第15話 希望を求めて道を選んだ子
この国は何年か前から内戦をやっている。でも僕の住む村は、最初の内はあんまり危険じゃなくて、みんなはただ生活のために農業をやって暮らしていた。
僕は農家に生まれて、親には家の手伝いをするようにと言われているから、学校に行っていない。それでも僕が計算ができて、キニアルワンダ語も読み書きできて、ルワンダの歴史まで知っているのは、となりの大きな敷地に住んでいるミレーヌという子が教えてくれるからだ。
かつて、欧米の国がアフリカをどんどん植民地にしていく中、この国も「ルアンダ」という名でドイツの植民地となった。その後、第一次世界大戦のどさくさで、ベルギーがドイツから植民地を取った。隣国と合わせて、この地は「ルアンダ=ウルンディ」という名になった。
ドイツもベルギーも、この地に住む人々をわざと分断して統治した。本当はみんな似たような民族なのに、何やら理屈をこねて「ツチ」「フツ」「トゥワ」の三つに分類したのだ。そうして人数の少なめなツチが、他の人々を支配するように仕向けた。フツたちは、何か不満があった時、ドイツやベルギーではなく、ツチをうらむようになっていった。トゥワについては、あまりにも人数が少ないので僕もよく知らない。とにかく、もめごとはルアンダ=ウルンディの中だけで起こるようになり、ツチが怒りの矛先を向けられるようになって、本当の支配者であるヨーロッパの人々はそしらぬふりで利益をふんだくっていた。
それが、独立を機に少し変わったらしい。
といっても、フツによるツチへの怒りはそのまま。
ただ、多数派として力を得たフツは、旧支配者のツチに仕返しすることができるようになった。
それでもめて、今の内戦までもつれこんだという。
国外に亡命したツチはたくさんいる。でもみんながみんな逃げたわけじゃない。持っているものを全て捨てて逃げられる人なんて、そう多くない。
ミレーヌの家の人も、亡命という選択肢までは取れずにいた。
ミレーヌの家は裕福なツチの一家で、広い土地を持っていた。牛を十頭くらい飼って、余った土地はキャッサバの畑にしていた。牛の世話と畑の世話を両方やるとなると大変だけど、親戚がそこそこいたから人手は足りていたし、結構お金を稼ぐことができていた。だから、ミレーヌや彼女の兄弟は、学校に行けた。そしてミレーヌは、勉強したことを僕にたくさん教えてくれたのだ。そのせいで僕は親にしょっちゅう、「家の手伝いをさぼって、ツチの女の子なんかと遊ぶなんて!」とボコボコに殴られて、ののしられて、毎日ご飯を抜きにされていたけれど。僕の両親はフツだからね。
ミレーヌは、ツチの家の女の子だっていう理由で、学校では苦労しているのに、めげずに通い続けているし、習ったことをていねいに僕に教えてくれる。気丈で優しい子なのだ。その上、ご飯を充分にもらえない僕のために、よくクッキーを持ってきてくれる。
僕のためにアガセチェを編んでプレゼントしてくれたこともあった。赤くて小さな、かわいらしいかご。僕はうれしくて、その幸福のかごをいつも持ち歩いていた。親にこわされでもしたら大変だし。
そういう生活で、僕は構わなかった。なぐられて痛いのもご飯をもらえないのもそりゃあ嫌だけど、だからって親のいう通りミレーヌに会いにいかないのはもっと嫌だ。さいわい親の方も、隣の大きい敷地に逃げこんた僕の居場所を探し当てて連れ戻すより、あきらめて二人で作業を続けた方がまだ仕事がはかどると思っているみたいだから、もうそれでいいやって僕も思った。
ルワンダで虐殺というのが始まったのは、そんな中での出来事だった。
そのニュースはみんなラジオとかを聞いて知っていたし、フツとツチの対立による事件は隣国のブルンジですでに起こっているっていう報道もちらっと聞いたけど、少なくとも僕の分かる範囲では、誰も亡命とか何とかしようとはしなかった。だって、遠くで起きているよく分からない事件より、目の前の生活の方が現実的だったから。
でも僕はちょっとこわかった。だってラジオの連中は、ツチはフツを再び奴隷にしようとしていて非常に危険だとか、我々フツは自分たちの身を守るために今こそツチを撲滅すべきだとか、ツチは害虫だから駆除しろだとか、そんなことを延々と説いている。両親は、何の疑問も持たずに毎日その音声を家中に垂れ流しては、何か話しこんでいる。村の人は、ツチを成敗した方がフツのためになるんじゃないかとか、信じ込んでうわさし合う。
だったらミレーヌたちはどうなるの?
