第13話 文化を衰亡させる修道士


 ルネサンスというのは、ヨーロッパの中世の終盤、イタリアを中心として起こったもので、古代の知識や芸術を見直して今の時代に復活させようという運動だそうだ。古典を知ることで、神や人間の本質に迫ることができるという。


「何で?」

「フフ……さあね。ただし古代ギリシアや古代ローマの知恵や文化がそれなりに理に適ったものだったことは事実だ。少なくとも今でもじゅうぶん通ずるくらいには」

「そんな堅苦しいことはいいよ。それよりここは、ルネサンス期に一番栄えた町といっても過言じゃない、あのフィレンツェだろ? 古代の美術をまねしつつ新しい感覚も取り入れた、スッゲェ美術品がバンバン生み出されてる。見に行こうぜ! もしかして、メディチ家の奴らに頼めば、見放題なんじゃないか?」

「メディチ?」

「お金持ちの一家だよ。芸術家にたくさんお金を出して応援していた。フィレンツェで芸術が盛んだったのは彼らのおかげだね」

「そういうこと! ほら見ろ!」

 ティルダードは、立っている広場の正面にある、堂々たる威容の建物を指差した。四角くて、規則正しい凹凸がついていて、高い塔みたいなものもついている。

「ヴェッキオ宮殿! あそこに彼らは住んでる! 美術品をたんまり溜め込んでるはずだぜ」

「ああ、多少は残っているだろうね。だがメディチ家の連中は今フィレンツェにいない」


 ティルダードはピタリとはしゃぐのをやめた。


「……いない?」

「追放されたんだ。彼らは裕福すぎて政治的権力まで握っていて嫌われてしまったし、加えてフランスが攻めてきた時にドジをふんだからね」


 ティルダードの浮かれた表情が一転、驚愕の表情となる。


「オイお前、まさかあのサヴォナローラの奴を見にきたのか!?」

「そうだよ」

「げえーっ。シャルミラお前、本当に悪趣味だな! ワクワクして損した! こんなところにいられるかってんだ。俺はちょっくらローマでも見てくるよ。確かフィレンツェの次はローマがルネサンスの中心地になったもんな。そんじゃまた後でな!!」


 ティルダードはとっとといなくなってしまった。


「ティルダードって美術が好きだったんだ。知らなかった」

 僕は言った。

「天使は人間に興味津々な者が多いから、そのなごりだろう」

「ふーん。それで、サヴォナローラって誰」

「キリスト教の修道士で、今のフィレンツェの支配者だよ。フランスの侵攻を予言したとか何とかで大人気なんだ。キリスト教のことを重視していて、フィレンツェの市民もぜいたく品などにうつつを抜かさず、もっと信仰心を持って、まじめに質素に生きるべきだと言っている。だから、ほら」


 シャルミラはヴェッキオ宮殿の方から何かを抱えて歩いてくる集団を指差した。

「彼らはサヴォナローラの支持者だよ。あのように、絵や本などはぜいたく品だから、持っていては『虚飾の罪』になると主張して、運び出してしまっている」


 運び出された品々は広場の真ん中に置かれた。見に行くと、いくつかの本が積まれていて、一番上には「『デカメロン』ジョヴァンニ・ボッカチオ著」と書かれた本があった。タイトルの意味はよく分からなかったが、とても分厚い本で、作者の熱意のようなものは伝わってくる。


 その横には、やわらかく繊細な印象を受ける絵。人間が何人かていねいに描かれていて、背景は細部まできちんと描き込まれた自然の風景。これを描くのはさぞ大変だったろうと想像がつく。ただ、人間が男も女もおそろしく薄着なのが気になった。これではほぼはだかである。人間の本質に迫るってそういう方向なのか。


 そのまたとなりに目を移すと、意外なものが落ちていた。トランプのカードだ。僕も、あの子と二人でトランプゲームをやったことがあるから知っている。

「そんなもので遊んでいるひまがあったら、神に祈りをささげるように、ということで、ゲーム用品もぜいたく品扱いなんだよ」

「え……遊ぶのもだめ? 他人がどうやって過ごすべきかまで、サヴォナローラが決めちゃったの?」

「そうだね」

 何とまあ、押し付けがましい人物だ。お祈りを大事にするのは勝手だが、他人がすきま時間にゲームをするのだって勝手じゃないか。


 僕が持ち出された品々を見ているうちに、それらはどんどん増えていき、ちょっとした山のようなものができあがっていた。

「こんなに集めてどうするの?」

「まあ見ていなさい」

 こうしている間にも、見物人が続々と集まってきている。そして、たいまつを持った一団が列をなしてやってきた。彼らは絵や本の山をぐるりと取り囲み、──持っているたいまつで山に火をつけた。

