感謝を込めて

熊沢 莉々亜🧸

プロローグ

 なんともいえない温度の緩やかな風が私の髪をなびかせる。そこらじゅうに桜に花を散らしていく。まるで咲いていたことを隠すように。風で乱れ、視界を遮ってくる髪の毛をどかしながらただただわたしは歩いていた。世間的には春休みのようで元気な子供たちの声、春期講習を嫌がる学生の声がうるさいくらいに私の耳に入ってきた。世間はこんなにも明るいのにどうして私の心は私を映し出す影のように黒いのだろう。歩きながらこのことだけが自分の中で停滞している。君がいなくなってもこんなに世界は明るいらしい。あなたが消えたところで何も変わらないらしい。こんな世界が嫌になる。全部壊してしまいたい。そんな気持ち。風で舞い落ちる桜を見るたびに私の中にある君との思い出が一枚一枚散っていくような気がした。自分の中から何かがひらりと消えていく。すべてが消えてしまう前に一つだけ成し遂げないといけないことがわたしにはある。それが終わったら私もこの世界に別れを告げる。君が、Rがいなくなっても何も変わらなかった世界から私が消えたところで何も変わらない。目的地まであと少し、これを成し遂げられたらまた君に会えるのかな。そんな期待をわずかに持って私は進んでいる。目的地は町の中に急にできたようにしか見えない大きくもなく小さくもない山の奥。Rが消える前日、Rがこう言った。風がなびいて桜がきれいに舞い落ちる。そんな日に其方とあの山の奥であえることを祈っていると。Rはまだ葉が緑で鬱陶しい程暑く蝉がうるさいくらいにないていたあの日にすっと姿を消した。何も言わずにすっと。まるではじめから存在しなかったかのように。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

感謝を込めて 熊沢 莉々亜🧸 @cuu_524

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る