ダンジョン最奥部の貸本屋さん

一矢射的

前編



「ほら! あそこだよ、あそこ」

「うげっ、本当にやってるなんて。まさか、こんな所で」

「すごいでしょー。健太も気に入ると思うよ。地球の本もあるそうだから」



 騒がしい物音を鼓膜で受け止め、店主は閉じた目蓋まぶたを静かに開きました。

 どうやら お客様ご来店の様子。


 なにやら折角のお店が珍獣のごとき言われよう ――ですが、それも仕方のないことでした。なんせここは古代遺跡の地下十七階層。

 霞ただようダンジョンの最奥部なのですから……そんな所で『貸本屋』を営む変わり者が、どのように好奇の目を向けられようとも反論なんて出来ようはずがありませんでした。


 周囲は吹き抜けになっており、高所にある壁の割れ目から地下水脈が流れ込んで、ちょっとした滝になっていました。そこはフロアが半ば傾いて地下湖に沈みかけた儀式の間。かつて邪教徒が生贄を捧げたその場所も、今や迷宮をさ迷う冒険者たちの水飲み場でしかありませんでした。

 そして、そんな補水ポイントのかたわらに沢山の本を積んだカラフルな屋台が停められ、その傍では風変わりな店主が倒れた大理石の柱に腰かけ 居眠りしているのですから、珍しがられるのも至極当然なのでした。


 店主が視線を向ければ、やって来たのは二人連れです。


 まず一人目は、この異世界『アルデント・エクスプローラー』では珍しい黒髪の男性。髪をウルフカットに整えており、腰からは長剣を下げています。連れはショートボブの金髪女性でショルダーベルトつきの弦楽器を背負っています。見た所、二人とも冒険者で一攫千金いっかくせんきんを狙った宝探しトレジャーハンティングの為にこの遺跡を訪れたといった感じでしょうか。いで立ちと装備から剣士と吟遊詩人のようです。


 やがて店主と目が合ってしまった黒髪の剣士が、気まずそうに口を開きました。



「えーと、アンタ、こんな所で何をやっているんだ?」

「見ての通り、貸本屋です。本という『小さな世界』を誰かにレンタルしては、お代を頂戴する商売でして」

「客なんか来るのかい? こんなダンジョンに」

「現に貴方は来て下さった。殺伐とした冒険生活のお供に、為になる教訓や、心の栄養はいかがです? 人は『パンのみで生きるにあらず』と言うでしょう? 私には感じますよ。貴方の……心の飢えを」

「まぁ、読書は嫌いじゃないけどね。オレが昔すんでいた日本と違って、こっちの世界だと本は随分と貴重品だもの。庶民にはなかなか手が届かない値段とくる。成程、だから貸本屋か」



 そこへ、羽根つき帽子を被った吟遊詩人が口を挟んできました。



「ねぇ、聞いてよ本屋さん。なんと! 健太は異世界転移者なの! チョー珍しいでしょ?」

「止せよ、コリンナ。特別な才能チートなんて何もない。俺は元の世界に帰りたいだけの放浪剣士さ。その為には『次元渡航のプラチナ・パスポート・チケット』を買う金がいる。手っ取り早く稼ぐには、こうしてダンジョンに潜るのが一番って事情でね」

「また、それを言う。健太が日本に帰ったらコリンナは独りぼっちなんだからね!」

「いや、実家へ帰れよ。コリンナのオヤジが貿易商なんだから苦労なんて皆無だろ」

「だーかーらー、帰ったら政略結婚なんだってば」


「ふむ、仲がよろしいようで大変結構ですね」



 健太とコリンナ。

 そう呼び合う二人を眺めながら、店主はうなずくのでした。


 地球の人間が次元の壁を越えて異世界へとやって来るのは稀にですが起き得ること。殆どが事故で偶然とばされた被害者であり、何か特別な使命を帯びているわけではありません。だからこそ、地球に帰ろうとしたり、こちらに永住を決心したり、どちらの道を選ぶのかは人それぞれなのです。


 されど、店主にとっては誰であろうとお客様。

 怪物だろうと、現地人だろうと、異世界転移者であろうと。

 本を欲するならば例外はありません。


 謎の店主は屋台のガラス戸を開き商品棚を物色し始めました。



「健太さんは日本の方ですか。好きなジャンルは何でしょう? やはりファンタジーとか」

「ははは、嫌いだったら冒険者になんか成れないよ。でもまだ借りるとは……」

「ファンタジーですね、結構。丁度素敵な本を入荷したんですよ」



 有無を言わせぬ口調。健太は思わず押し黙ってしまいました。

 コイツは本当に人間なのでしょうか、見た目からして妙な店主でした。


 着衣は金糸雀カナリア色の上着にタンポポ色のズボン。

 身にまとったフード付きマントまで琥珀色で、全身を黄色系統でまとめていました。そのくせ口元から鼻のあたりを黒い布きれで覆っているため、性別すらよくわからないのでした。女性のようにも、少年のようにも思えました。


