ラッキーセブン
斑鳩陽菜
ラッキーセブン
校内に、四時間目の終了を報せるチャイムが鳴る。
(やっとおわった……)
眠気と戦っていた俺は、机に突っ伏した。しかし、どうしてこうも古典の授業は眠くなるのか。しかも古典教師は『和尚』ときている。
あ、和尚といっても寺の坊主じゃないぜ? 教科書を読むそいつの声が、まるでお経のように聞こえるため、一部の生徒につけられたあだ名だ。
真面目に授業に取り組んでいる奴はいいだろうが、俺みたいな奴には、まさに「眠れ~眠れ~」と聞こえるんだな、これが。
「ちょっと星野」
「あ……?」
顔を上げれば、腰に手を当てて睨んでいる女子が立っていた。ふわふわの茶髪をポニーテールにしている。顔は可愛いかも知れないが、性格はきつい。なにしろ彼女とは幼稚園の頃からの縁だ。幼稚園だけならいいが、小学校、中学と何故か同じクラスとなる。
しかもだ。こいつは、ゲンコツで俺の頭を叩くんだぞ?
そういえば幼稚園の時、こいつはいじめっ子相手に大立ち回りしていたっけ。
「あんたのまぬけ面を見るの、いい加減卒業したいんだけど」
「どこがまぬけ面だよ! 高崎」
高崎の目が半眼になった。
「よだれ」
俺は咄嗟に口元を拭った。高崎曰く、俺が起きていたのは最初だけだったらしい。あとは船を漕ぎ続け、一度だけ「ゴツン」という音をさせていたらしい。どおりで、左側の頭が妙に痛い筈だ。俺の席は、窓際とあって日がよく当たる。これで寝るなというのが無理。そう思わないか?
購買部で焼きそばパンを買った俺は、それを囓りながらスマホを操作した。
「おっ。今日はラッキーセブンの発売日じゃねぇか」
ラッキーセブンとは、俺が幼稚園からのヒーロー漫画だ。近年急に大人にも受け出し、本屋に新刊が出てもすぐに売れ切れてしまう。
俺はこの『ラッキーセブン』を第一巻から集めていた。以前は発売日に本屋に走らなくても在庫があるため買えたが、今は少しばかり厳しくなっている。人気が出たというのもあるが、今や本といえば電子書籍が主流なのか、本屋が何軒か閉店していたことだ。
おれが『ラッキーセブン』を買っていた学校近くの本屋も閉店してしまった。さらにだ、『ラッキーセブン』は電子書籍にはなっていない。
つまり読むためには本屋に行き、買わないといけないということだ。
そうとなれば善は急げだ。俺はLINE画面を開いて、友人に本屋を聞いてみた。
「げっ。隣町……!」
返信の内容に、俺は残りの五時間目と六時間目が呪わしくなった。
どう考えても、学校が終わるまでには売れ切れ大だ。自転車を必死に漕いで行ったとしても、可能性は低い。
こうなると、『ラッキーセブン』という名前までむかついてきた。
いや、早退という手もあるか。いやいやだめだ。五時間目は『ゴリラ』による物理だ。その名の通り怒ると怖く、さぼりなどすぐ見抜く。
燃え尽きた――というのはこんなことだろうか。
終業チャイムは、いつもならやっと家に帰るという解放感があるが、この日の俺は脱力感だ。たかが漫画、されど漫画なのだ。
すると高崎と目が合った。いつもように眉を寄せ、ぷいっと横を向く。
彼女の目には、俺の顔はまた間抜け面に見えたのだろう。そりゃあ、間抜け面になるって。友人に近くのファミレスに寄らないかと誘われたが、もはやそんな気力もない。
ラッキーセブンよ、あんたヒーローだろ? ここは出てきて助けてくれないだろうか?
