第14話 搾取する人とされる人
「おお、運がよかった……のかな?」
シャルミラは手のひらを天に向けて言った。
「少しだが、雪が降っているね」
「わあっ、これが雪? っていうか、これが!! 寒いっていうことなんだね!! 寒っ!!」
「いーや、まだまだ軽い方だぜ」
ティルダードは渋い顔をした。
「この辺じゃ氷点下いくことはほぼないもんな。もっとやべー場所はわんさかある」
「さすが、南極探検隊は物知りだね」
「南極はお前のせいだからな!?」
僕たちは、一九六〇年十二月のベルギーの首都、ブリュッセルに来ていた。
僕は毛糸のぼうしにふかふかしたコートに手ぶくろやら何やらいっぱい装備させてもらっていた。シャルミラはピンク色の耳当てと白いマフラーをしている。ティルダードはいつもの変なスーツだけだ。
ベルギーに行こうとシャルミラが言い出した時はぎょっとしたが、過去に自分たちを搾取していたという人々の暮らしぶりに興味はないかと聞かれると、ちょっとうずうずしてしまった。
「植民地のおかげでベルギーは栄えた。コンゴからはカカオ豆などを、ルアンダ=ウルンディからはコーヒー豆などを安く買えたから、ベルギーではおいしいチョコレートとコーヒーをいただけるというわけだ」
「そういえば僕も家ではコーヒー豆の収穫ばかりやらされていたよ」
「なるほど。ならばなおさら、行かなければね。リイ、さては、コーヒーを飲んだことすらないだろう」
「ああ、うん、ないよ。畑のものは全部、売り物だったもん」
「今回の旅でも、飲んだのは酒と茶とジュースだけだったな」
「そういえばそうだね」
というわけでブリュッセルである。特にこの一九六〇年は「アフリカの年」と言われていて、各国列強からアフリカの植民地が次々と独立していったという。ベルギーからは、植民地の大半であるコンゴ民主共和国が独立していった。今ベルギーの植民地は、ルアンダ=ウルンディというちっちゃな部分だけになっている。この二国の独立もまた二年後にひかえている。
僕たちのいる石だたみの広場は、あちこちキラキラと装飾されていて、お祭りみたいだ。特に、とがった形の塔がくっついていて、こまごまとした装飾が規則正しく並んでいる古い建物が、ひときわ目立つ。その前には、市場みたいなものが開かれていて、独特のかざりやらクッキーやらを販売している。
「ああ、クリスマス・マーケットの時期か。この辺の人間はクリスマス前の準備に非常に重きを置いているからね……。ルワンダもキリスト教の国だが、あそこはどんなだったかな」
「えっと、ここまで大がかりな準備はしないかも……。ただ、農作業とかはやらないでいい日だから好きだよ」
「おや、思い出したのか」
「うん。当日は『ノヘリ・ンジザ』ってあいさつして、教会に行って歌ったりする。プレゼントをもらえる子は次の日に開けるんだ」
「ほう。興味深いね。次に睡眠を取る時はその辺りの事情も探ってみよう」
「寝る時に入ってくる情報って、自分で選べるの?」
「やろうと思えば選べる。現にさっきまで情報収集していた」
「……寝てる時まで忙しいんだね、天使って……」
僕たちがそんな感じでしゃべっていると、ティルダードが割って入った。
「はい! 俺! ワッフル食いたい!」
「ワッフル?」
「ベルギー名物! こう、生地が格子状になってる焼き菓子。ベルギーだと大きく分けてブリュッセル・ワッフルとリエージュ・ワッフルの二種類が人気っぽいぜ。ブリュッセル・ワッフルはあっさりめでサクサクしてて、いろんな甘いもんをトッピングして食うのがうまい。リエージュ・ワッフルはしっとりしてて生地もぶあつくて、シャリシャリって食感の特別な砂糖を使っててうまい」
「どっちもうまいんだね」
「当然だろ! というわけでシャルミラちゃんよ、今回も頼むぜ!」
「それならリエージュの方にしよう」
シャルミラは言った。
