平行世界物語(織ver)

1:テーマ「布団・ショッピング」

秒針の音で、ベッドの中の幼い少女はぼんやりと目を覚ました。

彼女としてはもう少し寝ていたかったのだけれど、眠気以上に秒針の音が気になってしまって眠れそうにない。意識すまいと思えば思うほど、秒針の音が嫌にくっきりと届いてくる。

少女は、せめてもの抵抗というように布団の中にもぐりこんだ。

静寂と温かさが、彼女を包み込んでくれる。

安堵感が、心を満たす。

少女は、一度大きく息を吐くと、布団の中で丸まったその状態のまま再びその目をとじた。


時計の音もそうだけれど、どうして考えたくないと思えば思うほどそのことばかり浮かんできてしまうのだろう。

幼い少女は、もう一度息を吐く。目を閉じはしたが、眠れそうにはない。

それはさっきまで寝ていたからという訳ではなく、一度目が覚めてしまったことで再び倦怠感と寒気が襲ってきたからだ。おでこに貼っていたはずの冷えピタは寝ている間にどこかに行ってしまったようで、頭と手に熱を帯びているのが伝わってきた。

だというのに、体は依然として寒いのだからやっかいだなと少女は思う。吐き気がないことが唯一の救いではあるけれど、そのうち吐き気もこみあげてくるだろう。

 少女は、本日三回目となるため息をついた。


 これがもし学校のある平日であったなら、少女もここまで気落ちしなかっただろう。むしろ、体調不良という堂々と学校を休める大義名分を得たのだから、宿題や嫌いな体育の授業のことなど忘れて思う存分夢の中にいたに違いない。

 どうして、よりにもよって今日なんだ。

 力の入らない手を握りしめる。倦怠感や寒気と一緒に、悔しさがこみ上げてくる。やっかいなことに、寒気や倦怠感よりもこみ上げてくる悔しさの方が何倍も息苦しかった。

 この息苦しさから少しでも解放されたいと、少女は布団の中から頭を出した。うつぶせになって枕元に置いてある冷えピタの箱に手を伸ばす。

 「……あ。」

 伸ばしたところで、彼女は短い言葉とともにその手を止め、顔をしかめた。

 たった一文字のその言葉の中には、気づかなければよかったという後悔の念が詰まっている。途端、息苦しさはさらに度を増し、少女は手早く新しい冷えピタをおでこに貼ると再び布団の中にもぐりこんでしまった。


 目を閉じることすら、億劫だと感じる。閉じようが閉じまいが、さっき目についてしまったチラシが頭から離れはしない。なんであんな目のつくところに、と怒りがこみ上げてきたが、冷えピタの箱のとなりにチラシを置いたのは紛れもなく自分であったことを思い出し数時間前の自分を叩いてやりたい衝動にかられた。

 

 今日は学校のある平日ではない。今学校は長期休暇に入っており、少女はその大半の時間を大好きな昼寝をして過ごしている。

 しかし、今日は違った。今日だけは、こうして布団に入って一日を過ごす予定ではなかったのだ。

 色鮮やかなそのチラシは、今日この日にそこへ行きたいと毎日のように両親に見せていたものだった。チラシの中央には新しくできたショッピングモールの写真がのせられており、そのショッピングモールのマスコットらしいキャラクターが笑顔で簡潔に見どころを語っている。

 昨日まではそのマスコットを見る度心を躍らせていたのだが、今思い出すとただ悔しさがこみ上げてくる。なんなのだろうあの笑顔は。馬鹿にしているのか。

 

 数日前から、少女は今日この日に両親と3人でそのショッピングモールに行く約束をしていた。少女がこの日を楽しみにしていたのは両親の眼から見ても明白で、今朝、明らかに体調が悪そうなのに、何でもない、大丈夫と繰り返す娘を医者に連れ泣きやませ寝かせるのにかなりの時間を要することとなった。

