初恋の記憶
涼月
初恋の記憶
ショッピングセンター内にある大型書店。
足を運んだのは何年ぶりだろうか。最近はネットでいくらでも本が頼めるし、Web小説も読みたい放題。わざわざここへ来る必要は無い。
それにも拘らず今ここにいるのは、この春高校へ進学する娘の辞書を選びに来たから。学校からいくつか紹介されていたのだが、どれが使いやすいのかは実際に娘が手に取って選んだ方が良いだろう。そう思って引っ張ってきたのだが、当の本人は大して興味が無い様子。適当に「これでいいよ」と私に手渡すと、さっさと漫画のコーナーへと行ってしまった。
ぽつんと残された私は抱えた辞書の会計に向かおうとして、ふと気が変わった。
久しぶりだし、ゆっくり見てみよう。
散歩をするような足取りで左右の棚をゆっくりと眺めながら、宝物を発掘するかのように心の琴線に触れる言葉を探す。
文庫本のコーナーに差し掛かった時だった。ふわっと視界が開けるように、懐かしい文字が飛び込んできた。
『ロッカ星へようこそ』
「あ……」
思わず零れ出た声。ポンと記憶が弾けて心を震わす。
安藤君……
中学二年生の時、同じクラスだった男の子。クラスの中心的グループの一人で、頭が良くてみんなから頼りにされるブレーン的存在だった。
背は高い方でスタイルも良くて、爽やかな醤油顔。
当時の私の憧れの人。
そんな彼と本屋さんで出会ったのは偶然で、人生最大の幸運に思えたものだ。
当時から本が好きだった私は、休日はよく近所の本屋に行っていた。貯めたお小遣いは貴重なので、買う本は慎重に選ばなければならない。だから何回も足を運んでとっておきの一冊を決めていたのだ。と言っても、ここみたいに広い本屋では無くて、三列の通り道があるだけ。その左右には雑誌コーナー、文庫本コーナー、ラノベや漫画のコーナー。後、少しだけ絵本と学習本が置かれているだけの小さな本屋だった。
私がもっぱらうろうろしていたのは、ラノベコーナー。歳頃らしく、学園ラブコメを読んで恋に恋してキュンキュンしていた。
実際には、憧れの人と会話することもままならないけれど、本の世界ではモテモテの女の子にだってなれたし、憧れの人と一緒に妖退治だってできる。時には病に倒れて好きな人と添い遂げられない悲しみに涙した。
そんな私が、初めてリアルにドキドキした瞬間。それがあの時。
買いたい本を見つけて、ふと隣の列へと視線を移した先に彼を見つけた。制服では無くて普段着だからとても新鮮だった。
安藤君は真剣に書架を見つめて本を選んでいる。
彼も本が好きなんだ。そう思うと、共通の趣味を持っているようで一気に嬉しくなった。でも、話かける勇気は無くて、こそっと本棚の陰から彼を盗み見ていた。
ようやく決まった本を手に、彼がレジへと向かおうとして顔を動かした瞬間。
カチリッと視線が嵌った。
安藤君と私の視線―――
記憶を辿るように一瞬停止した瞳が、私のことを思い出したようだ。少しだけ温かみを帯びる。そして、ちょっと恥ずかしそうに揺らすとぺこりと頭を下げてそのままレジへと歩き去って行った。
たったそれだけ。
ほんの二秒三秒のこと。
でも、私にとってその
安藤君、どうしているかな?
当然ラノベのような恋の進展は無く、クラス替えの後別々の高校へと進んだ。
その後の彼のことはわからない。
でも、あの一瞬は、私にとって大切な初恋の記憶だ。
彼が去った後、私は彼が手にしていた本を購入した。それが、この『ロッカ星へようこそ』だった。一話完結の物語が六話収録されていて、ロッカ星に住むルカと言う研究好きな男性が、星を訪れる悩みを持った人々の助けになるような発明をしてあげると言うハートフルSFストーリーだ。
頭脳明晰な安藤君と、研究熱心なルカが重なった。
きっと今頃安藤君も、人々のためになるような研究をしているんじゃないかしら……
「ママ、何にやにやしているの?」
私の邂逅は娘の声で終わりを告げる。
「え、ニヤニヤしてた?」
「うん」
「そっか」
「なんだか機嫌良さそう。ねえ、これ買って」
隙ありっとばかりに娘が差し出してきたのは、お小遣いで買うにはちょっとだけ高いイラスト素材集。彼女にとってこの本が、どんな記憶と結び付くことになるのだろう。
そんなことを夢想して、私はついつい甘い答えになる。
「いいよ」
「やった!」
どうぞ幸せな記憶となりますように。
二人で肩を並べてレジへと歩き出した。
fin.
初恋の記憶 涼月 @piyotama
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます