夏の星空、隣に立つ君
雨宮こるり
第1話 夏の星空、隣に立つ君
星の煌めく夜空の下、あたしはひとりロマンティックムードに浸っていた。
あれは夏の大三角形かしら?
とても赤い星はアンタレス?
かつて想像豊かな古代の人々が生み出した物語など頭に思い浮かべながら、今度は視線を下ろし、ベランダの欄干に組んだ腕を置いて、その上に顎を乗せる。
さして高くもない建物の3階から見えるのは、同じ形の建物だ。
側面に付いた数字こそひとつ違うけれど、全く同じつくりの、同じ建造物。
そう、ここは43棟を有するマンモス団地の中の1棟なのである。
洗濯物のしっかり取り込まれたがらんとしたベランダ。
どこの家も、物干し竿が二本横に通され、室外機が置かれている。
綺麗に鉢植えを並べているところもあるけれど、暗くて夏を盛りと咲いている花の色も見えない。
がらりと音がして、顔を上げ、振り向くと、廉太郎が首に白いタオルをひっかけたTシャツ、短パン姿で立っていた。
濡れた髪の先から、雫が落ちて肩口を濡らす。
「ちょっと、夏とはいえ、風邪ひくよ? ちゃんと乾かしなさい」
注意するように言うと、廉太郎はあからさまに顔を顰め、息を吐いてから、肩に掛けていたなんとか工業とその電話番号の書かれたタオルを引っ掴み、頭に乗せる。
そして、これでいいんだろと言いたげな顔をして、両手でわしゃわしゃと髪を拭いた。
何だか水浴び後に飼い主に拭かれている犬を髣髴とさせるその姿に、ついクスっと笑ってしまうと、廉太郎はタオルの間から避難がましい瞳をこちらに向けた。
「なんだよ。おまえが拭けって言ったんだろ?」
「ごめん、ごめん。なんか、面白くなっちゃって」
ぼふっと音がして、視界が覆われた。
石鹸の香りのする湿ったタオルが顔に投げつけられたのだ。
急いで顔からタオルを引きはがし、廉太郎を見る。
文句を言ってやろう。
けれど、言葉が出なかった。
廉太郎はあたしの背後に広がる星空に見入っていた。
まだ乾ききっていない濡れた髪、黒い瞳には瞬く星の輝きが映っている。
白い袖から伸びる腕は逞しく、窓枠に立った彼は、いつもよりさらに背が高かった。
その姿に、なぜだかどきっとして、何も言えなくなってしまったのだ。
あたしと廉太郎はいわゆる幼馴染だ。
しかもお隣さん。
今夜は、谷崎家(廉太郎の苗字)のお風呂の調子が悪いらしくて、我が家の風呂場を貸し出している。
そして、今、夜風に当たっているのは、私の部屋のささやかなベランダ。
廉太郎はいつも、当たり前のように私の部屋に入って来る。
団地のお隣同士って、ドアも真正面に位置していて、距離もものすごく近いものだから、何だか他人って感じがしないのよね。
しかも、それが家族ぐるみのお付き合いとくれば、お互いの家も「勝手知ったる我が家」並みになってしまう。
とういうわけで、我が家の浴槽に張られた熱めのお湯に浸かった廉太郎は、入浴後、当然のように、花も恥じらう乙女の部屋に入って来たというわけ。
しばらくして、廉太郎は顔を下ろすと、地面に投げ出されたサンダルをつっかけて、ベランダに下りてきた。
そして、あたしがさっきまで体を預けていたあたりに立って、欄干に両腕を組んで乗せ、さっきのあたしのように天を仰ぐ。
その後ろ姿を見て、自分の鼓動を意識しながら、廉太郎の隣に並んだ。
両手を後ろで組んで、顔を上げる。
ほのかな石鹸の香りが鼻孔をくすぐり、胸がきゅっとなった。
「今日はよく見えるな、星」
「うん。雲もないしね」
廉太郎の隣にいる。
隣で、星を眺めている。
そう意識するだけで、やっぱり胸がきゅっと痛んで、嬉しいような悲しいような、切ない気持ちになる。
ああ、もしかしたら、これこそ、ロマンティックなのではないだろうか。
ベランダで男女が二人、黙り込んだまま、星を見つめているなんて。
廉太郎は何を思っているのだろう。
少しはあたしのこと、意識してくれていたりするのかな。
そうだったらいいな。
そんなことを考えながら、あたしは瞬く星を、ただただ、廉太郎の隣で眺めているのだった。
夏の星空、隣に立つ君 雨宮こるり @maicodori
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