 ゴロンと、布団の中で寝返りを打つ。熱のせいか悔しさのせいか、じんわりと目が潤んでくる。

 別に、欲しいものがあったわけじゃない。そうじゃないから、今日でないとだめだったのに。


 ため息をつきかけたその時、布団越しに部屋のドアが開く音が聞こえた。おそらく母親が様子を見に来たのだろうと推測した少女は、まだ拗ねているのも情けなくて、かといって明るくふるまえるかと言われればそれも自信がないので、結局布団の中にこもり続けることにした。

 ところが、聞こえてきた足音は2人分あった。しかも何やらその二人は、少女の布団を無理やりはがすわけでもなくごそごそとベッドの隣で何かをしているようである。

 皆目見当もつかず、少女は布団の中で首を傾げた。まだ拗ねているのかと呆れられたかと思っていたが、何やらいたずらっ子のような笑い声が聞こえてくる。

 まさかすねて布団の中で丸まっている自分を見て、馬鹿にしているんじゃないかと思った矢先、母親のわざとらしく咳払いする声が聞こえた。


「いらっしゃいませー!果物屋さんでーす!」

 

 ……は?

「安いよ安いよ、今はなんと桃が半額です!」


 唐突に聞こえてきた母親の声に、今までの悔しさも息苦しさも全部頭からすり落ち、代わりに頭の中いっぱいに疑問符が浮かんだ。母親が何をしているのか考える暇もなく、今度は父親の声が聞こえてくる。


「すいません、イチゴのゼリーを一つください。」

「はーい、5ビーズ円です!」

「はい、5ビーズです。」

「はい確かに。ありがとうございましたー!」


 唐突に始まった両親の謎の会話に、さらに疑問符が浮かぶ。5ビース円ってなんだ、果物屋さんなのにゼリーも売っているのか、というかそもそもいったい何をしているのだろうか。次々と疑問が浮かび、流石に気になって少女はそっと頭を布団から出した。


「あらかわいいお客さん、いらっしゃいませ。果物屋さんです!」


 少女が布団から顔をのぞかせたのを見て、母親は待っていましたと言わんばかりに彼女に笑みを向けた。

 母親は床に座っており、彼女の目の前には裏返しの段ボールが置かれている。その上には皿に盛りつけられている桃や、フルーツ味のゼリー、おかゆ、スポーツドリンク、ぬいぐるみが並べられていた。ちらりと視線を父親に向けてみると、彼もまたニコニコと笑みを浮かべており、その手にはイチゴ味のゼリーと少女がよく遊んでいるピンクや白色のビースが握られている。


「お客さんは何にしますか?おすすめはこちらのぬいぐるみですよ。」


 母親は、ぬいぐるみを手に取り、少女の前で振って見せた。少女がそれを受け取ると、母親はさらに彼女にビースの入った小さな袋も差し出す。


「ありがとうございました!お客さんにはサービスで、お金も渡しちゃいます。」


 買ったのにお金もらうの?と思わず言葉をこぼすと、2人のやり取りを見ていた父親がおかしそうに吹き出し笑った。それを見た母親は、大げさにすねたそぶりをしてみせる。


「ほらほら、笑ってないでパパもお店開いて。ここはショッピングモールなんだから。」

「はいはい、じゃあパパはおもちゃ屋さんにしようかな。」

そういうと、どこから出してきたのか父親は母親のように段ボールを取り出し、その上に数々のぬいぐるみや人形をのせた。


「苺は何屋さんにする?」


 名前を呼ばれた少女は、すこし目線をさまよわせた後ゆっくり体を起こす。


「本屋。」

「よし、本屋さんね。」


 少女の言葉を聞いて、母親は彼女の布団の上に何冊か本を並べた。

 お幼いながらも聡い少女は、両親が自分のためにこんなことをしているのだということに気づいた。さらに、ショッピングモールに行きたかった目的が、物欲からくるものではないことにも気付いているようだ。