その日、ミレーヌはいつも通り、弟たちと村を出て遠くの学校に行ったはずだ。そろそろ帰る頃かな、と僕はコーヒーの赤い実が山ほどのったかごをそっと地面に置いて、となりの家のキャッサバの畑に身を隠した。同じ頃、村に血まみれの小刀を持った人々が殺到してきたらしい。
──今こそ我々フツが自身のために立ち上がる時。ツチをやっつけろ。できないというのなら、お前もツチの味方とみなす。
そんなことを言ったんだろう、おそらく。ラジオの向こうの遠い人だと思っていた、このおっかない人間たちは、じゃまをするなら相手がフツでも殺してしまえ、なんて主張してたから。
何が彼らを突き動かしたのか、僕は知らない。ずっとかくれていたから、雰囲気とかそういうのは分からない。僕が気づかなかっただけなのかな、ツチを排除しようっていう気持ちはこの一ヶ月弱でもう完成していて、あとは最後の一押しを待つだけの状況だったのは。
両親をふくむ村の人々は、自分の家で農作業などに使っている小刀を持ち出して、ミレーヌの親や兄や親戚をおそうことに決めた。
すごい怒号が上がって、次いで悲鳴みたいなものが聞こえた。ミレーヌの家の人の声だったと思う。
どういうこと?
ひょっこり道に顔を出した僕は、滅多刺しにされて地面に打ち捨てられている、ミレーヌの家族の
それを捨て置いた村の人が、血眼でミレーヌのことを探しているのも、見た。
泣き声がする。まだ学校に上がれないような小さな幼児の声は、じきにぶつんと途切れた。
「セルジュ、お前、またそんなところに……! 危ないからはやくこっちへ来なさい!」
親がそんなことを言った気がしたが、僕は理解できなくて固まっていた。
どうして?
仮にちょっと気に入らないところがあったとしても、僕たちは同じ村で生きてきた、ご近所さんどうしじゃないか。それを急にこんなふうにあっさりと殺してしまうなんて、どうかしてる。何でこうなったんだ。あの人たちは頭がおかしいのだろうか。憎しみで何も見えなくなっているのか。
どうしよう。
人間って、こんなに簡単に、残酷なことをできる生き物だったんだ。自分たちが危ないなんていううわさを信じ込んで、僕の大事な人を本当に殺せちゃうんだ。こわい。こんなんじゃ誰一人として信用できない。
嫌い。嫌いだ。みんな嫌いだ。
この恐ろしい生き物たちから、ミレーヌだけは守らなくては。帰ってきちゃだめだって伝えなくては。弟たちを連れて逃げろって。
「はやく!」
興奮した人間たちの群れの向こうから親の喚き声がする。僕が嫌いで仕方なかったのに頼らざるを得なかった、大人たちの声。あれでも一応僕は大切にされていたのかなってちょっぴり思ったけど、深く考えるのはやめにした。
だって、迷うから。悪いけど、今は親を優先している場合じゃないから。
……村の大人が信じている正義を子どもの僕が疑うためには、けっこう勇気が必要だったのだ。
湿気を帯びた風が吹き荒ぶ。その中に金属のようなきつい匂いがある。
村人はまだミレーヌの家族を探している。うち一人が、僕に近づいてきて、僕の胸ぐらを乱暴に掴んで激しく揺さぶる。
「おい! お前があの子をここまで連れて来い! 出来なかったらどうなるか、分かってんだろうな!?」
分かってる。でも駄目だ。あの子はとっても優しい子で、僕が命を投げ打ってもいいって思える唯一の人間だから。
「いいよ。連れてくる」
僕はふるえる声で言い、そいつの手を服から引きはがした。いそいで村人から距離をとる。
「……なんてね、うそ。──みんな、僕はツチの味方だ! 裏切り者だよ! 殺したければこっちにおいで!」
後ろの方からどよどよと、一部の人間が集まって押し寄せるのが何となく分かった。
