書店を歩く・2
店長は小さなカウンターの向こうにゆるりと腰掛けると、遠視用の眼鏡を鼻にひょいと掛けて新聞を読んでいた。
「店長」
「おや、
「ここの裏には何がある」
「裏?」
予想外の質問に、店長は首をかしげた。
「裏はスタッフルームだよ」
「その裏は?」
「そりゃあ裏路地だよ。ビルの上に繋がる非常階段とゴミ捨て場と……」
「なるほど、路地には店の横から回り込めばいいのか?」
「一応そこにも入口はあるよ」
店長が指をさした先に小さなドアがある。扉にガラス窓がついているわけではないので、ずっとバックヤードへ行くスタッフ専用の扉だと思っていた。まさか外に繋がっていたとは。
時間がない。
私は取り出したスマートフォンで旧友に連絡を入れながら、その扉を急いで開いた。
そこには、向かい側のビルの壁に追い詰められた少女と、刃物を振りかざした男の姿があった。
刃物を持った男を取り押さえていると、先ほど連絡を入れた旧友がすぐに駆けつけてくれた。
開口一番、呆れた声で説明を求められる。
「おいおい日向寺、どういうことだよ」
「どうやらこの男が女の子をストーカーしていたらしい。刃物まで持っていたから
「それは見れば分かる。私人逮捕ごくろうさん」
旧友はそう言いながら手錠を取り出し、男の手首にそれを掛ける。
そう。旧友は頼もしい警察官だ。
「詳しい事情は署で説明してもらうが、先に軽く聞いておこうか」
「いや、本屋の中を散歩してたら本の位置が入れ替わっていてな、元に戻すと裏に人がいることに気がついて来てみたわけよ」
「どうやったら本を元に戻すことで、店の裏に人がいることに気づくんだよ」
そこで私は旧友に説明した。
数学、経済、アフリカ史、天文学、西洋哲学、日本文学、建築学、東洋思想、英米文学。それぞれを日本十進分類法の数字に置き換えると、とある文字が浮かび上がってくるのだ。
「文字ぃ? ただの数字だろ。なんだっけ、よんじゅう……」
「41−33−24−44−13−91−52−12−93、だよ」
「ほら、数字だろうが」
「携帯電話が普及する前、ポケベルって流行っただろ」
「なんだよ唐突に。ああ、確かに流行ったな。昔は公衆電話に並んで数字を打ったりしたな」
「最初は数字しか遅れなくて『渋谷で五時』を『4285』なんて打ったものだが、後半になると数字を入れることでシステムが日本語変換してメッセージを送ってくれたよな」
「ああーなんだっけ、五十音表があったよな。あいうえおを1〜5の数字に当てはめて……あっ!」
旧友もようやく気がついたようだった。
そう、私が書店で一生懸命追いかけていた分類を表す数字は、同時に日本語のメッセージでもあったのだ。
ひらがなの母音を1〜5の数字に順番に当てはめ、子音もまた同じように1〜0の数字に当てる。『あ』は『11』と表現し、『い』は『12』と表現する。『か』は『21』と表現し、『き』は『22』と表現する。
その方法で数字を日本語に変換していくと……。
「た、す、け、て……う、ら、に、い、る!」
「そ。それで、彼女」
私はそこでようやく壁際に座り込む少女へと手を差し伸べた。
大学生くらいだろうか。書店の中で最初に本を並べ替えていた頃の私の推測は、あながち間違っていなかったかもしれない。
当然ポケベルなんて知らない世代だろうが、よくメッセージを思いついてくれたものだ。刃物を持ったストーカーに後をつけられていて、あからさまに助けを呼べなかったのだろう。
特に、ここのじじい店長に助けを求めたところで、二人仲良く刺されていた可能性すらある。とはいえ、店の裏に隠れていたところで必ず助けが来るとは限らない。
それでも彼女は、書店内にちりばめた暗号に
「しかし
「ああ、最初はだらしない高校生もいるものだなと思ったが、入れ替え場所が綺麗に一周してしまったのでね」
「一周するのとしないで、なにか違うのか?」
「大いに違う。本の場所が違うと元に戻したくなるのは何も俺だけじゃない。そもそも店長だって定期的に書棚をチェックしているしな。それが、文字がちゃんと繋がるように一回りしたってことは、まだ誰も本の場所を整理していない——本が入れ替えられてさほど時間が経っていないということだ。文字がきちんと一巡すれば、どこの本から手に取っても並べ替えることでメッセージは伝わるしな」
「なるほどな。お前、ちゃんと探偵なんだなあ」
「お前は一言多いんだよな」
旧友の言い草に、私は思わず苦笑いをこぼした。
さてさてこの後は警察署で事情聴取だ。私も状況説明で同行が必要なのだろう。
穏やかな散歩はまた日を改めるとしよう。
街角探偵は書店を歩く 四葉みつ @mitsu_32
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます