無限堂書店

λμ

最初の一冊、次の大作。

 『無限堂書店』


 と冠する本屋に入り、私は思わずまたたいた。

 狭苦しく四角い空間に棚が三つ。三方の壁にも棚。ポップがないのはともかく平置きもないのは意外だった。

 しかし、本の少なさに納得もある。

 

「いらっしゃい」


 と、店員らしき少女が言った。銭湯の番台に似たカウンターで本を読んでいた。

 会釈し、私は店内を巡った。

 物珍しい装丁に知らない社名。猫の写真集の隣にポケット物理学が差してある。

 奇妙だが、一冊たりともわからないのは新鮮で、私は何か軽い一冊をと思い、祥緒と題する薄い文庫を開いた。


『祥緒と名付けられる少女が産声をあげたらしい』


 らしいとは何事か。

 私は思わず吹きだし、本を手にカウンターに行った。


「あのこれ――」

「はい。では原稿を」


 言って、少女は両手を広げた。


「はい?」


 私が首を傾げると、少女は下を指差した。カウンターの横板に『代金は原稿で頂戴いたします』とあった。


「当店で販売する本になります。装丁と出版社名はご指定いただけますが、既存の社名は使えません。アレなので」

「アレなので」


 知らないはずだ。原稿を提供し、誰かが書いた本を買う。自給自足の先鋭である。


「……私、書いた経験が……」

「写真集もありますよ。お買い求めの本以上のページを納品していただければ、それで。どなたでも、書くものを選ばなければ一冊は書けるものです」


 そう言われると、そんな気もしてくる。

 私は『祥緒』の末尾を開いた。百二十ページ。なんとかなるかもしれない。

 

「じゃあ、この本を取り置いて――」

「できません」


 少女は無慈悲に微笑んだ。


「お急ぎ下さいね」


 それからの一週間は、私の生涯で最も集中した時間かもしれない。

 苦悶の果てに短い自伝を書き、念願の『祥緒』と引き換えてもらって。

 やがて私の本が棚に並び消えたとき、奇妙な高揚をおぼえた。

 私はいま、一冊五百ページ全七巻からなる『無限堂書店』を目指し奮闘している。

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無限堂書店 λμ @ramdomyu

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