六花とけて、君よ来い

碧月 葉

六花とけて、君よ来い

 何か大切な事を忘れている気がする。


 そんな感覚に囚われる事ってみんなあるのかな?

 顧客との約束とか、会社への提出物とかそんなんじゃなくてさ、もっと大きい何かを忘れてしまっているような感覚。

 知らないはずの光景が頭に浮かんで、胸が締め付けられるような懐かしいような気持ちが湧き上がると同時に何かが抜け落ちているような感覚。

 

 僕は結構昔から…… そうだな、小学生くらいから胸の奥にそんな空洞を抱えてきた。


「人より早く来た『中二病』、そして未だに治らない『中二病』」


 友達にはそんな風に診断されたけど……。

 うーん。

 平凡である事を受け入れられない、拗らせた大人になりつつあるとかだと嫌だな。

 

 僕はこの春で社会人2年目。

 コンピュータシステム設計をして、それを仕様書に落とし込むのが仕事だ。

 人の未来を創る先端技術者を夢見たのは今は昔、就職してからは只々忙しい。

 予期せぬトラブルや開発途中の機能追加依頼は日常茶飯事で、次から次に仕事がやってくるんだ。

 会社の掲げる「ワーク・ライフ・バランスの実現」というキャッチフレーズも虚しく、休職者や退職者がポツリポツリでて、僕にもその皺寄せがきている。


 残業、残業、残業。

 最近は朝から深夜までプログラミング言語とばかりつき合って、日の光を浴びていない。

 3月、4月の時間外はいずれも100時間越えそうというブラックな状況には流石に疲れてきた。

 

 脳が疲れすぎるとデジャヴを感じやすくなるという。

 最近特に胸の奥の穴が気になるのは、ただの疲労か、中二病か、それとも本格的な病気の前触れか。


 いよいよ休みを取らないとマズいかなと思ったある日、実家から「大事な相談がある。帰ってこい」という電話が入った。



.・*・.・*・.・*・.・*・.・*・.



 ほとんど使わずに繰り越していた年休を2日使って、僕は久々に田舎に帰った。

 都心から新幹線と電車を使って3時間半の、のんびりとした山間の村が僕の故郷だ。



「んでな、おめぇの物もいっぺぇ出てきたから、ちょっと見てくんにか。なげられるものはなげちまうから」


 座敷にデンと積まれた段ボール。


「僕を呼んだ理由ってコレ?」


「んだ。大事なもんまで処分しちまって、後でしょんぼりされるのは嫌だべした」


 ゴミ袋と新しい段ボールを幾つか置いたかあちゃんは「んじゃな」と言い残し農作業に出かけてしまった。


 「大事な相談」なんていうから、実家の一大事かと思って帰って来たのに損をした。

 じいちゃんが認知症だとか、両親が熟年離婚を考えているとか、農家を継いで欲しいとか。どんなガチ話が出てくるかと本気で心配した時間を返して欲しい。

 蔵の掃除をして出てきた荷物の整理をしろだなんて。


 僕は仕方なく自分の名前の書かれた段ボールを開いて、要るものと要らないものを分け始めた。

 

 3つ目の箱には小学生時代の思い出が詰まっていた。

 卒業証書、自由研究のノート、夏休みの日記帳なんかもとってあった。


「へぇ、これって……」


 手に取ったのはB4サイズのスケッチブック。少しくすんでしまった黄色い表紙をめくると、ピンク色が飛び込んできた。

 紙いっぱいに書かれた桜の花だ。

 次のページは花びらを丁寧に描いたお日様のようなたんぽぽ。

 アメンボのいる水たまり、テカテカしたダンゴムシ、蔓が豪快に伸びる朝顔、透明な羽を頑張って再現したミンミンゼミ……。

 

 懐かしいな。

 季節を写したようなスケッチの数々、これはただのお絵描き帳じゃなくて小学5年生の時の宿題帳だ。

 担任先生が理科の先生で、週末の宿題は観察スケッチが多かった。

 僕は虫取りや魚取りで野山を駆け回っている子どもだったので、先生の宿題は大歓迎だった。

 週末には自転車にスケッチブックを突っ込んで村じゅうを走り回ってたっけ。


 畳に座り込んで次々と見てしまう。

 季節は春夏秋と移り変わり、冬のページがやってきた。

 枯葉や枝をからめて枝からぶら下げるミノムシのページを捲った時。

 ゴウと風が鳴った。

 庭のハナモモが花びらを舞わせている。


 次に描かれた絵を見て、胸の奥で何かがカシャンと音を立てて壊れた。


 『ライトブルーの色鉛筆で描かれた繊細な樹枝状の雪の結晶』


 どうして僕は今まで忘れていたのだろう。


 この絵を描いた日、僕は夢中になって雪の中を歩き回って絵を描いていたせいで帰宅が遅くなり、遭難騒ぎになってしまった。

 親父にしこたま叱られたのはずっと覚えていたにどうして?

 あの日、僕におこった出来事はそれだけじゃない。

 「出会い」があった。



.・*・.・*・.・*・.・*・.・*・.



14年前


「『雪は天から送られた手紙』っていうんだ。上空がどんな状態か教えてくれる。というわけで今週の宿題スケッチは『雪の結晶』だよ。どんな型が集まるか先生も楽しみだぁ」


 すごいすごい、面白い‼︎

 僕は直ぐにでも調べてみたくなった。

 冬になると当たり前のように降って積もって、村を真っ白にしてしまう雪にそんな秘密があったなんて。

 水は氷になる時、最初は六角形になって、そのまわりに水蒸気がくっついて、枝が伸びたり、板が大きくなったりして「雪の結晶」が出来るんだって。

 そしてどんな形になるかは気温と湿度によって違うらしい。

 僕の住む場所では、今日はどんな形の雪が降っているのだろう。


 今、風はほとんど無く、空からはひらひらと小さな雪が降りてきている。

 チャンスだ。

 僕はスキーウェアに身を包み、黒い手袋にルーペとスケッチセットを持って外に出た。

 

 鼻の奥がツンと痛いけれど、それだけ観測日和という事だ。

 僕は舞い落ちてくる雪片を手袋で受け止めた。

 ルーペで覗くと、それはダイヤモンドの彫刻みたいに綺麗だった。

 自然って凄いや。

 冬になるとこんな綺麗なものを山ほど地上に降らせていたんだ。


 雪の結晶は全く同じ形のものはない。

 もっと他の場所では?

 標高が高いと違うのかな?


 僕は雪の美しさに夢中になった。

 好奇心の赴くまま歩き続け、気づけば山道を大分登って来てしまった。

 辺りは一段と冷え込んできた。だんだん帰らないとまずいかも知れないと不安になった途端天気が変わった。

 小さかった雪はビンポン玉くらいに大きくなった。

 風は強まり吹雪になり、真っ白で何も見えない。

  

 案の定、道に迷った。

 

