死神ガロは抜けている

井田いづ

第1話

「ええっと、次は誰だっけ──」


 黒々と横たわる大河を眼前に臨む、或る河岸。河に突き出した桟橋を渡って、少しばかり開けたところに、傾いて建てられた貧相な小屋がある。

 そこで死神のガロは腕を組んでいた。


 彼女の目の前に積まれているのは、本だ。

 本、と一口に言っても多様な形を模している。羊皮紙、パピルス、和紙、洋紙、糸で綴じられたもの、巻物のようなもの、石に刻まれたもの(本というよりこれは石板)。豪勢な装丁、質素な装丁。

 それが目を離すとどんどん増えてくるのである。放っておくと何が何やらわからなくなるので、ガロはそれを絶え間なく(一秒の絶え間もなく!)記憶して、休みなく(人間で言うところの三百六十五日、二十四時間対応だ!)整理する。

 本には持ち主の名前が刻まれていて、それをしっかりと管理しなくてはいけないのだが、ガロはそれが苦手だった。次に記録が終わるのは誰の本か、記録が始まるのは誰の本か、なんてのを間違えるのもしばしば起こってはお上から怒られている。


 ここにあるのはただの本ではない。

 人の生き死にを刻んだ、死神の本だ(と、ガロは個人的に呼んでいる)。それを一時的に管理するのが死神の本屋(とこれまたガロが勝手に呼んでいる役割)であるガロの仕事だ。

 本屋は先ほど言った整理のほかに、綴じが緩んでいるものは修理したりもするし、ついでに店に来た死神お客様に合わせて本を出したり、受け取ったりもする。

 まあ、彼女に任されているのはほんの僅か──ここに積まれた本の山も、全体から見れば微々たるものなのだ。

 なにせ、ガロはまだまだ新人なので。



+++



 ガロはうっかり者だが、仕事にやる気がないわけではない。

 新しく生まれた命の為に、まっさらな本を用意して。

 終える命の為に、その人生が刻まれた本を用意して。

 或いはその命の軌跡を確認する為、一時的に本を借りていくこともあるから、その準備を行って。

 記録が終わった本は別にまとめておくのも忘れない。死神の本は基本的に始まりと終わりを記す時以外は店で管理して、記録が終わった後しばらくし経てば冥府の書架に仕舞われることになっている。今日はちょうど、回収の日だった。


 ぎぃぃ、と扉が鳴いて、振り返れば黒い塊が揺蕩っていた。この死神は新しい命に、本を与えに行くところらしい。

「よう、ガロ、新しいの頂戴」

「いらっしゃい。あんたの担当、何処?」

「■■の、■■■■■。人間」

ガロは慌てて本棚に向き直った。本の山に登って、手に取っては積み直し、手に取っては積みなおす。

「■■? 人間の新しいのはどこだったかな、ええっと……たしか……あったあった、ここからここまでね。はい」

「おう、ありがとよ」

「いってらっしゃい、人の間違えはしないでよ」

「常習犯はおまえだろ」

死神は揶揄うように片方の眉毛を持ち上げて笑う。ガロは口を尖らせた。


 次の客がやってくる。

「ガロー、期限が近い本ある? 誰でもいいんだけど」

「期限管理、期限管理、それは何処にしまったかな……ええっと」

ガロは本の山にまたもよじ登った。片付けた当初は「これで絶対見失わない!」なんて思っても、時間が経つと容易く記憶から抜け落ちてしまうものである。四苦八苦すれば、

「おいおい、こんなちっちぇ店なのに場所も覚えてねえの? 向いてねえよ」

下からけらけら笑われる羽目になる。

「そうは言ったって、毎日毎日増えるんだから」

「お前は記憶力悪いからなぁ。前にさ、終わる予定のない人の本を渡してきたもんな? 人違いで生きた人間を冥府に送った奴がいるんだってイットキ話題になってたぜ」

「もう! それは昔の話でしょ」

ガロはようやく、目当ての本を掘り出して死神に押し付けた。

「はい、これとこれは近いから、さっさと回収してきてよ。本、ちゃんと失くさずに返してよね」

「あはは、紛失のプロはお前だろうに」

返す言葉もないのでガロは閉口するしかない。


 次の客は、終わりの本を求めていた。

「次は……■■■? おかしいな、昨日まではあったんだけど、何処やったかな……これかな、はい」

「ありがとヨ。終わった本だからすぐ返しにくるよ。今日だったよね?」

「書架行きのこと? 次の便でいいわよ」

手を振って見送る。この間にも、本は増える。


 次の客は本の取り違えに戻ってきた。ガロは慌てて本を取ってくる。

「え! 本の取り違え! ご、ごめんなさい、こっちだったのね」

「まったく着く前に気づいてよかった──って、この本、もう時間ないじゃん! 急がないと!」

死神は新たに受け取った本を見て顔色を変えると、「帰ってきたらたっぷり文句を聞いてもらうから!」なんて言葉だけ残して去っていく。


 僅かに間が空いて、次の客。

 少し間が空いて、次の客。

 間が空いて、次の客。


 客が途絶える間の時間に、ガロは手近な本を開くことにしていた。多種多様な死神の本を読めるのは本屋の特権なのだが、読んでみるとこれが中々面白いのだ。

 表紙に刻まれた名前の人物が辿った軌跡、揺れる感情、見た夢まで残されて、読み応えは抜群。喩えるならば異なる世界の空想物語でも読んでいるようなものである。ガロは夢中になって読み耽る。


