(6) 事件の裏の事件
東堂さんから連絡がきたのは正午を少しばかり過ぎた頃だった。
「もしもし、東堂です。今朝はご協力ありがとうございました」
「いえ! こちらこそ、ありがとうございました。それで、あの後どうなりましたか?」
早朝からアクション映画さながらの光景を目の当たりにしたせいか、その後のことが気になって仕事もろくに進まず落ち着けなかった。返答によっては全てが終わるのだと思うと、ケータイを握りしめる手にも力が入った。
「認めましたよ。野上さんが思っていた通り、ストーカー行為をしていました」
「あぁ……そうでしたか」
「二ヶ月ほど前の夜、立ち寄ったあのコンビニで野上さんを見かけたのがきっかけだったそうです」
〝認めた〟という言葉で、私の中にあった数週間分の不安が一瞬にして消え去った。勘違いでもなければ自意識過剰でもない。私が感じていた違和感は間違ってなかったのだと証明されたのだから。
報告を受ける中で、東堂さんは黒い車の運転手についても教えてくれた。男の名前はさすがに教えてはくれなかったが、歳は五〇前半の会社員でそれなりの役職に就いている上に、私とそう歳の変わらない娘さんがいる妻子ある身だったそうだ。
「そんな人がどうして……」
「店員さんと話している時の笑顔が綺麗で好みのタイプだったそうです。どこに住んでいるのかと興味が湧いて後をつけて、それから毎朝、野上さんの姿を見てから出勤していたと言っていました」
「だからアパートの前に停まってたんですね……あれ? ちょっと待ってください。二ヶ月前からつけていたんですか?」
「はい、そのようですね」
私が認識しているのはここ一ヶ月程度。つまり、私が気付く一ヶ月以上も前から、あの黒い車の男は私のことを観察していたということ。知らぬが仏とはよく言うが、知らないということの本当の恐ろしさを、身をもって体感した気がした。
黒い車の男の罪状についてだが、私に対して直接被害がなく正直に認めていることや、奥さんが身元引受人となって監視するということから、現行犯逮捕ではなく厳重注意ということになったそうだ。正直、納得はできないものの仕方がないことだった。
「それで、大丈夫なんですか?」
「奥様が相当ご立腹で。我々が止められないほど署内で暴れるほどだったので、しばらくは大丈夫だと思うのですが……状況としては厳重注意ですので、しばらくはアパート周辺の見回りは続けさせていただきますから、安心してください」
「ありがとうございます。しばらくしたら引っ越しも考えたいと思います。あそこにいると色々思い出しちゃうんで」
「私もそれをお勧めします。被害に遭われた野上さんの方が、どうして引っ越しをしないといけないのかって思いますけどね」
東堂さんは申し訳なさそうに、電話の向こうで何度も謝っていた。
状況から逮捕には至らなかったものの〝事が起こってから〟ではなく、起こる前に動いてくれた東堂さんには感謝していた。もしこのまま私が二の足を踏んでいて、誰にも相談せず行動も起こさずに過ごし続けていたら。あの男は私のことを観察するだけで満足できていたのだろうか――そう思うと背筋が冷えた。
「それと、あの下着もあの人だったんですか?」
私はふと、以前に東堂さんに打ち明けていたことを訊ねた。すると、東堂さんは電話の向こうで「あぁ……」と何かを濁すような返事をした。
「実はその件についてなんですか……おそらく後ほど情報が出るので詳しいことはお話できませんが、その件と車の男の件は別件でした」
「えっ?」
「野上さん、あの件とは全く別の事件にも巻き込まれていたようです。情報が出次第、あらためてご連絡いたしますね」
「は、はい。あの、本当にありがとうございました」
「いえ。それでは、失礼します」
通話が切れてからも、しばらくケータイを見つめたまま苦々しい顔をして立ち尽くしていた。
「……東堂さん、気になることさらっと言って切っちゃったけど、別の事件って何よ」
ストーカー事件が解決してすっきりしたはずなのに、見えそうで見えないぼんやりとした新たな展開を提示されたことで、心のモヤモヤは微妙に晴れずにいた。
ひとまず、悩まされていたストーカー事件についてはようやく終わりを迎えた。まずはそのことを素直に喜んで、落ち着いたら新しい引っ越し先を見つけよう。不動産屋のホームページから条件の良さそうな物件を探しながら、事務室へ戻ってすぐのことだった。
「あっ、野上ちゃん! ちょっと見てよ、これ」
戻ってきた私を呼び止めたのは、同期入社の笹場さんだった。
配属部署の事務室はお昼の時間になると、BGM代わりにテレビをつける習慣があった。いつもは流れているニュースやCMなんて気に留めることもなく、お弁当を楽しんだり音楽を聴いたりと、各々の席で自由な時間を過ごしているのだが、その日に限って居合わせた職員全員がテレビの前に集まり、流れているニュースを食い入るように見ていた。
「どうかしたの?」
「野上ちゃん、このニュース知ってる? この辺りであった事件なんだって」
「えっ、何それ。空き巣か何か?」
笹場さんが指さしたテレビ画面には、アナウンサーが原稿を読み上げる姿とマンションの外観の一部が映し出されていた。
警察に連行される犯人の姿がないところを見ると、やはり物取りか不法侵入か。どちらにしても物騒な話だろうと、あくまで他人事として眺めていた。だが、原稿が読み進められると、それが決して他人事ではないのだと気づかされた。
ニュースによれば昨日の夕方頃、マンションの敷地内に侵入した男が現行犯で逮捕されたというその事件。男は下着の入った封筒を複数所持していて、それを特定の部屋の郵便ポストに入れていたというから驚きだ。それはまさに、私があのストーカー事件の最中に受け取っていた、あの郵便物と状況が酷似していた。
―― 好みの女性に下着を送りつけるなど、住居侵入の疑いで配達員の男が逮捕されました。五〇件以上の余罪があるとして調べを進めています。
「うわぁ……見ず知らずのヤツから下着送り付けられるとか、気持ち悪っ。なんか、こういうのがあると迂闊にドアとか開けられないよね」
「あの封筒は、これのことだったのか……!」
やがて映像は建物の外観から警察署内の一室に変わり、床に広げられたブルーシートの上にずらりと並んだ下着の山を映し出した。小さな子供がはきそうな可愛らしい苺柄だったり、はたまたレースの装飾が芸術的レベルで美しいものだったりと、デザインはもちろん色も形も様々な下着が、それはもう綺麗に並べられている様は圧巻だ。
後に藤堂さんから知らされることになるのだが、私が巻き込まれていたもう一つの事件とはまさにこのことだった。
犯人は自分の好みの受取人に出会うと、その人に最も似合うであろう下着を妄想しては仕事の合間にポスト投函するという行為を繰り返していたらしく、私は知らないうちにその犯人から荷物を受け取り、顔を見られ、勝手に妄想された上で似合うと思われる下着をプレゼントされていたとのことだった。
ただひたすら送りつけるだけで私自身に被害はなかったものの、ストーカー事件に巻き込まれている最中に全く異なる事件の、全く別の者から目をつけられていたという二重の真実を知ることになるなんて誰が想像できただろうか。人生とは何が起こるかわからないものである。
幽霊よりヒトのほうが怖ぇです 野口祐加 @ryo_matsuba
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