帰り道――、自転車を押していた俺は立ち止まった。
「あれ? 何処だ? ここ……」
まずい。まずいぞ。どうやら俺はぼうっとしながら歩いていたために、違う道を歩いていたようだ。問題は、俺は方向音痴だということだ。
今日は本当についてない。欲しかった本は買い損ねる、おまけに道には迷う。しかもこういう時に限ってスマホは電池切れだ。
交番も電話ボックスもない。俺は声を出して叫びたい。
――助けてくれ! ラッキーセブン。
ま、漫画のようにやってはこないが。
項垂れる俺の視界に入ったのは、小さな本屋だ。
道を聞くため中に入った俺は一応、書架を一つ一つ上から下まで見て回った。
「あ、あった」
なんと一冊だけあったのだ。捨てる神あれば拾う神ありとはこのことだな。
手を伸ばすと、誰かの手も伸びてきた。
その顔を確認した俺は、思わず「げっ」と声が出た。
「なによ」
いつものように眉を寄せる高崎がそこにいた。
「なんでお前がここにいるんだよっ」
「あたしの家が近くなのよ。まったく、外でもあんたの顔を見るとは思わなかったわ」
「うるせぇな。俺だってこんなとこまで来たくて来たんじゃねえよ」
「へぇ~。まだ、方向音痴なおってないんだぁ」
ぴたりと言い当てられて、俺は言葉に困った。
「……お前が少年漫画を読むとは意外だったな」
「悪い?」
「いや」
「買わないの?」
「そいつはお前に譲るよ。俺は友達に借りる」
そうさ。借りればいいんだ。発売早々の新刊を読むのは確かに楽しみだったが。
すると、高崎が俺を呼び止めた。
「待ちなさよ」
「何だ? 文句なら明日学校でいえよ」
「そうじゃないわ」
俺は高崎が差し出してきたものに、目を瞠った。
それは綺麗にラッピングされ、リボンもかけられた包みだ。
「は……?」
「探すのに苦労したんだから、ラッキーセブン」
「えっと――、え、えぇ……」
俺は、何が起きているのかさっぱりわからない。
「今日、あんたの誕生日でしょ」
俺がラッキーセブンが好きだということは、友人しか知らない。いや、もう一人いた。そう、幼稚園の時だ。
庭で泣いている女の子がいた。両親が離婚したらしいとかで。
――僕が、茜ちゃんを守ってあげる。今日から僕は茜ちゃんのラッキーセブンだよ。
小さかったとはいえ、よくもまぁ恥ずかしげもなく言えたもんだ。今だったらとても言えねぇぞ、俺は。
確かその子の姓は――、俺の視線は高崎の視線とぶつかった。
「……高崎……茜」
「なによ」
いやいや、昔の可愛かった茜ちゃんは何処に消えた? 決して男の頭をゲンコツで叩く女の子ではなかったぞ? 高崎茜。
俺が唖然としている一方で、高崎は「まったくもうっ」と勝手に怒っている。
もし俺が高崎よりも先に『ラッキーセブン』を買っていたら、もし高崎に譲っていなかったら、俺は高崎の名前も、幼い時になんと言ったのかも思い出さなかったに違いない。 高崎、お前の言う通りだよ。俺はとんだ間抜けだ。
ヒーロー・ラッキーセブンは現れはしなかったが、なんとなく救われた気がした。それは欲しかった『ラッキーセブン』の単行本が高崎の手を介して手に入ったからではなく、守られていたのは俺の方だったと思い出したからだ。
俺は「茜ちゃんを守る」と恥ずかしい台詞を言っておきながらその後どうしていたかと言えば――。
いじめっ子にいじられていたのは俺だったのだ。そしていつも、彼女が助けてくれた。
大立ち回りをしていたのは、俺をいじめっ子から守るため。
俺のラッキーセブンは、高崎茜だった。
「ああああっ!!」
店を出て暫くして俺は、気づいた。
「なによ」
「道を聞くのを忘れた!」
高崎が溜め息をつく。
「道を聞いて、家までたどり着ける自身あるの? 星野」
「あ、いやぁ……」
高崎は「仕方ないわねぇ」と言いつつ、歩き出した。
彼女はそれに対し何も言わない。
明日はなんと、またも四時間目は『和尚』による古典だ。また睡魔と戦わなきゃならない。高崎はまたも俺の頭にゲンコツをヒットさせるだろう。いや、殴るな。
俺の心の声が聞こえたのか、高崎が半眼で振り向いた。
「何よ? 文句ある? 星野」
「――いや……ない」
俺は、とてもラッキーセブンにはなれそうもないと思った。
(終)
ラッキーセブン 斑鳩陽菜 @ikaruga2019
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