 さっきまで胸を締め付けていた悔しさが、すっとどこかに消えていく。その代わり、おでこや手から感じる熱とはまた違う温かさが心にこみあげてくるのを感じた。


 今日、この日でないといけなかった。共働きの両親2人ともが休みであるこの日でないと、ほかに機会はなかった。

 少女は聡い。同い年の他の子に比べれば、自分のこともある程度自分でできるし、わがままだって少ない方だ。聡いからこそ、両親が心から自分のことを愛してくれていることもわかっていたし、わがままを言えば大好きな両親に迷惑をかけてしまうことだってわかっていた。しかし、やはり彼女も幼い子供なのである。いくら頭で理解しているとはいえ、寂しいものは寂しいし、もっと両親と一緒に過ごしたいと思っていたのだ。

 だからこそ、少女はこの日を楽しみにしていた。3人で出かけられるこの日を、心待ちにしていたのだ。

 両親は、そんな少女の心をよく理解していたといえる。熱のせいで出かけられないと分かったときの彼女の心境を察し、彼女が眠ったすきに彼女を喜ばせるための計画、いわゆるショッピングモールごっこを準備し実行したのだ。

 少女が両親と過ごしたいと思うのと同じように、両親も少女と過ごしたいと考えていた。しかし、経済的な理由で仕事を休むわけにもいかず、自分たちに迷惑をかけまいと自分の気持ちを押し殺し笑う少女にこれ以上悲しい気持ちをさせたくはなかった。

 少女がショッピングモールのチラシを見せてきたとき、二人は内心とても喜んでいた。いままで我慢させてしまっていた分、少女が欲しいものなら何でも買ってやろうとすら思っていた。だから、彼女に何が欲しいのか聞いた時、彼女がぽかんとしてあわあわと欲しいものを考え出す様子を見て、二人もまたぽかんとしてしまった。

 それでようやく理解した。彼女が欲しかったものは、物なんかではなく、それよりももっと価値のあるものなのだと。


 その日丸一日、3人は、お互いに手元の“商品”と”お金“、そして言葉を交換し合った。ぬいぐるみとビーズを交換すれば、父親は少女にこのぬいぐるみに名前はあるのか尋ね、少女は大福みたいだからフクなのだと返す。果物とビーズを交換すれば、母親は少女に食べたいものはあるか尋ね、少女はママが作るオムライスが食べたいと返す。本とビーズを交換すれば、両親はどの本が一番面白かったのかを訪ね、少女は自分が一番好きな本を二人に読んで見せた。

 お昼になれば、3人で一緒にご飯を食べた。まるでレストランで出さられるかのようにきれいに盛りつけられたフルーツやゼリーに少女は目を輝かせたが、それの横に置いてあるおかゆやスポーツドリンクとのアンバランスさに3人で顔を見合わせて笑ってしまった。


 客も店員も、たった3人しかいない。本来行く予定だったショッピングモールに比べれば、売っている品数もお店の大きさもまるで敵わない。しかし、そんなことは彼らには重要ではないようだ。それは、3人の笑顔を見れば一目瞭然だ。

それは、夢を見ているときの心地に似ていると、少女は思う。温かな布団の中で見てきた暖かな夢。何度も繰り返し見た、3人で一緒に過ごす夢。その夢を見ている瞬間は、身も心も、温かさで包まれる。だから少女は、眠るのが好きだった。布団の中にいるその時が、幸せだった。

今もなお布団の中に入るし、身も心も温かい。だけれど、夢で見てきたその何百倍もの嬉しさがある。


夢じゃない。少女はその日、何度もそれをかみしめ、そして笑った。


 日は傾き、やがて落ち、3人だけのショッピングモールは閉店を迎える。暖かな気持ちで満たされた少女は、再び布団の中で、両親に見守られながらゆっくりとその瞼を閉じた。


 心地よい、まどろみの中に落ちていく。


 秒針の音は、もう聞こえてこない。

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