めているのでした。彼らが道を踏み外さないよう、読書を勧めるのが貸本屋。


 もしかすると世界の均衡きんこうを保っているのは貸本屋の気遣いなのかもしれません。読書の力は絶大なのです。




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ダンジョン最奥部の貸本屋さん 一矢射的 @taitan2345

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