「あれは持ち歩けるから。この後はリイをいいカフェに連れて行かなければならないんだ。ブリュッセル・ワッフルを出すカフェも悪くないが、どうせならチョコレートとかを出してくれるカフェの方がいい」
「あー、なるほどね。いいぜ! ここはブリュッセルだけどリエージュ・ワッフル売ってる店探そう!」
かくして、僕は人生で初めてのワッフルを手に入れた。
お店の人が一つずつ紙袋に挟んでくれた。手に持つと、思ったよりずっしりしている。お腹がふくれそうである。
ぱくんと一口。
「!? あっま」
ドイツで食べたプファンクーヘンといい勝負……いや、こっちの方が甘いとさえ言える。ジャムとかは入ってないのに、生地全体が砂糖でいっぱいだし、バターの風味なども強くて、味もかなり後を引く感じ。
「どうだ?」
「甘くておいしい」
「そうだろ! 俺の提案はいつだって冴えてるからな」
ティルダードは胸を張って得意そうな顔をした。が、その表情がみるみるくもっていった。
「どうしたの、ティルダード」
「ヤッベ……」
「何?」
「これまで何とか接触をさけてきたが……やばい、見つかる。俺は逃げるぜ。シャルミラは、せいぜいしこたま怒られるんだな。また後でな!」
「え?」
ティルダードは食べかけのワッフルを手にさっさと消えてしまった。
「何なの?」
「……ネフ様がおいでになるということだろう」
「ああ、あの上司の?」
「そうだ」
「天使の上司ってことは、神様?」
「そうではないな……。そういう見方もできなくはないが、何というか……ネフ様はネフ様だ。それ以上でも以下でもない」
「へえ。……もしかして、僕たちが遊んでるから、叱りにくるの?」
「おそらくは。リイは怒られないから安心しなさい」
「いや、それは難しいっていうか。他人が怒られてるとこって、見るのちょっと嫌じゃない? そもそも、僕が言ったから、こうしてシャルミラは寄り道してくれてるのに」
「リイが気にすることではない。迷い子が何と言おうと、行き先を決めるのは天使だからな」
「……」
シャルミラは残っていたワッフルを全部口につめこんで、すぐに飲んでしまった。
「……帰りたくないと言う子を帰す、という決断を何度もしてきた。何も思わないわけではなかったけれど、仕事はやらねばならなかったから、じきに帰りたくないと言わせないためにさまざまな手を打つようになった。ネフ様も、時空の迷い子になる条件は本人には秘密にするように、と言い出していた矢先の、コレだからな。しかも二代目……ティルダードが言うことを聞かないからと補欠を送り出したのに、このありさまでは、さぞお怒りだろう」
「……ご、ごめ」
「謝るな」
「……?」
「私が決めたことなんだから、私に責任がある、と言っているんだ。リイのやりたいようにすると決めたのは私だ。本当なら問答無用で強制送還することだってできたのに、それをしなかった。でも、後悔はしていない。ちゃんと覚悟を持って決めたことだよ。だからいいんだ。気に病むな。お叱りなんて、とっくに想定していたさ」
シャルミラは安心させるかのように僕の背中を叩き、スッと体をかがめた。ひざまずいて頭を垂れる。
「──そういうことなら」
聞き慣れない女の声がする。
「あなたはわたしに背くことになるかもしれないと想定した上で、今ここにいるのですね」
「左様です、ネフ様」
シャルミラが敬語で話すのを初めて聞いた。
彼女が礼をしているその先には、背の低い娘が一人立っていた。見た目は十六、七歳くらいだろうか? 肌はやや褐色で、吊り目がちの双眸には力がみなぎっている。まつ毛が濃くて長い。額と首にビーズかざりをつけている。頭にはレースかざりのついた赤くて薄い布をかぶり、この布で全身をゆるりとおおっている。その下は、この寒いのに半袖の服だ。
「困りました。あなたのまじめな勤務態度を評価していたのですが」
「ご期待に添えず申し訳ない限りです。……しかし私は、時空の迷い子の心身を守ることもまた、仕事の内と心得ております。この迷い子の心が決まるまで、束の間の休憩を取るのが最適だと、私は判断しました」