 しばらく経って扉がギィギィ鳴いた。

 次の客は、終わった本を回収する書架の死神だった。

「あれ、早い回収だ」

慌てて本を閉じて、手近なところに置いた。

「ちょうど近くに用があったんで。ついでにですよ」

「なるほど」

「ガロ、本は包んでくれてます?」

「終わってますよー、ここにあるやつ全部です」

ガロは賢いので予め分けて梱包しておいたのだが。書架の死神は表面の一冊を手に取ると、ぱらりとめくってため息をついた。

「……ガロ、まだ生きてるものが紛れてますよ。ほら、記録が動いているじゃないですか。ウッカリで命の記録を終わらせたら、あなたまた怒られますよ」

「エッ、アレッ、本当だ!」

「まったく、これで何件目ですか……」

慌てて梱包を解く。

 何冊か紛れ込んでいた本は確かに記録中のものだった。なんなら、まっさらな本も紛れている。慌てて近くに積み直したが、少し山が崩れて余計に片付ける羽目になった。

「……ガロ、悪いことは言わないから、あなたは回収班に行きなさいな。刈る腕前はあるんですから」

またも、向いてないと言われてしまう。

 確かに、適正はそうなのだが、好きなことは刈りではない。彼女は本に埋もれて、誰かの命の記録を読むのが大好きなのだ──ウッカリ、途絶えさせてしまうことがあるけれど。



+++



 命が生まれた瞬間に、死神の本は記録を始める。

 死神は生まれたての命に本を渡す。まっさらな本を持ち主に渡すことで記録は始まり、命が燃え尽きた頃に死神がその本に終わりを記すことで、一冊の物語を作るのだ。

 冥府の書架に仕舞われた瞬間に、記録は途絶えてしまうことになる。冥府の書架は深く深く、光も音も何も届くことはない。その場所に落とされたが最後、生きていた記録でも途絶えてしまうものなのだ。


「ウゲッ」

 ガロはやってしまった、と顔を顰めた。先ほど書架こ死神に渡した本に、読みかけの本が混じってしまっていた。ついつい面白くて読み耽って、仕事の時に慌てて近くに置いたのが、なんかの拍子に紛れてしまったらしい。あれは書架送りにはまだ早い。

 しかし書架を追うほど店を空けるわけにもいかず、仕方なしにガロは別の死神に店に来てもらうように段取りをつけた。

「ガァロ、おまえまたかよ」

会えば、にやにやと笑われる。

「暇だから取りに行ってくるけどよ、これで間に合わなかったらゲンコツだな」

「ごめん……」

「ま、小さい店でよかったな! ガロが大店を任されてたらと思うとゾッとするぜ。でもさ、あんまりこんなのが続くとさ、担当の死神諸共、底の河に溶かされちまうぞ」

 死の世界に流れる河は、あらゆるものを溶かすように造られている。いらないもの、たとえば、使えない死神だとかも。


 ガロは肩を落とした。おかしそうな笑い声は続く。

「溶かされる前に、役割を変えるのが賢いと俺は思うがね、ガロは嫌なんだ?」

「いやよ。たくさん本を読めなくなる」

「ヘマやって溶かされてもおんなじだろ」

「次は気をつけるもん……」

「どうだかなあ」

ガロはむすっとしながら、けれども自分のやらかしに巻き込んだ自覚はあるので、自分の懐からいくつかコインを取り出して、目の前の死神に握らせた。

「この間もらった管理費と、今回の手間賃」

「はいはい、そりゃどーも、じゃー承りましたよっと。おまえのとこ、いつか潰れそうで怖いな。潰れて、そん時にまだ溶かされなかったらそン時は諦めて回収班に入れよ!」


 爽やかに立ち去っていく死神の後ろ姿を見送ってから、ガロはげっそりと店に戻った。

 積まれた本はどんどん更新されていく。終わりかけの本はいつ受け取りに来ても良いように印をつける。もう少ししたら本を持って帰ってくる死神が来るだろうから、それ用に多少のスペースを開けておく必要もある。

 気落ちしていると疲れは増すようで(事実、死神には疲れもへったくれもないのだけれど)、身体は重いし、次の作業は面倒だし、これが本にあった気疲れかしら、なんて考える。そうなれば、必要なのは気晴らしだ。


「ちょっと休憩しよ……」

どうせ、皆河から来るのだし、河岸で読書をして待とう。そこなら店からも離れすぎてない。先に戻ってくるのは誰が先かしら、なんて考えながら、今日受け渡しがありそうな本を何冊か持って出る。


 ガロは桟橋までやってきて、早速本を開いた。綴られた文字に目を走らせて、口元を緩ませて、頁をめくる。読み終えたら、汚さないように引いた布の上に重ねおく。読んで、重ねて、読んで、重ねて、読んで。覿面にさっきまでのことが頭から抜け落ちていった。

「おーい、ガロォ」

 あんまり集中していたものだから。ガロはビクッと跳び上がった。遠くに死神の姿が見えたので、慌てて手を振って応える。


 さて。

 びっくりしすぎた時か、或いは手を振った拍子か。

 ガロはウッカリ手を滑らせていた。瞬きする間もなく、ゆっくりと本が黒い河の方へと吸い込まれるのが目の端に映る。やや大きめに、ぽちゃん、と水が跳ねた。全てを溶かす、黒い水──。

 ガロに向かって飛沫が跳んできて、ようやく彼女はウッカリに青ざめた。


(了)




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死神ガロは抜けている 井田いづ @Idacksoy

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