さくら草で春は来るか

畳縁(タタミベリ)

さくら草で春は来るか

 彼女は今、とても真剣な顔をしている。

 口の中で甘い塊を転がしながら、その時を待っている。

 桜色をした、どこから切ってもさくら草の模様が浮かぶ飴である。


 西洋種はプリムラ。この飴に込められた意味は、青春の恋。

「フユちは暗示にかかりやすいでしょ。この間だって、占い部の催眠術に引っかかって、嫌いな椎茸をバクバク食べてたじゃん。だから、自分をパブロフの犬にすればいいんだよ」


 だから、近所の寺の参道で売っていた、さくら草の金太郎飴を、願掛けの具にした。これを口に入れた後なら、冬子はやるべきことができるのだ。

 一年間、受験勉強を始める前に、このさくら草を放り込んできた。


 心のスイッチは簡単に形成され、異様な集中力で受験シーズンを乗り切ってきた。サクラサク。まあ、あっちは樹の桜なのだが、とにかく進路は定まってしまった。逆じゃないの命奪う方でしょ、ってよく言われるけれど、看護学科だ。


 ポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。

 そろそろ彼が来る。



 お節介で強引なギャル仲間の友人に引き出させた、「春村くん」の電話番号に。

 先刻彼女は電話した。

「も、もしもし」

「……春村くんですか。私、わかる。冬川」

「ふ……、冬川先輩? なんで? ゴリ山、いや、森山先輩が聞いてきた番号、冬川先輩に伝わっちゃったの?」

 生まれつきの、切れ長の目が鋭く光る。

 しまった。これじゃあ尋問だ。


「あーっ……」

 もみあげ長めの、ショートの金髪をわしゃとかき上げる。

「ぼ、僕なにもしてません!」

「待って……。待て、切るな。ぁ、おいっ」

「ひえぇ……何ですかぁ」

「んん」

 口の中がまだ甘い。この時も、さくら草の飴に頼りっきりだった。


 向こうで何か言っているようだが、冬子は構わずスマホを置く。

 もう一方のポケットから、六つ折りの紙を取り出した。

 開くと、これから伝えなければならない言葉が並んでいる。

 スマホを握り直す。息を吸った。


「……こんにちは、私はクラスメートの冬川です」

「はあ、改めまして(これ、何?)」

「突然ですが、電話したのは、お伝えすることがあるからです」

 紙の内容を愚直に読んでいた。


「一時間後に、学校近くの公園へ来てください」

「ええその、直接でないと……駄目?」

 目を細めた彼女は、そのまま指をゆっくりと近づける。

「……よろしく」

 通話を切った。

 本番はこれからだ。



 自分より背の低い男の子、春村がやってきた。

 学年もひとつ前。左右を見回している。正直、パッとしない。


 でも、派手に魅力を売り出す奴より、ずっといい。

 良いところなら、幾つも隠しているじゃないか。

 私が引き出してやろう。そして、自分の内にも隠し棚がある。


 そう思い、冬川は勇気を絞って声を出した。

 さくら草の飴は、もう溶けて無くなっている。


「……おい」

「わっ!」

 できるだけ優しい声のつもりなのだが。

 鞄を抱えて、春村は身構えた。


「な、な、なんですかっ」

「私はライオンか。ビビんなよ」

 にやにやしてしまう。


 弱っちい。よわよわ、情けな。

 それでも、お前の心までは握れてないからよ。

 まあいいや。言お言お。


「す」

 冬川は、ぷるぷると顎を震わせた。

「……すっ」

「?」

 息を深く吸っても、だめだった。


 顔を赤くした彼女は、勢い春村の両肩を掴んだ。

「春村、聞いてくれ!」

「ぎゃあっ」

「制服の女は好きか」

 振り下ろした髪の間から、切れ長の真剣な目が覗いた。

 顔と顔が近かった。


「で、でも冬川先輩はもう、その。卒業では」

「したよ、卒業。でも……お前の為ならコスプレしてもいい!」

「えっ」

 ついに言ってやった。

 好きだって言えないから、湾曲に伝えたのだ。

 これは実質、そういう意味だ。


「お前、隠れてギャル好きだろ。一緒に桜並木を歩いて、映画見に行ったり、ショッピングモール行ったりしないか。いいだろ?」

 目線を合わせて、冬川は言った。

「夢、叶えろよ」

 春村は、いや、え、あの、などと、はっきりしない。

 考えて考えて、彼は言った。


「……先輩は、それ、知り合いに見られても大丈夫なんですか。誇りとアイデンティティーが崩壊しませんか」

 それは盲点だった。

「いいよ。私はお前と一緒に並んで歩きたいんだよ!」

 勢いで物凄いことを言っている気がする。


「……ふーん」

 春村は、一転して悪戯っぽい目に変わった。

 普段おどおどしている割に、こうなると別人のように落ち着くんだ。


「先輩。今、何したいですか?」

 一言で、春村の童顔が広がってゆく。

 艶のある口元がはっきり見える。それはさ。

 そりゃあさ。そりゃあさ。そりゃあさ。


「ええ、僕だって男ですから――いいですよ?」

 冬川の体温が一気に上がった。……こいつ。


 唇を奪うとか。お前の役割だろ。

 っていうか、相手を呼んで告白するのもお前がやれ。

 コンプラなんか知るか。言ってやりたい。男のくせにっ。

 あまりの意地悪に、道の遠さに、涙が浮かんできた。


 冬川は、滲んだ視野で自らのバッグをまさぐる。

 出てきたのは、さくら草の飴だ。

 その一欠片を、目を閉じて勝ち誇る春村の唇に押し込んだ。


「ん、甘っ……」

「分かったか馬鹿。受験の前からずっと舐めてたんだ。これ食べたら思い切って頑張れるって、信じてきたんだ。私に報いろ、馬鹿」

 春村が目を開く。


「今の私は、こーいう味なんだよ」

 袖で涙を拭って、言ってやった。

「おいしいです……」

 背の低い春村がますます目線を落とした。


「次、受験だろ。こいつをあたしだと思って食べろ」

「受かりますか」

 冬川は頷いた。


 それから、二人は抱き合って、背丈の違う頭を寄せた。

「僕、スクールセーターにうずまるのが夢でした……」

「変態か。そんぐらい後から叶えてやる。大恥かいてな」



 ――さくら草の花言葉は「初恋」「純潔」。

 もうちょっと立派なプリムラになると「青春の喜びと悲しみ」。

 馬鹿で恥ずかしくて、悲しくなるほど愚かな位が丁度良い。

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さくら草で春は来るか 畳縁(タタミベリ) @flat_nomi

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