しあわせ書房~昼下がりの出会い~

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昼下がりの出会い

 生暖かい春の風が吹き抜ける私鉄沿線の商店街。ファーストフードや居酒屋、食料品店が立ち並ぶ一角に、小さな本屋「しあわせ書房」がある。

 一体いつ創業したのかは知らないけれど、「しあわせ書房」と書かれた文字は傍目から見えにくくなるほど薄くなり、外装は所々壁が剥がれ落ちていた。

 店頭に雑誌や新聞が無造作に入れられたラックが並び、薄ぼんやりとした蛍光灯が灯る狭い店内には、所狭しと背丈の高い本棚が並んでいた。

 僕・堀田健斗ほったけんとは学校帰りにこの書店で立ち読みをして帰るのが習慣になっていた。

 いつもならば軒先のラックに置かれている週刊誌ばかり読んでいるが、今日は店の奥にある文庫本のコーナーに足を踏み入れた。

 最近付き合い始めた同じゼミの杏樹あんじゅが作家の重松清しげまつきよしのファンで、デート中に杏樹と話を合わせるにあたり、重松清の作品を何かしら読んでおこうと思ったのだ。


 文庫本は、著者の苗字を元にアイウエオ順に並べられていた。文庫本は、小さい上に字が細かくて途中から読むのも嫌になってしまう。


「えーと……重松清……アイウエオ順で行くと、この辺りかな?」


 僕は著者名一つ一つ確かめながら重松清の作品を探そうとしたが、狭い木造の棚に押し込められるように並べられた本の数々から、自分の読みたい本をすぐに探し出すのは至難の業だった。ようやく「シ」の列にたどり着くと、僕は慎重に一つ一つ著者名を確認し、ようやく「重松」の苗字が僕の眼中に飛び込んで来た。


「あった! でも色んな作品があって、まずはどれを読んだらいいか分かんないや」


 重松清の名前をようやく探り当てたものの、作品がたくさんあり、それらを一つ一つ確かめながら読むには時間がかかりそうな気がした。


「なんだ、またあんたか。あれほど立ち読みはダメだって言っただろ。立ち読みするならちゃんと買っていきなよ」


 本棚を片っ端から漁りながら立ち読みする僕のそばを、店主の老婆がほうきを持ちながら訝しげに睨んでいた。僕はいつもこの店で雑誌を買うことなく立ち読みして帰るので、店主からはあまり良い印象を持たれていなかった。

 正直僕としてはこれ以上立ち読みはしたくなかったが、杏奈との話題作りのためにも、このまま何も買わずに帰ることはできなかった。掃除しながら時折僕を睨む店主の目線は、だんだんきつくなってきた。ああ、僕はどうしたらいいんだろう……すぐに選べと言われても、ちょっと読んだだけでは面白いかどうか判断できないし。


「重松清先生の本がお好きなんですね」


 突然僕の後ろから、透き通るような綺麗な女性の声が聞こえてきた。

 僕は後ろを振り向くと、新刊の本が入った段ボールを抱えながら僕を見つめる、エプロン姿の若い女性がいた。

 あれ? この子、店員さん? この店にこんな若い子、いたっけ? 僕の知る限りでは、この店は白髪の老夫婦が二人だけで切り盛りしているはずなのに。


「あの……好きか嫌いかの前に、まだ読んだことが無いんですよ」

「え? 読んだことない? すごく泣ける作品がいっぱいあるのに、もったいない! 」


 女性は段ボールを床に置くと、手を腰に当てて顔をしかめた。


「ま、まあ……知り合いが面白いから読んでみろって言うから、とりあえず何か一つでも読んでみようと思いまして」

「素晴らしい! 重松先生の作品を面白いと言ってくれるお知り合いがいるんですね。じゃあ、私のおすすめの作品をちょっと探してみますね」


 そう言うと、女性はポニーテールにした栗色の髪を揺らしながら、棚から文庫本を数冊取り出すと、僕の目の前に差し出した。


「『とんび』は不器用でがらっぱちな父親が孤軍奮闘で一人息子を立派に育て上げるお話です。『流星ワゴン』は生きるのに行き詰った男が人生をやり直そうとするお話です」


 女性は笑顔で一冊ずつ僕の目の前に本を差し出しながら、丁寧に解説してくれた。


「じゃあ……どっちも読んでみるかな」

「ありがとうございます。どちらもすっごく泣けますから、読むときはハンカチを手放せませんよ」

「ハハハ……そんなに泣けるんですか」


 女性は本を花柄の可愛らしい包装紙にくるむと、僕にそっと渡してくれた。


「今度、感想を聞かせて下さいね」


 そう言うと、女性は再び段ボールを持って新刊を並べ始めた。

 僕は買ったばかりの本を手にしたまま、しばらく女性の後ろ姿を見ていた。

 彼女は刺繍が施されたエスニック風の茶色のチュニックに、膝から裾にかけてゆるやかに広がるフレアジーンズを着こなしていた。ポニーテールの髪が揺れるたびに見える綺麗なうなじ、そして、広がったズボンの裾を揺らしながらちょこまかと歩く可愛らしい後ろ姿……僕の気持ちはいつの間にか彼女に吸いとられそうになっていた。

 やがて店主の老夫婦が店の奥から出てきて、女性に声を掛けていた。


椎菜しいなちゃん、少しは休んだらどうだ? まだ働き始めたばかりだし、女の子一人で全部並べるのは大変じゃないのか? 」

「ううん、全然大変じゃないよ。こんなにたくさんの本に囲まれて、嬉しくて楽しくて仕方が無いんだもん」


 椎菜っていう名前なんだ、あの子。可愛い名前だな。見た感じ、年齢も僕と同じ位なのかもしれないな。


 その時、僕のズボンのポケットから軽快な電子音が突如聞こえてきた。僕は慌ててスマートフォンを取り出すと、画面に「杏樹」という文字と彼女の電話番号が表示された。


「もしもし、杏樹か? うん、今、駅前だけど……わかってるよ、これから一緒に食事する約束、忘れてないからさ。そうそう、俺、重松清の文庫本を買ったんだ。後で一緒に読もうよ」


 電話の向こうから、杏樹の嬉しそうな声が聞こえてきた。

 今夜は杏樹と一緒に、さっき買った本を読みながら過ごすつもりだ。杏樹とのデート、重松清の作品の話でいつも以上に盛り上がりそうな気がする。けれど僕は、椎菜のことがどうしても頭から離れなかった。僕の足はどんどん店から離れていくのに、店と椎菜の後ろ姿をいつまでも遠くから見つめ続けていた。

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