巫女と呼ばれし少女に悲しき運命

 目が覚めると見知らぬ部屋にいた。

 風の音と心音がうるさいくらいの静寂。

 薄暗く、ゴツゴツした石壁に囲まれた丸い部屋。ガラスも無い窓から差し込む月光と、夜風に揺られる篝火が部屋をぼんやり照らしている。

 いつの間にか寝ていたようで上半身を起こすと、人がいた。重そうな鎧を身につけた大人が三人に、綺麗な銀色の髪をした女の子。

 銀髪の女の子が起き上がったボクの顔を見て微笑んだ。そして直ぐに近くにいた髭の巨漢に満面の笑みを向けた


「や、やりました! やりましたよ義父おとうさま!」

「三人の大魔法使いの魔力を束ねねば起こせぬ上位召喚魔法、一人で本当に起こすとは、流石巫女だ」


 巫女と呼ばれた女の子の頭を撫でた巨漢はボクを見るなり笑顔を歪めた。


「しかし、守護者の召喚でまさか子どもを呼び出してしまったのは、やはり魔力が足りなかったか」


 近寄ってきた巨漢はボクに歩み寄ると手を差し伸べた。


「お前名前は?」

「ボ、ボクはシノブ……」


 差し伸べられた手に掴まり起き上がる。


「なんだ、少しは鍛えてるようだな」


 起き上がる体と掴んだ手の感触で何か感じたのか、巨漢はボクをつま先から髪の先まで舐めるように見た。


「部活とか、したことないですが配達とか……筋トレとか……」

「なんだ向こう側にも労働階級とかあるのか。こんな子どもが、異世界も世知辛いもんだな」

「えっと、はぁ……」


 肩をポンポンと叩かれ、なぜだか勝手に同情されてしまった。でも悪い人ではないのは分かった。


「あの、ここは?」

「ここは――」

「もう、おとうさまばかりずるいです!」


 巨漢の後ろから顔を出したのは巫女だった。女の子が小さいのと巨漢が大きすぎるせいか、巨漢の腰くらいの高さに巫女の顔がある。


「私はバニリン! こちらは私のおとうさまのオイゲン! アニスへようこそ!」

「よろしくなシノブ」

「あ、はっハイ……! でも、ボクはどうしたら」


 戸惑うボクにバニリンが微笑む。


「そうでした。シノブ様はこの世界の人ではないのでした。これから色々教えて差し上げますね」

「あ、ありがとう……ございます」


 同い歳くらいの女の子に様付けで呼ばれたことなんてなくて変な汗が出てきた。でも変な奴だと思われたくない。呼び出されて半ば歓迎ムードとはいえ、折角呼び出した奴が無能で変な奴だなんて思われたくない。


(が、頑張らなくちゃ……!)


 そう思った瞬間、右腕が一瞬あたたかくなった。それはまるであたたかい人の手が僕の手首を掴んだような感覚。

 右手を見てみると、腕輪にはめこまれた黒い宝石が僅かながらに内側から光を放っているように見えた。それは見る角度を変えると石の表面の光沢で見えなくなる程に僅かで儚い光。

 ボクが腕を見ているとバニリンが首を傾げながら視界に入ってきた。


「わわ……!」


 女の子の顔なんて間近で見た事ないのに、まるで漫画やゲームに出てくるような美少女だ。驚いたって仕方ない。思わず後ずさったボクはかかとを何かの溝に引っかけ、思い切り尻もちをついてしまった。


「いっ……たたた」


 足元を見ると溝はボクを召喚する為に作られた魔法陣の一部だったようだ。情けないところをいきなり晒してしまい、顔が熱くなるのを感じながら素早く立ち上がった。

 バニリンは笑うことなく、ボクの手を優しく握った。


「これからお願いしますね、私の守護者様」


 向けられた眼差しがあまりにも真っ直ぐで力強く、そして綺麗で、どうしようもなく心臓がうるさかった。



***



 この世界、アニスと呼ばれる世界は過酷だった。水は不味いし、上下水は辛うじて整備されてはいるけどトイレもお風呂も元の世界ほどの機能などあるはずもない。ご飯は、お腹空いてたから何でも美味しい。異世界ってもっと漫画やゲームで見たような煌びやかで綺麗な世界だと思っていたんだけどな。

 でもそんな事でへこたれてはいられない。

 何故ならボクには使命があるからだ。


「私、もうすぐ生贄にされてしまうんです」


 昼下がり、村の案内を受けている時にバニリンはそう言った。その前に何を話していたかなんて忘れてしまうくらいの衝撃だった。笑顔でそういうバニリンが何を考えているのか分からなかった。


「イグニスという邪竜がブラックフレア山に住み着き、配下の竜を使って周囲の村々から高い魔力を持つ人間を拐うんです。抵抗すれば、村が滅ぼされます」

「滅ぼされるって……」


 おもむろにバニリンが森のある方を指さす。


「去年まであの森の向こうに姉妹村がありました。しかし生贄を用意せずに反抗した結果……この村の大人達が駆けつけた時には跡形もなく焼き尽くされていました」

「村を丸ごと!?」

「はい。その惨状を知り、私が大人しく生贄になれば村は助かるかもって思ったんです」

「そ、そんなのダメだよ!」


 反射的に出た声は自分で驚く程大きかった。空気が凍りついた気がして、目を丸くしているバニリンを見て一秒程度の沈黙が永遠に感じた。


(ボクに生き直すチャンスをくれたのが君なら、君を守るのがボクの使命なんだ……ま、守らなきゃ!)

「ボクを呼んだってことは、大人しく生贄になる気は無いんです……よね」


 声に出しかけたけど途端に恥ずかしくなり、咄嗟に出た言葉のなんて味気のないことか。でもバニリンはボクの考えなどお見通しといったふうに口角を上げた。


「優しいのですねシノブ様は」

「うっ、からかわないで下さい。それに呼び捨てでいいですよ。大して歳も離れてないし、身分だって……」


 言いかけて、本当に大したことなかったなと自己嫌悪。言葉が詰まる程急激に込み上げる卑屈な感情。


「分かりましたシノブ。貴方が言うように、今は戦う決意を固めました。おとうさまや私を守る為に戦う意思を示した守護隊の皆さんを見て、私だけ諦めていたらいけないと……だから貴方を異世界より招きました」


 バニリンはボクの手を両手で包み込むように握ると、上目遣いでボクを見つめた。儚げな表情の銀髪の美少女が、ボクに救いを求めている。どんなに卑屈でも他人と壁を作ってしまうような性格でも、ボクは……。

 ここに来る前から決めていたけど、こんな姿の女の子に頼られて断ったら、今度こそボクは自分が大嫌いになってしまう。


「戦いますバニリンさん」

「あら、私もバニリンでいいですよ。ふふっ、楽に話しても構いません。これからお友達、いえ、一蓮托生の同胞はらからになるんですから」

「……ありがとう、バニリン」


 バニリンの歓迎の言葉にお礼をすると遠くから足音と鎧の擦れる音が聞こえた。


「おーいシノブ! これから剣術をお前に仕込む! ついてこーい!」


 オイゲンが歩きながら手招きしているのを見てバニリンはクスクス笑って僕の耳に口を近づけて囁いた。


「子どもだけに頑張らせたら大人として恥だって思ってるみたいなんです」

「そんな」

「おとうさまは剣術、槍術、弓術に長けた村一番の戦士です。是非沢山学んで下さいね。稽古が終わったら今度は私が魔法の基礎を教えますね」

「時間が無いし頑張らないとだね」


 ボクはバニリンとの時間を惜しみながら、オイゲンさん指導の下で修行に打ち込んだ。


 打ち込んで、転ばされて、かわされて、投げられて――。


 痛かった。泣きたかった。悔しかった。

 真剣なんて握ったことの無くても忖度など無い。ボクが成長しなければ、ボクだけじゃない、みんな死ぬ。

 死にたくない。今もそう思うけど、それ以上に、死なせたくない気持ちが日毎に強くなっていった。

 寝ても覚めても剣と魔法の鍛錬。

 バニリンを攫いに来る竜は待ってくれない。村から出て、村に向かう竜を迎え討つ。

 ドゥクスさんから与えられた力はぶっつけ本番で使うしかない。

 出撃の前夜、腕輪の黒石はいつの間にか幾つもの光が内包した夜空のような石へと変わっていた。

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