「ええぇ──!?」

 僕は思わず大きな声を出した。

 見物人たちは、神妙に炎を見ていたり、感極まって拍手していたりと、さまざまな反応を見せている。僕は燃え上がる芸術品の数々を指さしてシャルミラを見上げた。


「え、あれ、いいの? 価値があるやつじゃないの? 一生懸命に描いたり書いたりしたものじゃないの? 何であんなことするの!?」

「めずらしく騒いでいるね」

「だって!」

「うるせえぞガキンチョが!」

 急にどなられて僕は縮こまった。反射的に頭をかばう。

「ぴゃっ」

「サヴォナローラ様のご意向に背くんじゃねえ!」

 男はまたどなり、持っていたたいまつを焚き火につっこんでこっちまできた。

「神聖なる儀式を侮辱するな! 地獄に落ちたいのか!」

「……」

「君、子ども相手にどなるのはやめたまえ。みっともないぞ」

 シャルミラが割って入ると、男は怒りで真っ赤になった顔をシャルミラに向けた。

「ああ? 何だてめえ……かわいらしい声のくせして、ずいぶんと勇ましい口をきくじゃないか。てめえに何が分かるってんだ!?」

「そうなんだ、かわいい声だろう? 私も気に入っているんだ」

「あ、え、……そ、そこじゃねえだろうがよ、話はよ! 女がしゃしゃり出てきて何をするかと思えば、サヴォナローラ様のなさることに文句をつけるってか?」

「うん? サヴォナローラはこの『虚栄の焼却』とかいう祭りをやれとまでは言っていないはずだが。君たちが勝手にやっているだけだろう」

「え? そ、そんなはずは……あの方はあれを、人を堕落させるけしからん品々だと……!」

「そもそも君こそ話がずれている。私は、みっともないからどなるな、と言ったんだ。何が理由であれ、子どもを頭ごなしにどなりつけるのは効果が薄い。こわがられるだけだよ」

「……きっ……気に入らねえ。何であれ俺たちの正義を否定するやつぁ悪だ。ガキを連れて失せな! フィレンツェから出ていけ!」

「おや、話がかみあわないね。仕方がない。もう少し近くで見ていたかったんだが」

 シャルミラは僕の手を取った。

「遠くから見物することにしよう」

「は? こっちは出てけっつってんだよ!」

「そう堅いことを言うな」


 シャルミラは人混みに突っ込んでいき、男の追跡をかわした。離れたところから焚き火を見下ろす。

 僕はシャルミラの感性がさっぱり分からなかった。


「ほら見ろ、リイ。出てきた、あれがサヴォナローラだ。面白いだろう」

「いや、面白くないよ」

「おや、そうか……。しかし彼は厄介なことに、本気でいいことをしているつもりなんだよ。ぜいたくを禁止して、質素な生活をすることが、神の望むことであり、キリスト教徒のあるべき姿だと思っているんだ。その考えは一理あるが、彼がやたらもてはやされて担ぎ上げられて権力を手に入れてしまったばかりに、フィレンツェは変な町になってしまった。私は、面白いと思うんだが」

「いや、面白くないよ」

「そんなにか……」


 黒い服に身を包んだサヴォナローラは、焚き火を前に信者たちから説明を受けている。彼は、うん、と一つうなずいて、特に止めることもせずに立ち去ろうとしていた。


「そろそろ私が行くはずだよ」

「え?」

「確か、前にもここに来たからね。仕事で……時空の迷い子を連れて」

「……あっ、本当だ」


 茶色い髪をおだんごにまとめた、シャルミラと同じ背丈の人物が一人、黒髪の女の子を連れてサヴォナローラの前に走り出て行った。


「あれがシャルミラ?」

「あれが私だね」

「前に見たんならもういいのに……。何でシャルミラは、燃やされるところが見たかったの?」


 シャルミラは僕にほほえみかけると、楽しそうな顔で焚き火を見つめた。


「滅びゆく様は、儚く、悲しく、美しい。少しあこがれる。私は時空の狭間に永遠に閉じ込められて生き続けるものだと決まっていて、滅ぶことができないから」

「……そうなんだ」

「というのは半分で、もう半分は、人間が度を外れておかしなことをやっているのを見ると、『愚かな人類め……』という上から目線の神様みたいな気分になれて、愉快だからだよ」

