他人の飯には 🍚

上月くるを

他人の飯には 🍚





 たしか評論家・唐木順三さんの随筆だったと思うが、家の前を通る荷車にぶら下がって車曳きの怒りを買い、物のように地面に叩きつけられたという七歳の痛い追憶。




 ――アンラッキー7。(/ω\)



 それまではあたたかな家庭しか知らなかったが、一歩おもてへ出れば、他人さまは必ずしも自分に親切でないどころか呵責なき憎悪の対象にされることを幼児は悟る。


 数十年前に拝読したとき感じた身体の痛みをいまだに記憶している文学の力に驚きつつ、同様にひんやりした不人情を、小川未明さんの掌編『石段に鉄管』で知った。


 


      🦗




 行く当てのない母子三人が大きな屋敷の石段に腰かけていると、なかから出て来た男に「ここは乞食(当時の表現)の休む場所ではない」すごい剣幕で追い払われる。


 少し歩いてから十一歳の兄は「なんだい、そんな石段、減りはしないじゃないか」精いっぱいの抵抗を投げつけるが、幼い弟には、どうして叱られたのか分からない。


 歩き疲れた母が子どもたちをつぎに座らせたのは、暗い電信柱の下の鉄管だった。

 年端もいかない弟は暗さをきらったが、母と兄は明るいところを恐れていた。💧


「冷酷な建物の蔭になっている暗いところで、しかも冷たい鉄管の周囲まわりで、哀れな三つの影は、こうしてうごめいているのでありました」で1924年の景は終わる。


 


      🐜




 またまた青臭くて恐縮だが(笑)身内VS他人、究極のエゴイズムがここにある。

 恐ろしい形相で罵った男も、これが自分の母親や弟たちだったらどうだったろう。



 ――他人の飯には骨がある。



 身を凍らせる諺が日本にはあるが、彼の戦争好きなロシアの高官だか軍人だか軍需産業の経営者だかが言い放ったという、ウクライナの子どもたちへのあまりな非情。


 同じ人間として目や耳を塞ぎたくなる無慈悲を連日のように見聞きさせられると、「この愚か者!!」がつんと鉄槌をくだしてくださるなにかにすがりつきたくなる。




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