少年は風となる
目を開くと、そこにはバニリンとオイゲンがいた。
「シノブさん!」
「シノブ! 生きてるか!?」
「バニリン、オイゲンさん……」
むせるような熱気と気持ち悪くなる程の地面の熱さから体を起こすとヒサメが目の前に降りてきた。
降りてきたヒサメは身体中ボロボロで、翼は穴だらけになっていた。
「シノブ、彼奴に勝つにはこの手しかないようです」
覚悟を決めたように言うヒサメにボクは頷いた。どんな事でもいい。ボクは受け入れて戦う覚悟ができていた。
「何をしたらいいヒサメ」
「シノブ、あなたに私の心臓を与えます」
「え!?」
何でも受け入れるつもりだったが思わぬ案にボクは狼狽えた。
ヒサメは続ける。
「竜は心を許したたった一人の者と心臓を入れ替えることで、片割れが死ぬまで
「わかった。なるよ、竜人に」
即答だ。てっきりヒサメが死ぬとかだと思ったから。誰かの犠牲が必要とかじゃないなら良い。
迷いのないボクにヒサメは一瞬目を丸くしたが、直ぐに目尻を下げた。
「本当に良いのですか?」
バニリンが心配そうにボクの顔を覗き込む。
ボクは心配かけまいと笑顔を作って見せた。
「大丈夫。だってボクは君の守護者だからね!」
「シノブさん……!」
「覚悟が決まっているのなら始めます。彼奴が戻らぬ内に」
「うん!」
ヒサメの前に立ち、ボクは呼吸を整えた。
「瞼を閉じて、ワタクシの心臓を感じ取ってください」
「どうやって?」
「暗闇の中に光が見えてくるはずです。手を伸ばして、それを両手で受け取り、胸の中へ送り込むのです」
言われた通りに瞼を閉じ、精神を集中させた。
青白い光が瞼を閉じているのに見えてきて、直感でコレだと確信し、手を伸ばす。
空を掴む感覚だったのに、光はボクの手の内にあるように動いた。これが、ヒサメの心臓。
ヒサメの心臓をボクの胸に入れる。すると急に吐き気が襲ってきた。
「うっ、うぅ……!」
「我慢せず吐き出しなさい。何も出ませんから」
あまりの苦しさにボクは何かを吐き出した。
でも、何も喉を通って口から出ていく感覚がなかった。
ヒサメの心臓を受け取った胸が、体が段々と熱を持ってきた。体が熱い。しかしその感覚も直ぐに治まると外気が熱くない事に気付いた。マグマが近くを流れる場所で、ボクは汗もかかずに体も火照っていない。これが竜の感覚なんだ。
「終わりました。目を開けて良いですよ」
ヒサメの言葉で瞼を開けるとバニリンが側にきてボクの体をまじまじと見渡した。
「回復魔法でも消えなかった火傷跡が消えてます! それに、瞳の色がヒサメさんみたいな緑色に……綺麗です」
「見た目だけじゃなくて暑さにも強くなったみたい」
「まあ! それが竜人の……!」
怪我も無くなり元気そうな僕を見て笑むバニリン。
勝たねば。この笑顔を守るためにも。
ボクは決意を胸に空を睨んだ。
たちこめる灰色の煙の向こうから空気を震わす怒号が轟く。
「氷竜! このオレを相手に逃げ回るとは巫山戯るなよ。逃げ切れると思うな!」
ヒサメが頭を上げて口の端から白い冷気を漏らす。
「行きなさいシノブ。竜のように飛びたいと念じ、風になるのです」
「風に……わかった!」
背中に意識を集中し、大地を蹴った。足元の硬い土がヒビ割れ、風を切り、一秒足らずでボクの体は噴煙を吹き飛ばしていた。少し踏み込んだつもりだったのに。
ボクの背中には、いつの間にか氷のように白く透き通った翼が生えていた。
晴れた青い空にいるには相応しくない黒々とした巨体が目に留まる。イグニスだ。
「ドラゴニュートだと! 小僧、氷竜に名を与えただけでなく契りまで交わしていたのか」
「イグニス! 覚悟!」
「例えドラゴニュートだろうと小僧は小僧!」
イグニスが大口を開ける。あの爆炎だ。
いくら熱に強くなったとはいえ、直撃したら丸焦げは免れないだろう。
剣を構え、慣れない翼での飛行をしながらイグニスの懐に飛び込めないか様子を伺う。
「ちょこまかと翻弄しようとしても無駄だ! 薙ぎ払ってやる!」
イグニスの口から放たれた爆発のブレス。それはまるで何発も同時に爆発した八尺玉だ。鼓膜が破れそうな程のとんでもない爆音は平衡感覚を奪いかけ、直撃を避けても細かい火の玉が横殴りの雨のように降りかかる。
「うっ……くっ……!」
火花の眩しさと五月蝿さで頭がクラクラして真っ直ぐ飛べない……!