「あ、そう……」

「前に仕事で行った革命まっただなかのフランスもね、『最高存在の祭典』という不思議な儀式を大まじめにやりだした時はとてもおもしろかったな……。私は手を叩いてよろこんだものだ。人間というのがいかに珍獣であるかをまざまざと見せつけられて、逆に感心したよ。でもあれは主催者が人を殺しすぎる人物だから、今思うと茶化しづらいな」

「……」

「案外ルワンダ虐殺も似たようなものなのかもね」

「えっ」


 その話が出てくるとは思わなかった。


「どこが?」

「センセーショナルな出来事をきっかけに、複数の人間がすっかり何かを信じ込んでハチャメチャな行動を取り始めて、それが異様にもてはやされて地域全体に広まっていく……という流れは、共通しているよ。フィレンツェとルワンダは。もちろん、ルワンダの方がうんと深刻だけれどね」

「……」

「思い込みというのはこわいものだ。それは宗教関係の何かだったり、政府の押し出している思想だったり……何でもいいが、悪質なものに引っかかると、理性とか常識とかを無視した行動にも、ためらいなく出るようになる。ああいうふうにね。不思議だ。人間という生き物の持つ習性なのだろうか。何とも破滅的な欠点だよ」


 僕たちは言葉少なに、遠い火を見つめていた。火が少し弱くなった頃、シャルミラは座っていた石段から立ち上がった。

「行こう」

「どこに?」

「今から考える。そうだな……」

「立ち上がってから考えるんだ……。っていうか、ティルダードは?」

「ん? あんなものは放置しておけばいいだろう」

「待って、放置しないで、俺も行くから」


 ぬっ、とティルダードが何もないところから出てきた。


「うわあ!」

「おや、ローマ観光はもういいのかい」

「それがよぉ……何かまだローマって大したことなくてさ……コロッセオくらいしか見るとこなかったんだ。だからバチカンに行ったんだが」

「そのかっこうで? よく捕まらなかったな」

「いや、捕まった。服装を怪しまれたんだが、俺はアイスランド人だと主張したら渋々解放してくれた」


 僕はわけが分からなかった。


「バチカンって、変なかっこうしてると捕まるの?」

「まあ、聖なる場所だからね」

「へえ。でもアイスランド人ならいいの……?」

「よくない。君、なぜアイスランド人などと言ったんだ」

「これがアイスランドのキリスト教徒の正装だって言ったんだよ。遠いから、誰も確かめに行けないだろ?」

「……。君のせいでアイスランドについて妙な偏見が広まったらどうするんだ。とりあえず全アイスランド人に謝罪しなさい」

「ごめんちょ。そんでもって、システィーナ礼拝堂やら、サン・ピエトロ大聖堂やら、のぞいてみたんだがよ……」


 ティルダードは肩を落とした。


「俺はミケランジェロが……ミケランジェロが見たかった。できたてほやほやのやつが。でもな……この年ではまだ、ピエタも、ダヴィデ像も、天井画も、最後の審判も……どれも生み出されていなかったっ!!」

「あー。まあ、うろ覚えあるあるというやつだな。五千年に比べたら、数年の差などないに等しい……。でも未完成の名所を訪れるのもたまにはあることじゃないかな。スペインのアレとか。そう、サグラダ・ファミリア」

「うー、アテが外れた。後で見に行こ」

「……」


 僕がぼんやりと二人の会話を聞いていると、シャルミラがこっちを見た。

「リイ、ねむいのか」

「……? んー……大丈夫だよ」

「アレだろ、シンガポールではしゃぎ倒した後だもんな」

「そうだな。一度休んでから次に向かおう。明日の朝までには行き先を考えておくよ。ティルダード、適当な宿を取っておいてくれ」

「何で俺が」

「かわいい後輩とかわいい迷い子のためだよ」

「リイはかわいいけどお前はかわいくねーぞ」

「おや……」


 シャルミラは右手を掲げた。


「よほど道化役が気に入ったらしいな」

「ワーッ待て待て待て、分かった、お前も見ようによっちゃかわいいよ! 宿を取ってくる!」

「フフ……よろしい」


 いろんな人から変な服だと言われているのに、大層な自信だなあと、僕は思った。まあ例のカラフルでズタボロの陽気な服装よりましなのは確かだが。

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