十五少年古本譚

micco

ワタリドリとムシ干し

 年に一度の虫干しだ。手伝え。

 おじいが僕の部屋を覗きにくるなんて珍しいと思ってたら、突然そんなことを言い出した。

「え、今から? 外で?」

「んだ。ジャンパー着てこい」

 僕はポカンとして、手に持っていた『十五少年漂流記』を閉じてしまった。ちょっとと声を上げたときには、おじいは階段を降りてしまっていて、僕は仕方なしに立ち上がった。

 僕の家は、一階の表が古本屋になっている。もう百年も続いてるらしいけど、父さんはおじいの代で終わりだな、ってこっそり僕に言う。特に儲かってもないのに、どうして店を開けてるんだろうって思うことはあったから、僕も父さんの考えに賛成だった。

「これで庭に運べ」

「へぇ、こんなのあったんだ」

 斜めにして引っ張るキャリーが二台。おじいは丁寧だけど慣れた手つきで、店の本をキャリーの箱の中にどんどん入れる。「ほれ、フミト」気がつけば一台はすっかりいっぱいで、おじいは二台目に取り掛かっていた。

 僕は慌ててキャリーに手を掛けた。


 店の東の棚の間には、庭に続く戸がある。そこが開け放たれていて、なるほどと思う。なんでここに戸があるのかと、物心ついてからずっと不思議に思っていた。

 僕は、キャリーの意外な重さにバランスをとりながら外へ出た。本の虫干しって、天気のいい日にするよな、まだ春先で寒いのに大丈夫なのかな。

「わ、何これ」

 すると、庭の地面に緑の大きな布が敷かれていた。いや、若草色? とにかく芝生の色で、まるでここだけ一気に春になったような錯覚に陥った。

「そこに一冊ずつ置いてくんだ」

 おじいが後ろから追いついてきた。僕をさっさと抜かしてサンダルを脱ぐと、布の上に本を置き始めた。

「おれがここに置いていくから、フミトはあっちの隅から順に並べてけ」

「え、並べてく? 虫干しって、なんかこう開いて立てるんじゃないの?」

 僕は近くの本を手に取って、ばらっとページを開いて見せた。

「……うちはこうだ。いいから、やっとけ」

 おじいはぶっきらぼうに言うと、キャリーを二つ引っ張って、また店に戻ってしまった。正直ムッとした僕だったが、口をひん曲げただけで文句を我慢した。五、六冊を抱えて布を横断する。うちの庭は植木もなくてだだっ広い。小石を踏んだら痛そう、と少しだけおっかなびっくり歩く。隅まで来たら、結構な距離だった。

「小遣い、たくさんくれなかったら暴れてやるかんね」

 おじいは手伝いのあと、必ずお小遣いをくれる。そうでなきゃ、と鼻息を荒くしつつ、僕は言われた通りひとつひとつ本を並べていった。


「よし、お疲れさん」

「おじい、これ……また元に戻すの?」

「んだ。当たり前だ」

 僕たちの目の前には、緑の布一面に置かれた本があった。もし、ドローンとかで上から撮影したら、モザイクアートみたいになってるのかもしれない。それくらい膨大な量の本だった。うちの店にはこんなに本があったのかって驚いた。

 最初は縦と横の数を揃えれば冊数が分かるな、なんて思ってたけど、だんだん本のサイズはばらばらになっていったし、おじいの運んで来る速さに余計なことを考える暇もなくなった。

 とにかくすごい量だ。

 僕は庭のほんの端に座り込んだ。すごく疲れて、今日が土曜でよかったと思った。そうでなきゃ、学校に行くのが面倒になるレベルの疲労感。なんか本がやけに重く感じたのは気のせいかな。


「そろそろだ……」

 おじいが空を見ていた。春先の薄い水色がなんだか頼りない。つい、僕もつられて仰ぎ見た。

「あ、白鳥?」

 鳥の群がこっちに向かって飛んでいた。凸の形に隊列を組んで、羽ばたいて――え、なんかマジでこっちに来てない?

 鳥の群がどんどん近づいてくる。僕は無意識におじい、と呼んでいた。

「あれは、ワタリドリだ」

「え、いやまぁ、そうだけど、なんか」

「世界中をワタって、本のムシを食べるトリだ。……お前はそのままそこで見てろ」

 おじいがユニクロのトレーナーの中から、何か取りだした。

「その笛って」

 おばあがいつも持ってたやつ。そう思ったとき、おじいがそれを吹いた。

 ピュ――――ィ。ピュィ!