特にいい考えとか案とかはなかった。やつらの注意を僕に集めよう。村と村をつなぐ大通りに出て、学校とは反対の方向へ走ろう。そんなあまりにも単純な浅知恵に従って、ひた走った。
それで、村から出ようというところになって、となりの村から逃げてきたミレーヌがこっちに逃げ込もうとするのが見えた。
よくここまで逃げ切れたなって思う。小刀を持った人間たちがもうミレーヌの背後にまでせまっていたから。他の村では銃を持った兵士なども現れたと聞くから、ミレーヌは少しだけ幸運だったと言えなくもないかな。
彼女は一人だった。僕に何か言おうとしたらしく、息も切れ切れに口を開いた彼女を、となりの村の人間が──切りつけた。
「だっ、だめ!」
僕はそうさけんでいた。見つかってしまった以上、計画は変更だ。一人でも多くの人間を僕に引きつけて、ミレーヌが生き残れる可能性を少しでも上げるしかない。
それは無謀だ、失敗するに決まってる、なんて──そんなことを考える時間も僕にはないのだ。
「ミレーヌ、この村に帰っちゃだめだ。逃げて!」
それで、どうだったかな。
ああ、何か、うっかり気絶していた。僕も村人に追いつかれて、背中をやられたっぽい。血が出ているのが分かる。でも、特に痛くはないような……。
むりやり目をしばたたいて起きようとしたら、首にぶらさがったアガセチェがゆれるのが見えた。
「──ん?」
おかしいな。これ、いつもはポケットに入れてるのに、いつの間にひもが通って──。
「あ」
そうだった、僕は、はるばる旅をしてここまで戻ったんだった。
その決意も覚悟も未だ揺るがないけれど、使命を全うするためには機転をきかせて動かなくちゃ。
まず、ミレーヌが無事かどうかを確認する。
僕みたいに、まだ意識があると、なおいいけど……あ、よかった。倒れていた彼女の小さな体が再び走り出すのが見えた。でもこのままだとミレーヌは村に突っ込んじゃう。そして僕も、村人から逃げ切らない限りは、他人を助けるだの何だのとほざいている余裕がない。
えーっと、この後、どう逃げれば生き残れるのかな。せめてそこんとこをちゃんと考えてから来たかった。この状況でミレーヌを助けたいなんて、やっぱり無茶がすぎるのだ。でももうここまで来ちゃったし……。
「え?」
目線の先、道と道が交差するところに、忽然と現れたものがある。
丸。
真円。
地面に穴が空いている。子ども一人くらいは軽々と通り抜けられるような大きさの。
「どうしてあれがここに……」
「キャーッ何これ!!」
ミレーヌがさけんで、穴の前で足を止めようとする。
「あ、いや……! 行くんだ、ミレーヌ!」
「行くってどこに!」
「わ、分かんない」
僕はよたよたとミレーヌ目がけて走る。でもまだ、五メートル? くらい? 距離があって、村の人が再び僕を切りつける方が、そしてとなり村の軍勢にミレーヌが飲み込まれる方がはやくて──。
「チッ、間に合わねえ。こうなったら──。『時空操作』!」
ピタリと周りの景色と音が止まった。
何かこういうのさっき見たな。
そうだ、何か、上司の人が似たような技を使ったんだった。僕たちだけが息をしていて、僕たちだけが動けるような。
「あの……」
僕は走るのをやめて、道の脇に立っているシャルミラとティルダードを見た。
「とっととしやがれ! でねえとお前一人だけ楽園行きにするぞ!」
ティルダードはすごい剣幕でまくしたてた。
「えっと……」
「お前のためにコイツが大目玉を食らうのは確実なんだ! せめてお前は、もらったチャンスをものにしろ!」
「君、うるさいよ」
シャルミラは手の中のナイフを消し去った。
「いいから、セルジュはもう行きなさい。でないとよけいに面倒だ」
「……」
規則をやぶったんだなと、僕にも察しがついた。その恩に報いるにはどうすべきか?
