守護者としての初陣
アニスに来て幾つもの朝を迎えた。
服の上から革の鎧を身につけ、身の丈に合った剣と丸盾をオイゲンさんから貰った。
「よく修行に耐えた。まだ半人前だが、短期間で剣に振り回されなくなったのは大したもんだ」
「ありがとうございます! でも、大丈夫でしょうか」
「なぁに守護者様が一番不安がってるんだ。どうせ大人しくしてても竜どもに食い潰されるんだ。それに、お前一人の戦いじゃねえ。なあ?」
オイゲンさんが言うと駆けつけた村の大人達が各々武装して隊列を組んで現れた。
「おうよ。巫女様と守護者殿だけに任せて畑の面倒なんて見てられねえ!」
「何カッコつけてんだサボりたかっただけだろうに!」
「うるせえどうせ死んじまったら畑もクソもあるかって話だ」
普段は農夫の人達も年季の入った槍や斧で武装していて、狩人の人達も普段から使っているのだろう弓を手に闘志を燃やしていた。
そうだ。これはボクだけの戦いじゃないんだ。
「大丈夫ですよ。私もいますから」
「へ!?」
バニリンが背後から突然声をかけてきて変な声をあげてしまった。
「バニリン。ごめん。本当は村にいて欲しかったんだけど」
「危なくなったら、シノブが守ってください!」
「……うん!」
竜との戦いに巻き込みたくなかったけど、バニリンも魔法使いとして役に立ちたいんだ。義父のため、村のため……。
ボクは、誰かの為に頑張るなんてアニスに来るまでは考えたことも無かった。自分のことで、必死で。
「よおしお前ら行くぞ! 手筈通りにな!」
オイゲンさんを先頭にボクらは村を出た。
少し土をならしただけの並木道を進む。
遥か彼方のブラックフレア山は霞みがかって見えたが、暗雲立ちこめる山頂部が青空から浮いて目立っている。
山を見ながら歩みを進めると、空に紛れて小さい何かが飛んでいるのが見えた。
「オイゲンさん。アレは」
「前見た奴とは違うが、間違いない。竜だ! 皆の者配置につけ!」
指示と共に大人達は木々の影に隠れるとみんな武器を構えて気配を消す。
ボクとバニリンとオイゲンさんだけが道の真ん中で竜を待ち受ける。
豆粒程の小ささだった姿が直ぐにその巨体が鮮明に見えてくると、ボクは震え上がった。
氷のような青い光沢を放つ鱗の巨体。広げた皮翼は羽ばたく度に空気を裂く音を響かせる。ボーリングの玉くらいあるエメラルドのような瞳がボクらを睨みつけている。
竜の口が開かれたのを見て剣を構える。
「人間ども、村で待てと命じられていた筈ではなかったか」
流暢に人語を話し出してボクは焦った。
「しゃ、喋った……」
いや、人語を話す竜なんて小説や漫画にいくらでも出てきたじゃないか。
宙を羽ばたきながらボクらを見下ろして青き竜は言う。
「自ら差し出しに、という訳ではないのだろう、人間」
企みなどお見通しだと言わんばかりに長い首を動かし辺りを見渡し、声を荒らげた。
「小賢しいのは古の時代から変わらんな!」
「いかん! バニリンを守れ!」
オイゲンさんが叫ぶとボクはバニリンを守るように立ち、丸盾を構えた。
木の影に隠れていた大人達が弓を構えながら姿を現すと一斉に矢を放った。
「この氷竜にそんな物が通用するものか!」
氷竜が一度強く翼を打つと吹雪いたような冷たい突風が吹き荒れ、氷竜に向かっていた矢は中空で凍りつき地面に跳ね返されてしまった。
一本の氷の矢がこちらに向かってきたのを丸盾で咄嗟に受け流すと手に伝う振動に腰が抜け駆けた。
(こ、怖い!!)