ネフは目を細めた。
「わたしにうそは通用しませんよ。うそ、とまでは言いませんが、あなたのそれが建前であることくらいは、分かります。あなたは旅を楽しんでいますね」
「おっしゃる通りです。こればかりは、今に始まったことではございませんが。仕事を楽しむのは、いけませんでしたか」
「構いませんよ。ただしそれが許されるのは、あなたのまじめな働きがあったからです。今回は少し度を超えていると言わざるを得ません」
「はい」
「……次の時空移動で確実に迷い子を送り届けなさい。今回はそれで、特別におとがめなしということにします」
「寛大なご処置、痛み入ります。必ずそのようにします」
「よろしい。では」
ネフは赤い衣をひるがえし、僕の目の前から消えた。
途端にワーッとブリュッセルのにぎわいが僕の目と耳に飛び込んできた。そういえば、ネフが現れてからは、周囲の全てのものの動きが完全に停止していた気がする。そういうこともできるんだなあと、僕はぼんやり考えた。
シャルミラはぷるぷるっと頭を振った。長い髪がゆらゆらゆれる。
「──こんなものか。大したことがなくてよかった。さあリイ、旅の続きを始めよう」
「……うん。今度こそルワンダに行くんだね?」
「いや?」
「えっ?」
「ベルギーのいいカフェに連れて行くと言っただろう。ルワンダ行きはその後だ」
「えっ? えっ? だって今、確実に送り届けろって」
「それは、『次の時空移動』の話だったじゃないか。つまり、歩いて行くならどこで何をしても構わないと、そういうことじゃないのか? さすがネフ様は寛大でいらっしゃる」
「え!? そうなのかなあ!?」
「もちろん、もたもたするのはよくない。さっさと用を済まそう。こっちへおいで、リイ」
「う、うん……」
僕はワッフルをかじりながらシャルミラに続いた。シャルミラはいつの間に買ったのか、観光客向けのガイドブックを持っていて、そこで取り上げられているカフェを目指しているようだ。しばらく歩く。こうして体を動かしていると、寒さが気にならなくなってきた。
「ここだ」
シャルミラが立ち止まったのは、立派な風格のある大きな店の前だった。重そうなとびらを開けると、上品な空気感がただよってきて、僕はしりごみした。
「何か粗相をしたら怒られちゃいそうな雰囲気……」
「別に誰も怒る人などいない。もっとリラックスするといい」
「うん……」
案内されたテーブルについて、シャルミラはメニューを読んでいたが、すぐに店員を呼び止めた。
「エスプレッソとカフェオレを一つずつ。チョコレートはこれとこれで」
そうしてコーヒーとチョコレートが運ばれてきた。コーヒーの内、シャルミラは色が黒い方を僕に差し出した。
「まずはシンプルにエスプレッソで。コーヒーの味がとても濃い」
僕はつばを飲んでから、エスプレッソに口をつけた。
「どうかな」
僕は真剣な顔で、舌の上に広がったコーヒーを味わった。
「香ばしい風味はあるけど……想像の十万倍くらい、苦い! コーヒーがこんなに苦いなんて知らなかったよ……」
「フフ……。こちらのカフェオレと交換しよう。これはミルクが入っているから飲みやすいはずだ。砂糖を入れてもいいよ」
言われた通りにすると、びっくりするくらい味が変わった。香ばしさはそのままに、ほんのり甘くてまろやかな口当たりである。
「こっちは、何か、すごくおいしい。こういうひかえめな甘さもいいね」
「それはよかった。そっちのチョコレートはどれも甘いから、合間に楽しめるよ」
「へえ」
僕は小さな丸いチョコレートを一つつまんだ。
「……! こんな食感なんだ」
「それは中にベリーソースか何かが入っているのかな? おそらくチョコレートの部分は外側だけだよ」
「うん、そんな感じする……むぐむぐ。甘い」
「苦みのあるチョコレートもあるが、コーヒーと合わせるなら甘い方がいいだろうと思った。どうやら君は甘いものが好きなようだし」
「うん、好き」