「分かった、ありがとう!」
僕はミレーヌの手を取って、地面に空いた穴にダイブした。とたんに上下左右がめちゃくちゃになる感覚がして、僕たちは何やら大きなテントのある草地に放り出されていた。
「何が起きてるの!?」
ミレーヌが大混乱していてかわいそうだった。
「多分だけど、あっちで助けてもらえるよ。はやく怪我を見せよう」
こんなことを言えるのも、人間不信が軽傷ですんだからだろう。人間というのは環境によってはああやって隣人を殺すこともあるけど、ここの空気は敵を殺さないとだめだとかそういう切迫したものとは別なんだと分かった。旅の途中で色々アドバイスをもらえてよかったなと思いながら、僕はミレーヌを落ち着かせた。立ちあがろうとしてめまいにおそわれ、土臭い地面に倒れた僕の頭の向こうから、人間の大人たちの気配がした。
ああもう、こういう時に来るってことは、敵じゃないんでしょ。誰か知らないけど味方がいて、僕たちを助けてくれるんでしょ。
直前まで情報を集めてたって本人が言ってるんだから、きっとそうだよ。
それで、この時僕が考えたことは、だいたい合ってたと思う。確認しようがないけど。
ここにテントを張って忙しそうにしている人たちは、非営利の国際的なボランティア団体で、大した規模はないものの手の届く範囲のことはしてくれた。
僕とミレーヌは傷の手当てをしてもらって、寝かせてもらって、回復するまで食事ももらった。ただし、すぐにテントの空きスペースなんてなくなったから、僕たちは回復し次第すぐに送り出されて、隣国のウガンダっていう国の難民キャンプにたどり着いた。
後は少し辛抱して待つだけだった。ルワンダはびっくりするほど復興したというか、何なら前より豊かになった。
難民たちはただ帰るだけでよかった。またあの殺人鬼集団の中に戻ってあんな騒ぎに巻き込まれたらどうしようっていう不信感が広がっていたものの、もうああいう殺伐とした空気はルワンダから去っていたから問題ないって僕は判断した。ルワンダ人とかフツとかが悪いんじゃなくて、人間なんて自分を含めて誰しもあんなものだし、逆にあの雰囲気さえなくなればみんな無害になるから心配いらないって。
結果的に心配いらなかったし。
この国には、僕たちのように身寄りがなくても運よく児童養護施設に入ることができたり、更に運のいいことに里親が見つかったりする子どもが、他にもたくさんいたんじゃないかな。よく分かんないけど。そもそも僕には身寄りがあったかもね。この幸運は他の孤児にゆずるべきだったかも……いや、僕にはミレーヌを助けるっていう目標があったから、他人をあわれんでいるひまはなかったかな。
僕たちを引き取ったのは、仲の良さそうな二人の姉妹だった。普段は別居しているけど、同じ町に住んでいたから、僕はミレーヌにすぐ会うことができたし、大きくなってからは結婚したからあんまり問題なかった。
とりあえず成長できた僕は、コーヒー豆を外国に輸出している会社に就職し、ルワンダのコーヒー豆を適切な値段で買ってもらえるようがんばっている。もし土地があったらまた農業をやってもいいかなとは思ったけど、ないし、今の職場の方がお金をもらえるからこれでいい。あと、ミレーヌは小学校の先生になり、あっという間に校長先生になって、今では国の教育問題に物を言える立場になりつつある。
僕の方は何かそんな感じ。
シャルミラはどうしてるかな? また上司に怒られただろうか? また別の子どもを引っ張り回してる? 今となってはティルダードの楽園計画に協力とかしていてもおかしくないよね。想像するとちょっと面白い。
何にせよシャルミラのことだから、どこかの時空で楽しくやっていそうな気はしてるよ。
とりあえず、シャルミラが助けた僕はおおむね楽しく生きているから大丈夫。僕なんて、ごく小さな国における何十年かにすぎない命だろうけど、そこだけは安心してほしい。
おわり
時空の迷い子 〜小さな赤いかご〜 白里りこ @Tomaten
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます