本と悪魔と猫の舌

淡島かりす

友人の主張

「なんで本屋に大学の過去問や問題集が並んでるんだろう」

 突然の友人の言葉に、私は反射的に笑ってしまった。言った内容が可笑しかったわけではない。なんと言うか、彼女の声の調子と言葉の長さ、それに間合いが絶妙だったからだ。しかし友人は私を見て細い眉をキリリと上げた。

「笑い事じゃないよ。これはあれだ。本屋としてのプライドに関わると思う」

「プライド。随分大袈裟だね」

「大袈裟じゃないよ。本屋には本が並ぶものでしょ。問題集は本じゃない」

「そうかな」

「あいつらは本の姿を借りた悪魔だよ」

「悪魔を二匹も買っといて何言ってんの?」

 そう言うと友人は少しだけ目を逸らした。先程まで、二階の参考書フロアで問題集の選別を行いながら悩んでいたのは、紛れもなく彼女である。どちらも数学の参考書だったこと、そして大学の過去問対策のエリアを不自然に避けていたことから考えると、よほど先週の模試の結果が悪かったのだろう。まぁ私も人のことは言えないが。

 本来なら本屋でダラダラと時間を潰さず、家に帰って予習復習に勤しむべきだった。だが悲しいことにやる気というのは滅多に心に芽生えない。

「これは悪魔退治だよ」

 どうにか言い訳を思いついたらしく、わざとらしい鼻にかかった声を相手は出した。

「この本屋から悪魔を消すための努力ってやつ」

「無駄だと思うけどなぁ」

「千里の道もアリの穴からだよ」

 違う気がする。それだと千里の道ではなく大きなアリの巣が出来そうだ。何か別のことわざが混じってしまっているのだろう。思いつくものはあったが自信はないので黙っていた。

「本屋には本だけが並ぶべきだよ。そう思わない?」

「別に思わない」

「本は読むもの。問題集は解くもの。ほら、全然違う」

「参考書は?」

「参考……するもの」

 それは流石にちょっと苦しい気がする。本人もわかっているんだろう。苦々しい顔だ。

「読んでるじゃん」

「あれは読んでるんじゃない。そう、物語がないと。参考書には物語が足らない」

「物語じゃない本なんて沢山あると思う」

「そうだけど、そうじゃなくて」

 うーん、と友人は頭を揺らす。中に入っている知識や経験をごちゃ混ぜにして、屁理屈を探し出そうとしているように見えた。やがて動きを止めると、その顔は再び笑顔になっていた。

「つまりね、本屋は本を買うためだけに存在すべきだって言いたいんだよ。問題集や参考書は塾とか学校で売ればいい」

「買うためだけ?」

「そうだよ。純粋な目的を持つことにより本屋は本屋になる」

 うんうん、と自分の言葉に感銘を受けたように何度も頷く。結局本の定義は曖昧なままなので、その結論には意味が無い気もしたが、私としてはそれよりも別のことが気になった。

「あーのさ」

「何?」

「冷めちゃうよ」

 指し示したのは彼女が三十分ほど前に買ったティーラテだった。湯気はもうとっくに無くなっている。それを見た彼女は「うわぁ」とこの世の終わりみたいな声を出した。

「冷ましすぎた……」

「冷めるの待つ間だからって自分で自分の話に夢中になるの、悪い癖だと思うなぁ」

「そう思う……。温いよう」

 マグカップに口をつけ、中身を飲んだ友人は悲しそうに言う。本屋に併設されたブックカフェは、今日も殆ど満席だったが、本を読んでいる人は殆ど見つけることが出来なかった。


END

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