チェルシー

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話




 小学校に入学して、重たいランドセルに少し慣れた頃。犬を飼いたいと両親に相談したら、保護犬の譲渡会に行こうと言われた。

 イメージしていた仔犬は居なくて、だけど素敵な出会いがあって、我が家に新たな仲間ができた。

 友達には兄弟がいて、私には兄弟がいなくて、ちょっと寂しいな、なんて思っていたから、一人じゃなくなったっていうのがすごくすごく嬉しかった。

 その頃、私はずっとチェルシーを舐めていた。

 お母さんは「そんなに飴ばっかり食べてたら虫歯になるぞ」って難しい顔をしていたけど、まだ虫歯デビューしていなかったから、虫歯の辛さを分かっていなかった。だからずっと、チェルシーをコロコロ舐めていた。


 すごく好きな飴だったんだ。


 新たな家族に私が「チェルシー」と名付けたら、お父さんは「お前はチェルシーを舐めながら、チェルシーに舐められるんだな」と笑った。

 はじめてチェルシーが私の胸がぎゅうっと痛くなるほどの病気をした時、私にはじめて虫歯ができた。

 チェルシーが怪我をしたときは、私もお手伝いの途中、ピーラーで指先をちょっと切ったりした。

 なんでこんなことになるのよって、嘆きたくなることが起きるとき。

 なぜだか私とチェルシー、両方に嫌なことが起きた。

 嫌なことなんだけど、なんだか少し、嬉しかった。

 繋がっている気がしたんだ。私と、チェルシーが。

 

 チェルシーからハイチュウに好みが変わりはじめたとき、なんだか罪悪感があった。

 これからもチェルシーはチェルシーなのに、私の口にはチェルシーではなくハイチュウがあることが、悪いことのような気がしたんだ。

 私はグリーンアップル味のハイチュウが好きで、お母さんは「虫歯が増えるぞ」と言っていたけど、一日一本食べたりした。

 口から漂うハイチュウの甘い香りが気になるのか、チェルシーはこれまで以上に私の口元をペロペロ舐めるようになった。

 ペロペロ舐めてくれるのが嬉しくて、だからハイチュウを切らさなかった。


 すごく小さかったチェルシーが、だんだん老いてきた。

 私も重たいランドセルを置き、2種類目の制服を身に纏うほど、大きくなった。

 老いたチェルシーの行動範囲は狭くなって、成長した私の行動範囲は広くなった。

 友達と電車に乗ってどこへでも行けた。

 流石に学校行事ではない泊りがけの旅行はまだ許してもらえなかったけれど、それでも朝イチからテーマパークに行って、終園まで遊び倒したことは何度かある。

 悩みごとは、友達が全部聞いてくれた。

 あの子には言えなくても、この子には聞いてもらえたりした。交友関係が、ぐん、ぐんって歳をとるごとに広がっていった。


 チェルシーもハイチュウもそんなに食べなくなって、すっかりハリボーに夢中になった。

 虫歯虫歯とうるさいお母さんのおかげか、ポコポコと詰め物はあるけれど、まだ銀の詰め物はない。

 ハリボーをモグモグと食べまくる私の隣、チェルシーはどんどんと食が細くなっていった。みんなが大学に行くというから、流されるように受験をして、近くの大学は落ちたから、一人暮らしを始めることになった。

 私はチェルシーを連れていく気だった。

 でも、ペットを飼ってもいいお家は家賃が高いし、「もう老犬なんだからダメよ」とお母さんは言った。


 冬がウォーミングアップを始めた。

 もうすぐ引っ越しって時、チェルシーは死んだ。

 まるで、私に看取ってほしいから今、みたいに優しい顔をして死んだ。久しぶりにチェルシーが食べたくなって、舐めた。久しぶりにハイチュウも食べたくなったけど、思い出のグリーンアップル味は袋タイプじゃないともうないらしくて、これじゃないんだよ、味が一緒でも違うんだよ、って泣いて喚いた。


 高校の友達と卒業前の思い出作りをたくさんしたっていうのに、チェルシーとは全然、満足いくような思い出作りができてなかったって気づいたら、胸がぎゅうっと痛くなった。


 ずきんと痛くなって、歯医者さんに行ったら、大きな虫歯が見つかった。

 初めて銀の詰め物を入れることになった。

 痛いし、見栄え悪いし、最悪。

 お母さんが虫歯虫歯とうるさく言う意味がちょっとだけ分かった。

 チェルシーは死んだのに、私は銀の詰め物だけか。

 繋がり、弱くなってたんだなって、悲しくなった。

 銀が詰まった帰り道、私は上を向いて涙をこぼしながらあてもなく歩いた。


 くぅん、くぅんと声がした。

 ダンボールに放り込まれて、道ばたに捨てられた小さな犬と目が合った。

 まるで譲渡会で見たチェルシーだった。

 チェルシーじゃないけど、チェルシーの生まれ変わりみたいにそっくりだった。

 箱を抱えて走った。連れて帰って、私は叫んだ。

「私もチェルシーもいなくなったら、お父さんもお母さんも寂しいでしょ? この子、飼わない? ううん、帰ってきた時、この子に居てほしいの。だから、飼ってくれませんか? お願い」

「……名前は?」

 悲しい目をして、お母さんが笑った。

「ハリボー」

 泣きながら、お母さんが笑った。

 




――了――

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チェルシー 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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