「わぁ!」僕は耳を塞いで、そしてすぐに頭を抱える羽目になった。バサバサッ! と羽音を響かせ、トリたちが本に群がった。それはまるで田んぼに降り立った雀の大群、いや雁の群かって迫力だ。

 しかも、ワタリドリは同じ種類のトリの集りじゃなかった。

 確かに白鳥らしいのもいた。でもそのほとんどは透けていたり、なんか光ってたりして鳥の形をしていない。クラゲみたいなのも、妖精みたいなのもいる。洋風百鬼夜行、そんな言葉が頭に浮かんだ。

「何、あれ……トリ? 虫? 食ってるの?」

「んだ」

 トリたちが本に触れるとページが自然に開く。すると、本から滲んだインクみたいな塊が出てくる。それをトリたちは摘まんだり掬ったりして手当たり次第に食べているのだ。唖然、僕は何だかゾッとして、おじいに少しくっついた。

 ピュィ、ピュ――――。

 おじいがまた笛を吹いた。すると、トリたちの中から一際大きいやつが僕たちの側にふわりと飛んできた。アメーバっぽかった形状が、飛んでくる間に人型になる。い、イケメンだ。

『助かったぞ、ムシ飼いよ。これでみな、海をワタれる』

「しゃ、しゃべった……!」

「フミト、静かにしてろ」

『おや、小さなムシ飼いか。会えてうれしいぞ。近頃はこうやって干すニンゲンも減ったからな』

 ぽんと頭に手が乗った、気がした。触れられた感じや重さがなくて、僕はただ目を瞬いた。

「あんたらが見えても、こいつが干すかどうかは分からん。……それより、どうだ南の方は」

『干すニンゲンは減ったが、ムシはたらふく食べられた。丸々と肥えたのばっかりだ』

 おじいは微笑むトリに肯き返すと、そのままむっつりと黙り込んだ。僕はどうしていいか分からず、イケメントリが戻ってムシを食うのをただ見ていた。


「ムシのいない本は悪さしない」

「いや待っておじい、本が悪いことなんてするわけ……」

「する。おれは見たことある」

 マジで? トリたちのいなくなった庭はがらんと広くて、おじいと僕は言葉少なに本を店に運び込んだ。あんなに重かった本が、嘘みたいに一冊一冊軽くて、作業はすぐに終わってしまった。

 今は、茶の間でおじいの入れたお茶を飲んでいる。二人でゆっくり話すなんて、初めてかもしれないと思いながら。

「ムシが肥えて、本にいられなくなると、今度は人に棲むようになるらしい」

「なにそれ、こわっ」

 僕はムシのべったりとした様子を思い出して身震いした。あれが人の中に?

「……古本屋は元々おばあがしていたから、おれは詳しくは知らん。だが、おばあは、ムシの退治もできた」

「おばあって、人……」

「ばかもん! 小遣いやらんぞ」

 ごめんて、と僕はすぐに頭を下げた。

「トリはムシを食って、人を守ってる。おばあが、よくそう言っていた」

 おばあは小柄で朗らかで、生きてる頃はいつも店先を箒で掃いていた気がする。僕が小一のとき、ぽっくりいったって父さんが言っていた。そんなことを考えていたら、おじいが呟いた。

「もし、おれが死んだら、本は全部売るか捨てるかしてくれ」

「え?」

「いや、なんでもない。……今流行りのなんちゃらノートにでも書いておく」


 おじいからピン札の一万円をもらって、僕は階段を上っていた。

 そうだ『十五少年漂流記』を読んでたんだ、と夕方の空気にため息を吐いた。まぁ疲れたけど、面白かった気がする。誰に話しても信じてもらえないだろうけど。

 どれ、確か八六ページだったはず。部屋のドアを開けた僕は、一万円をひらり落とした。

「と、トリ!?」

 今まさに読もうと思っていた本の側、僕の座布団の上にトリがいた。アメーバ状のぐにゃぐにゃが、黒いインクをもぐついている。ぎゃあぁぁと叫んだ。

「おじい! おじい、来て! トリが……」

 血相を変えて茶の間に戻った僕に、おじいはケロッとして言った。

「トリは来年にならないと、合流しない」

「え、じゃあどうす」


 ――こうして、僕とトリのムシ退治が始まったのだった。


(続かない)

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