「燃え尽きろ! 小僧ォ!!」
イグニスは更なる攻撃の為に息を大きく吸い込む。しかしそれを見ていることしかできない。
吐き出した爆炎の爆発がまだ続いており、音と光で目眩を起こしたボクはそれを避けるので手一杯だったからだ。
それでも、諦めたくない。
フラつきながらもイグニスに一太刀浴びせるべく、黒い巨体に向けて飛び込んだ。
その時だ、イグニスの体に白い光が直撃した。
「ぐぬぅ!?」
下から突き抜けた白い光はイグニスの腹部全体を覆い、青白い塵が宙を舞い、陽光に照らされ煌めいた。
それは氷の粒だ。白い光はの筋はヒサメの吐き出した圧縮された吹雪。
悶えるイグニスを見て弱点に気づいた瞬間、ボクは飛行速度を上げながら剣に魔法で冷気を纏わせた。
竜の心臓によって強化された魔力は基礎的な魔法も強力なものとなって――。
「墜ちろ! この、トカゲ野郎!! うああああああ!!」
「この、クズ共があああああ!!」
イグニスが爆炎を吐き出す。
ボクは怯まない。自分の力を信じて、爆炎の中を突き進む。
冷気を纏った剣を突き出し、突進する。すると爆炎が意思を持ったように左右へ避けていった。
爆炎の渦を抜けイグニスの真下に出ると、一気に腹へ向けて剣を突き立てた。
「これがボクたちの、全力だあああああ!!」
腹に突き刺した剣へ力を込め、冷気を体内に送り込む。魔法の吹雪がイグニスの体内を吹き抜けると、遂に飛ぶ力すら失い、黒い体が隕石のように落下を始めた。
「馬鹿な……こんな、小僧に……! ぐおああああ!!」
イグニスの腹に刺さった剣が抜けずに共に落下していく。何とか引き抜こうとしたがくい込んで抜けない。
この世界に来て初めての装備品と、惜しい気持ちを我慢して剣から手を離す。
そして地面から飛び立つ時と同じように、イグニスの腹を思いっきり蹴飛ばして離れる。頭から真っ逆さまに墜ちるのは、お前だけでいい!
「ブラックフレア山が、お前の墓場だ!」
イグニスはやがて噴煙の中へ消えていき、激突音が辺りに響き渡った。
最早断末魔をあげる暇もなかったのだろう。
激突音に混じって聞こえた肉や骨が砕ける湿り気を帯びた破裂音は、耳を塞ぎたくなるような気持ち悪さだった。
***
イグニスを討ち取り、バニリンを生贄という運命から守ったボクたちは村に帰った。ヒサメも村の仲間として迎え入れられ、その日は宴が開かれる事に。
お酒が飲めないボクは宴会の空気でのぼせそうになり、冷たい空気を吸うため村の広場から出てブラブラと散歩をする。
すっかり夜になった空は星々が煌めいていて、前の世界では見られなかった夜空に、大きな影が飛ぶ。
「シノブ」
「ヒサメさん」
月の光に照らされた水晶のように美しいヒサメの体は神秘的で、いつの間にか見とれていた。
「ヒサメさん、イグニスを倒せたのはあなたのおかげです。……ありがとう」
「それは違いますよシノブ」
「え?」
「あなたがワタクシを倒し、イグニスに立ち向かう姿を見て心を動かされたから、私はあなたに賭けた。だから、勝てたのはシノブ、あなたの頑張りの結果です」
「ボクの……頑張り」
「はい。だからもっと誇って良いんですよ」
ヒサメの言葉に、自然と涙が溢れだしていた。
そうか、ボクは、やっと努力が実ったんだ。
熱い涙が頬を伝う。嬉しい。
頑張って、良かった。
アニスの涼風となれ~頑張っても報われなかった少年が報われる異世界転生~ 夢想曲 @Traeumerei
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