「チョコレートは気に入ったかな」
「うん。植民地の人が原料を作らされたと思うと腹立つけど、これは確かにおいしいよね……コーヒーも……」
僕は悩ましげにため息をついた。
「おいしい……。はあー。独立しても、コーヒー豆を安く買い叩かれるところは変わってないんだよね……」
「そうだな。コンゴも独立後数日で国内が大混乱に陥ったし、経済面での外国への依存度は大きいままだ。元植民地の末路はだいたいそんなところに落ち着く。……だが……」
「うん?」
「……この際、言ってしまおうか。ルワンダに限っては例外だよ」
「……え?」
「未来では、ルワンダは幸運にも、政治的・経済的にかなり自立していく。『アフリカの奇跡』と呼ばれるほどにまで、ルワンダは成長する。これが、コンゴ民主共和国やブルンジとは大きく異なる点だね」
「そうなの!?」
「首都キガリは大都会に発展するし、国民の教育水準も高くなるし、女性の社会進出も大幅に進む。だからリイ、悲劇を乗り越えて故郷で好きな人と生きるという夢は、きっと叶うよ。きっと、なんて軽々しく言うのは無責任かもしれないが。……何にせよ、希望を捨てないことだ。がんばって生き延びてほしい」
「……うん」
僕は呆気に取られていたが、かろうじてうなずいた。
カフェを出たところでは、ティルダードが待ち受けていた。
「よう、リイ。カフェはどうだった?」
「すごくよかった」
「そいつぁ何よりだ。いい思い出になったな」
「……うん」
「で? シャルミラはネフに釘を刺された上に、こんなところでのんびりしちまったわけだろ。そろそろ行かないとまずいんじゃねーのか」
「そうだね。そろそろ行かなくては」
シャルミラは僕の右手をそっと両手で包んだ。
「リイ。いよいよ最後の時空移動だ。君が自分の体に戻ったら、私の仕事はおしまいになる。可哀想だが、もう助けてやることはできない。そういう決まりだからね」
「うん」
「君と君の大切な人は、命の危機にさらされている。運良く助かって隣国に亡命できたとしても、難民キャンプの環境は劣悪で、そのせいで死ぬ可能性もある。……どうか、殺されることなく、健康で、無事に生き残ってくれ。生きてまたルワンダに帰ってほしい」
「うん」
「リイ……」
シャルミラが、今度はがばっと僕の肩に抱きついたので、僕は心底びっくりしてしまった。
「え!?」
「ありがとう、リイ。この旅を通して、私は少し変わることができた。君が優しく強い子だったからだよ」
「シャルミラ、何か変わったの?」
「変わったよ。リイのおかげだ。一応、そこのいまいましいティルダードのおかげもあるが」
「いまいましいって何だ。はったおすぞ」
「リイ、本当は私はね、これまでは迷い子を守ることなど、仕事の一環としか思えなかった。癪だが、そこの阿呆な堕天使の言う通り、良心の呵責なんてものはほんの少ししかなくて、迷い子を帰すのは義務だから仕方ないとしか思っていなかった」
「阿呆は余計だろ、明らかに。なめくさりやがって……」
「だがリイに出会って初めて、本気で誰かを守ることの意味を知った。君がただ一人の人のために、くじけずがんばっている姿を見て、私も誰かを守れる存在になりたいと思えるようになったんだ。感謝するよ」
「シャルミラ……」
故郷が悲惨な状況にあると知っても、僕はただ一人の人のために、帰ると誓った。
ああ、記憶がどんどん戻ってくる。そうだ、あんなところからは一刻も早く脱出させなければ。僕の大事な友達を!
「あのね、シャルミラ」
「何かな」
「思い出したよ。僕の大切な人の名前は、ミレーヌ・カマリザっていうんだ。それとね、僕の名前はセルジュ。セルジュ・アジャイ」
「そうか。教えてくれてありがとう。……では行こうか、セルジュ。君の故郷へ」
「うん」
シャルミラは僕からはなれると、銀色にきらめくナイフを握った。
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