「ひいじいちゃんの弟は山で死んだ。ある日山に行って二度と帰って来なかった」


 昔そんなことを聞いた気がする。僕もそれを同じになってしまうかも……。

 山の中でひとり。どんどん心細くなる。

 何十年も先だと思っていた「死」が目の前に迫った気がして涙が出てきた。

 とにかく山を降りたくて、下りだと思う方へ進んだ。



「動きまわると死ぬぞ」


 ふとかけられた声にびっくりして振り向くと、女の子が立っていた。

 年は僕と同じくらいだろうか。

 首元と袖口には真っ白いフワフワが付いている水色のポンチョみたいなコートを着た、とても可愛い子だった。


「君は雪の精?」


「⁉︎ …… わしは雪女でも雪ん子でもない。お主を喰ったりはしないからついてこい」


 僕は良い意味で言ったつもりだったんだけれど、彼女はむっとしたような表情を浮かべた。

 そして僕の手を引いて吹雪の中をずんずん進み、洞窟のような所へ連れていった。


 中は、ほんわか暖かかった。

 どこから取り出したのか、彼女はふかふかした敷物が敷き、花の形のランプに明かりを灯した。


「ほら」


 促され、腰を下ろした僕に彼女はマグカップを差し出した。


「美味しい…… はぁぁ、生きかえったぁ」


 はちみつの香りがする飲み物のおかげで、僕はお腹の中からぽかぽかしてきた。


「馬鹿ものが。雪山は危険だと親から教わらなかったのか」


「ごめんなさい。雪を追いかけて夢中になっちゃった……ほら、今日見つけた雪の結晶」


 僕はスケッチブックをその子に渡した。


「ふうん。上手いな」


「へへ、ありがとう。僕の家の周りとさ、この山を登ってからじゃ形が違うんだ。面白いし凄く綺麗だった」


 彼女はページをめくる。


「草も葉っぱも虫の木もね、じっとみているとこれまで気づかなかった姿が見えてきてワクワクするんだ。それをしっかり描き残したくなる」


 彼女が思ったよりもじっくり見ているから、僕は嬉しくて恥ずかしくて色々と説明してしまった。


「絵描きになりたいのか?」


「まだ分かんないや。サッカーもやりたいし、宇宙にも行きたいし、ゲームも作ってみたい」


「色々とやりたい事があるのだな」


 彼女は優しく微笑んだ。

 何だかドキドキする。


「君はないの? なりたいものとかやりたい事」


「わしはもう決まっているからな。やる事といえば、待つ事くらいじゃ」


「何を?」


「…… 分からん」


「それでも待っているの?」


「ああ。でも、いつか必ず来るはずじゃ。とはいってもわしに出会うことがそやつにとって真に幸せとは限らぬがな」


 少し寂しげな彼女の言葉から、待っているのは人なんだと分かった。彼女は誰かを待っているんだ。


「君の待ち人がどうかは分からないけれど…… 僕は君に会えて嬉しかったよ」


 せめて僕はと思って素直な気持ちを伝えると、彼女は嬉しそうな切なそうな顔をした。


「わしもお主に会えて嬉しかった。しかし、そろそろ帰る時間だ」


 洞窟の入り口がさっきより明るくなっていた。

 僕は、このまま彼女と離れてしまうのがひどく悲しく感じた。

 もう寒くは無いのに、鼻の奥がツンとしてきた。


「また君に会える?」


「そうじゃのう………… この雪が溶けて、また積もって、また溶けて。それを、10回以上繰り返した後、それでもお主がわしを覚えていたならばまた山に登ってくるが良い。それまではお別れじゃ」


 彼女の唇が額に触れた。

 びっくりしたけれどその柔らかさが心地良くて、胸の奥がじわっと温かくなって「このまま溶けてしまってもいいのにな」そう思った。


 そんな不思議な幸せに包まれて…… 気がつくと、僕はいつのまにか村の入り口に立っていた。

 絵を描いていた事以外、何があったかは記憶からすっぽり抜け落ちていて、正体不明の「幸福感」と「喪失感」だけが胸の中をぐるぐるしていた。

 


.・*・.・*・.・*・.・*・.・*・.


 

 そして現在


 胸の奥が騒いでいる。

 ぽっかり空いたままだったこの穴を埋めたがっている。

 僕はいても立ってもいられずに、家を飛び出し山道を登った。


 里より遅い山の春、薄暗いことの多い林床もこの季節は明るい日差しが降り注ぐ。

 落ち葉の間からカタクリ、キクザキイチゲが顔を出し早春の山を彩っていた。

 しばらく登っていくと、山の斜面いっぱいに福寿草が咲いている場所があった。



「なんじゃ、思い出してしまったのか」


 彼女はちょうど僕と同じ年くらいの姿で現れた。

 黄金の野に降り立つ薄萌葱色の衣を纏った女神。

 あたたかい微笑みは、セリフと合っていない。


「ずっと待っていたくせに」


「ああ」


 差し出された手を取る。

 あの日と変わらない温かい手。 

 僕は屈んで手の甲にキスをした。

 彼女は少し驚いたようだが、花が咲いたように笑った。


「君を待っていた」


 春は爛漫。

 見下ろせば、梅も桜も林檎も季も、競い合うように咲き誇っている。






—— 山の神さまは女神さま

   山の神さまは恋をする

   人の男に恋をする


   女神さまは伴侶を選ぶ

   愛しい男を側に置く

   男がその命を終えるまで


   山の実りが少ない年は

   男が天に昇った時

   女神さまの心が凍え

   山はくすんでしまうのだ

 

   再び恋をする日がくれば

   山も里も華やかに彩られ

   大きな実りがあるだろう 


   我らも待とうその時を ——


      『村のわらべ歌』より

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