アニスの涼風となれ~頑張っても報われなかった少年が報われる異世界転生~

夢想曲

不幸な少年は死に方も選べない

 飢えていた。雪が積もり、木々が青白く染る如月の街中を一人歩くボクは、お腹を鳴らしながら大人達の作る波に逆らい駅をめざしている。

 中学生はアルバイトをしちゃいけない。義務教育中は勉学に集中すべきだと。けどそんなのは余裕ある人間が考えた綺麗事だ。

 貧乏家庭に生まれたボクは高校に行くお金が無い。先生の言っている事が頭に入らず、運動を頑張っても精々持久走で息が続くくらい。家にお金が無いボクは、学歴社会日本で生きていく上で義務教育が終われば人生終了待った無し。

 嫌だ。死にたくない。生まれた時から詰んでいた人生で、頭が悪いから、金が無いからと言い訳ばかりして惨めな思いをし続けて死ぬなんて嫌だ。

 中学に上がって直ぐに始めた新聞配達。夕刊だけを配達部数の少ない区域を回ったり、チラシをポスティングする仕事に数時間。稼いだお金は全額貯金して、自分のお金で自分が選んだ高校に行く。専門学校が良い。手に職つけて、そしたら家から出よう。


 頑張らなきゃ。


 改札に定期を滑らせる。

 ホームで電車を待っている間に今日の授業で習った所を読み直そう。クラスの子達と違って物覚えが悪いから、何度も読み直さないと駄目なんだ。読み直しても、分からない事だらけなんだけど。

 頑張っても頑張っても、頑張れた気がしない。テストの点はいつも中の下、運動神経も運動部やってる奴には敵わない。

 本当、何をやっても上手くいかない。

 粉雪が降り出した青灰色の空を見上げ溜息をつく。

 お腹、空いたな……。そう思った時だった。


 トン――。


 背中を押された。

 突然の事で抵抗出来ず、ボクはホームから線路に頭から落ちた。敷き詰められた砕石や冷たく大きなレールに全身をぶつけた痛みで呻く。

 ボクがみた最期の光景は眩しい光と迫る車輪だった。



***



 寒い。

 お腹空いた。

 寂しい。

 死にたくない。

 痛い……痛くない。


 痛くない?


「気が付きましたか」


 声がして目覚めるとそこには〝何も無い〟が広がっていた。正確には真っ白すぎる空間が広がっていて、確かに床に寝ているのに温度を感じず、壁や天井も無いように見える真っ白な世界がどこまでも続いている。

 辺りを見渡して、お姉さんがこちらを見ている事に気付いた。さっきの声の人だ。


「高松忍(たかまつ しのぶ)さん。貴方は死にました」


 頭上に自由の女神のような四方八方に伸びる光を束ねた輪を浮かべ、蜂蜜のような金色の瞳を持つ美しいお姉さんは優しげな表情のままでとんでもない言葉をボクに投げつけた。


「え、あっ……」


 普段誰ともまともに話していなかったボクが久々に出した声はマヌケで、情けなく掠れた音を漏らすだけだった。小さく咳き込んでからやっとまともに言葉を話す。


「ここは、天国? お姉さんは神様なの?」


 金色のお姉さんは一度ゆっくり瞬きすると少しだけ首を振った。


「私はドゥクス。導く者」

「あ、えっと……シノブです」


 つい名乗った相手に名乗り返してしまった。ドゥクスさんはここの主なのだろうか。聞きたいことは山ほどある。自分はどうなったのかとか、ここはどこなのかとか……。


「貴方の死にたくないという強い思いと、とある巫女の死にたくないという願いが、この空間を作りました」

「巫女……?」

「貴方のいた世界では貴方はもう死んでいます。しかしまだ生きたいと思うならば、巫女の呼び声に応えてあげるのです」


 ボクは本当に死んだのか。

 嫌だ。ボロアパートに生まれて友達もろくに作れず虐められて、今の環境から逃げ出したくて働き始めたばかりなのに。頑張って勉強して仕事して……最期は何も報われずに理不尽に死にましたって、こんなのあんまりだ。

 僅か十三年の人生を思い返し、いつの間にか泣いていた。大粒の涙が目尻から零れ落ち、拭っても拭っても涙が出てくる。みっともない。ボクはせめてもの抵抗に声を殺した。

 真っ白で静寂に満ちた空間に鼻をすする音だけが木霊する。

 ドゥクスさんはボクがようやく落ち着いた所でゆっくり腕を上げ、何も無い空間を指さした。すると示した所にいつの間にか扉が現れていた。辺りを見回した時は何も無かったのに……。音も無く突然現れた扉を指さしドゥクスさんは言う。


「扉の向こうから呼ぶ巫女の声に応えるならば貴方に再び生を与えます。巫女の願いを叶える為、貴方に力も授けましょう」

「よく分からないけど、その巫女って人を助けたら良いんですね? ボクなんかに何が出来るか分からないけど、行きます!」


 貴方は死んだと言われた時点で、ボクは半分諦めていた。死にたくない気持ちは変わらない。けど心の中で悔しいと思った時点で、ボクは死を認めたんだと気付いた。

 死んでしまったなら仕方ない。そう切り替えていきたい気持ちとこんな死に方したくないという反骨心がぶつかり合って出た結論がこれだった。


「どうせ1回死んじゃったんだ。でもやり直せるっていうなら、機会をくれた巫女って人を助ける為に頑張ってみます」

「頑張る……そうですか。ではシノブさん、右手を扉に翳すのです」


 言われた通りに腕を伸ばし、手を扉に翳すと突然体が光り始めた。


「わあ……!?」


 正確には光り輝いたのは体ではなく着ていた学ランだった。黒くて硬い生地の詰襟の指定制服が光と共に消滅すると、次の瞬間ボクの体は学ランではなく袖や襟に細かな刺繍が施されたチュニックを身に纏っていた。固く動きにくかった長ズボンも動きやすい半ズボンになっていて、靴も頑丈そうな革の脛当がついたブーツに変わっている。


「あの、これは……?」


 翳した右腕には服装に合わない黄金の腕輪が装着されていた。はめ込まれた宝石は光を拒絶するかのように真っ黒い。あまりの大きさと美しさに、一瞬売ったら幾らするのだろうと邪推した頭を振って煩悩を追い払う。


「貴方にトラバミラを授けました」

「トラバ……?」

「簡単に説明すると〝頑張っただけ奇跡を起こす能力〟です。頭の中で唱えるだけで能力が発動します」

「頑張れば報われる……」


 気休めみたいな力だな。そう言いかけたがやめた。自分の今までの頑張りが本当に無駄になってしまう気がして。


「トラバミラの力の蓄積状況はその腕の石が示してくれるでしょう……それでは、もう時間です」


 ドゥクスさんがそう言い終えた瞬間、目の前の扉が開かれ隙間から眩い光が漏れ出てきた。これから何が待っているのか。不安でいっぱいだ。けど、時間は待ってくれなかった。


「あれ、なんか引っ張られ……」


 強烈な追い風を感じる程の吸引力を体で感じた時には既に体が浮き上がりそうな程になっていて。掴まる所などない真っ白な空間で抵抗などできるわけもなく。


「わああああああああ!」


 両足が浮いた瞬間、扉の奥の光に全身が溶けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る