声には出さなかったが、ボクは結局修行という死ぬわけじゃない状況でしか戦いをしたことがない。初めての実戦、それも相手は人じゃなく竜だ。ボクは逃げ出さないようにその場で踏ん張るのが精一杯だった。
「くっ……うおおおおお!」
オイゲンさんが雄叫びを上げ、走りながら短弓を構えてなんども矢を射る。
バニリンを捕まえようと高度を低くしていた氷竜の体に矢が当たるも、竜の鱗は短弓の矢を通さない。だが鬱陶しいのだろうか、氷竜は駆け回るオイゲンさんを目で追っている。
「ええい! そんなものでワタクシを傷つけられるとでも?」
「ならこれならどうだ!」
よそ見をした竜に向けてボクは魔法で作り出した火球を飛ばした。
「ファイアボール!」
「わたしもいきます! ファイアランス!」
槍の形をしたバニリンの炎とボクの火球が氷竜に直撃した。
「やった!」
「
そう言って氷竜は口から凍えるようなブレスを吐き出し瞬く間に炎をかき消してしまった。ボクは基本となる魔法しか使えないし、バニリンにもっと凄い魔法を使ってもらうには詠唱する時間稼ぎをしないと。
ボクはオイゲンさんに倣ってバニリンから離れないようにしつつもジグザグに移動しながら何度も火球を放った。ブレスを吐いてわざわざかき消したということは、一切通用しない訳ではないんだ。そう確信したボクはオイゲンさんと連携しながら氷竜を翻弄した。
でも、このままではこちらの魔力切れでお終いだ。今、あの力に頼るべきか。タイミングを見なければ。発動した力がどう働くか分からないけど、だからこそ慎重にならざるを得ない。そう思っていた矢先だった。
「このままではジリ貧だ! 矢がダメなら斧だ! 槍だ! ぶん投げろ!」
オイゲンが叫ぶとまだ控えていた大人達が現れ、手にした斧や槍を氷竜に向けて投げ放った。確かに矢よりも質量兵器としては優秀だろう。手斧なら上手く投げれば低空にいる標的にも当たるだろう。
だが、ボクや大人達は竜の防御力というやつを甘くみていたらしい。
投げ放たれた斧も槍も、尽く翼で叩き落された。
「飛べない種族の悪あがきか、醜いものだ」
「生にしがみつくことの何が悪い! 俺は生きたい! 娘だって死なせてなるものかよ!」
「オイゲンさん……!」
そうだ、死にたくない。死なせたくない。必死になる事は、醜くなんてない!
「オラアアアア!」
オイゲンさんは雄叫びを上げながら手にしていた槍を振りかぶった。ダメだ、槍なんかじゃ!
その時、右腕がじわりと熱を感じた。
「食われる側め。そんなに死にたいなら先にやってやろう」
氷竜の口が大きく開かれる。ダメだ! オイゲンさんが殺されちゃう!
もうチャンスを待つなんて悠長なことやってられるか!
右腕を天高く突き上げ、強く念じた。
(今こそ報われろ……トラバミラ!)
念じた瞬間、煌めきを宿した宝石が強い輝きを放った。だが……。
何も起きない。
(何で!? 詠唱間違えた!?)
焦りで戦いの状況が見えなかった間に、オイゲンさんの手から槍は放たれていた。
真っ直ぐ氷竜に向かって放たれたそれはまるで化け物を射抜かんとする銀の弾丸に見えた。
そしてそれは氷竜の皮翼に突き刺さった!
「ワタクシの翼に傷を……!?」
「ハッ! 人間舐めんじゃねえ空飛ぶ蜥蜴が!」
「愚弄しおって! タダで済むと思うな!」
深々突き刺さった槍は皮翼を貫通しており、反対側に突き出ている。
「あれは……! くらえッ! サンダーボルト!」
まだ狙った所に落とせない雷撃魔法、だが今は狙わずとも当てられる!
「グアアアアア!」
魔法により呼び出された雷は真っ直ぐ鉄槍に吸い寄せられ、氷のような鱗を焦がした。氷竜の口から放たれたのは吹雪ではなく黒い煤だった。
空中でぐらりと揺れた氷竜の体はそのまま地面に落ちかける。だがしかし、雷一発では竜を沈めることは出来ないみたいで。
「この、小僧!」
「バニリン! 合わせて!」
「ええ!」
よろけた氷竜は直ぐに体勢を建て直し、一度宙で旋回し勢いづけるとボクに迫り大口を開けた。
「子どもだと思って甘くみていたが、改めよう。一撃で噛み殺してくれる!」
「シノブ!」
「今だ!」
目の前まで迫った氷竜に手を翳す。
そしてバニリンと息を合わせ、同時に叫んだ。
「ファイアボール!」
合わさった言葉は炎を束ねて巨大な火球となり、氷竜の口の中へ飛び込んだ。
目の前まで引き付けられて放たれた火球を高速で突っ込んできた氷竜が避けられる訳もなく、口内で火球が炸裂した。
ドォン――!!
火球の勢いで吹き飛んだ氷竜はとうとう地面へ墜ちた。
「よもや人間の、それもたかが子どもに土をつけられるとは」
氷竜がそう零している内にオイゲンさんや大人達が氷竜を囲んで武器を構えた。
ボクはそれを見て慌てて前に出た。
「ま、待ってください!」
「シノブ、何故だ」
オイゲンさんが鉄槍を引き抜いてその矛先を氷竜の瞳に向ける。
氷竜はあくまでイグニスに遣われていただけだ。だったら。
「氷竜さん。教えてください」
「なんだ……いや、貴方は勝者でしたね。答えられることなら」
負けた瞬間からボクを敬うように頭を垂れる氷竜に高潔なものを感じ取り少し安堵した。
「あなたは、イグニスの手下なんですか?」
質問に氷竜は頭を上げて口角が吊り上がった。
「あれは、ワタクシの縄張りに勝手に入り込んだ無礼者……手下と呼ばれるのは屈辱的です」
「ごめんなさい。でも良かったです」
「良かった?」
氷竜が首を傾げると、バニリンが察したのかボクの傍に駆け寄ってきた。
ボクの話したかった事を引き継ぐように、バニリンが優しく氷竜に話しかけた。
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