 謎多き店主。善悪すら定かでないその存在は、一冊の本を健太に差し出しました。



「これなんてどうです? 『ナルニア国物語』きっと貴方のお眼鏡にかないますよ」

「どんな話です?」

「貴方のように異世界転移した少年少女が、ナルニア国での冒険で立派に成長して元の世界へと帰っていく話です。そこは喋る動物と人間が共存し、古い魔法が未だ残っている国なのです。なんたって世界の創造主がライオンの神様ですから」

「へぇ、そりゃ良い! 読んだら励みになるかもな。読書なんて久しぶりだから、心底ワクワクする。レンタル料は幾らだ?」

「一週間で金貨一枚。前払いでお願い致します」

「うーん、まあ、買うよりは安いか。それで延滞料金とかは?」

「ありません」

「へ?」

「期限がきたら私が直々に『本を引き取りに』行きますから。どうやっても延滞など発生しようがないのです」



 健太は冗談でも言われたのかと思って笑いとばしました。



「ははっ、そりゃ便利だね。しかし、こっちは明日をも知れぬ危険な冒険者稼業。もしかすると一週間後には死んでいるかもしれんぜ」

「その場合は死体から回収させてもらいますよ。気の毒なんで本の修理代が発生してもロハにしておきましょうか」

「話せるね、本屋さん! じゃあ借りていくぜ」




 健太の背中を見送りながら店主が手を振っていると、詩人のコリンナが眉をひそめて貸本屋に耳打ちしてきたではありませんか。



「何かの励ましになればと思って紹介したけど。もっと『こちらの世界で』冒険がしたくなるような本を紹介して欲しかったわ、ホント」



 オヤオヤ、難しい物ですね。

 せっかく久しぶりに満足のいく仕事が出来たと思っていたのに。


 店主は頭を掻きながら平謝りをするのでした。













 そして、約束の一週間が過ぎました。

 健太がもう約束を忘れかけていた時分、彼はピラミッドの最深部で罠にはまっていました。


 石像が掲げた宝石に目がくらみ、無防備に近づいたのが運の尽き。

 突然、床が崩落して狭い穴倉へと真っ逆さま。

 コリンナと健太は二人で仲良く穴の底に閉じ込められてしまったのです。



「くっそー、なんてこった! 陰険な罠を作りやがって」

「穴の底に槍が仕掛けられてなかっただけ感謝しましょう」

「ううう、すまないコリンナ。俺がマヌケなばっかりに」

「あーあ、誰かが近くを通りかかってくれないかしら」

「まさかそんな偶然……え?」



 まるで二人の会話が聞こえたかのように、穴の上からロープが下がってきました。

 驚きながらも健太が登っていけば、ロープの先は見覚えのある屋台へと結わえられているのでした。


 横ピースでポーズを決めながら、お茶目な店主が上で待ち構えていました。



「やぁ、危ない所でしたねぇ。レンタルの期限が今日で、本当に幸運でした」

「あ、ああ、助かったよ。ありがとう」



 ピラミッドの所在地は、本を借りた邪教徒の古代遺跡とはまったく別の大陸。

遥かに離れた砂漠の果てです。

 まさか ここまで追ってくるだなんて、普通なら考えられません。


 その執念には場数を踏んだ冒険者である健太も肝を冷やすのでした。



「す、凄いんだな、君は」

「いいえ、商売ですから。大した事ではありませんよ。それよりナルニアはどうでした? まさか本を失くしたりはしていませんよね?」

「いやいや、読書家たるもの、そんなミスはしないさ」



 この状況で本の感想訊くかね? そう思いながらも背負い袋から借りていた本を取り出し、速やかに返却するのでした。



「なかなか面白かったよ。昔の本なんで色あせて感じるかと思ったけれど。名作は時代を超えて名作なんだな。特に自分が異世界転移の真っ最中だと感情移入の度合いも違うな」

「楽しんで頂けたようで何よりです」

「主人公たち兄弟姉妹の四人で転移したんだな。魔女のお菓子につられて裏切る次男のエドマンドが酷い奴だと思っていたんだけれど。こうして宝石に釣られたマヌケになると、彼の気持ちも どことなく分かるよ。魔が差すってことはあるもんだ」


「実はコレ、シリーズ物でしてね。今回お客様が借りた『ライオンと魔女』はシリーズ一冊目。宿敵『白い魔女』との決着はつきましたが、ナルニアの歴史には まだまだ続きがあるんですよ?」

「それ、本当?」

「ええ、裏切り者のエドマンドも後に成長して、主人公になるんです」

「へぇ! 毎回、召喚される主人公が変わるの? 是非それも読んでみたいなぁ」

「承知いたしました。では、今回は二巻と三巻をレンタル致しましょう」

「うん? まだその先があるんじゃないの?」

「それは……また別の機会ということで……」



 なぜか店主は歯切れの悪い声色で応じるのでした。

 そして、それを眺めるコリンナの目も随分と冷ややかなものでした。


 彼女は気付いてしまったのです。健太が本を読んでいる間は、たとえ自分の歌でも彼を振り向かせることなんて出来ないのだと。



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