六花とけて、君よ来い

御子柴 流歌

春は来たりて、風よ吹け


 もしかすると、カノジョは春を告げる妖精なのかもしれない。

 そんな非現実的な思考が降りてくるくらいには、今見えている光景が非現実的だった。


 ようやく雪も融けてきた、休日の夜。

 バイトが終わった、その帰り道。

 短絡路ショートカットとして使う、大きな公園。

 日中ならばジョギングをする人も多くいる、大きな池のほとり。


 そこに間違いなくいるはずなのに、そこにいないように思える。

 そんな不思議な雰囲気のする女の子が、春風のような微笑みを湛えながら、ふうわりとした雰囲気で立っていた。


 きっとそう思えるのは、彼女の装いのせいだ。

 朝靄の中揺れる蒲公英の花を思わせるような、淡い黄色のワンピース。

 そんな装いをこの街のこの時期のこんな夜にするなんて、非現実的にも程がある。


「あの……」


 だから、なのだろうか。

 思わず、声をかけてしまった。


 どこの回路をつなぎ間違えたのだろうか。

 自分のことなのに、そんなことを俯瞰的に感じてしまった。


「ん?」


 返答すらも可愛らしい。

 稲妻に撃ち抜かれたような感覚に陥る。


「ナンパ?」


「い、いや……」


 そうなってしまうか。それもそうか。


 そんなこと、生まれてこの方したことなかったのに。

 彼女の妖力のようなものに吸い寄せられたような、そんな雰囲気だった。


「ふふふ……」


 一昼夜をかけてゆっくりと花開くように微笑む彼女は、言い方は良くないかもしれないが、この世のモノとは思えなかった。


「いやちょっと……。何してるのかな、って思っただけで」


「いいよ、無理しなくて」


 何が無理なのかもわからないけれど、無意識の内に頷いてしまった。

 全くもって恰好がつかない。

 自己嫌悪に陥りそうになったが、ワンピースの彼女はなおも微笑んだ。


「びっくりしてる?」


「……うん」


 ウソは吐いてはいけないような気がして、けれどストッパーを無視した本音がこぼれ落ちた。

 まるで僕の気持ちを察したように、彼女は僕を見つめて笑う。


「よーく、わかったよ」


「……な、何を?」


 読めない。

 その微笑みから何かを読み取ることができるような力も技術も、僕は持ち合わせていない。

 哀しいけれどそれが現実。

 非現実的な光景だけれど、それを受け容れてくれるだけの寛容さだけは、この世界にも、僕自身にも、備わってはいないらしい。


 だけれど、目の前にいるだろう彼女は、僕を優しく見つめて――。


「その気持ち、忘れないでね」


 それだけを言い残して、僕の目の前から消えた。









 次に気付けば、自室のベッドの上。

 時間を巻き戻したのか、はたまた早送りをしたのか。

 非現実的でいて、これ以上無い現実が待ち受けていた。


 けたたましくアラームを押しつけるスマホを見れば、間違いなく『翌日』。

 自分の足で自分の部屋に辿り着いた記憶が無いことが、何よりも恐ろしい。

 深酒を愉しみすぎた明くる日のような心持ちだが、その辺りの記憶は明白だ。


 脳裏に焼き付くのは、あの非現実的なワンピース。

 春の陽光をそのまま具現化したようにしか思えない、あたたかな雰囲気。

 身支度もそこそこに、朧気な意識を振り切るように、部屋を飛び出した。









 思わず、息を呑む。

 仕方ないだろう。

 昨日まで残っていたはずの雪は、跡形もなく消えている。

 昨日まで無かったはずの蒲公英が、公園の池のほとりにあるベンチの脇を厚く縁取るように咲いている。

 しかも、何故かその中の一輪だけが、こちらの方へ練色の綿毛を誇らしげに見せつけていた。

 その色合いはまるで昨夜に見たワンピースのようで、思わずそちらへ駆け寄る。

 だけれど――。

 タイミングを併せるように吹いた春風に載って、綿毛は空へと飛び立つ。

 風は一瞬だけ向きを変え、綿毛のひとつは俺の方に飛んでくる。

 それを掴もうとして、――止める。

 春を迎えた喜びを歌うような想いが、次の街へと広がっていくようだった。

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六花とけて、君よ来い 御子柴 流歌 @ruka_mikoshiba

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