PM 9:44の天使
私が彼と破局したのは、確かクリスマスの少し前。
今年もホワイトクリスマスになるかも、って、乾燥して鼻の奥がキリキリするような頃のこと。
タクシーを拾って、涙を堪えて目を向けた窓の向こうに、夜景がネオン光線みたいに流れる銀河鉄道の夜。
憎いくらいに綺麗なホワイトクリスマス、未練たらたら、忘れられずに号泣する私の足元で、いつものぬくもりで私のことを慰めてくれていたあの小さな犬。
耳元に当てたスマホから
記憶だけを住み処にした彼とは違う、優しい声と足元で丸くなるぬくもりに、簡単に涙腺はやわやわになってしまって。
ああ、今日も綺麗だなぁ。冬。
泣けてくるわぁ。
私って、なんのために恋してたんだろう。
PM 9:44の天使
「はぁ……」
疲れきった白い息をはき出した。
クリスマスイヴ。
恋人たちの聖夜。
パラパラと降りそそぐ雪を見ては、ホワイトクリスマスになりそうだねーなんて甘い雰囲気で話す恋人たちを横目に、そそくさと通り過ぎる。
仄暗いイルミネーションの街はサンタやらトナカイやらで大盛り上がり。人々の喧騒はおさまりそうにない。
コートをぎゅっと握りしめてマフラーを鼻まで上げた。
彼を忘れられず明け方まで一人涙に溺れていた頃の私とは違う。
今は優しくて私のことを一番に想ってくれる彼氏がいる。
ホワイトクリスマスだなんて、知らない。
もうあの人なんて、知らない。
だけど、そんな立派な彼氏がいてもこういう風に一人とぼとぼと街を歩いていれば、寂しいクリぼっちって思われるんだろうなぁ。
まぁ、社会の荒波にもまれてきたばかりの体に刺さる視線なんか、もう気にする余裕がないからいいや。
そんなことを思いながら、帰り道の途中にあるコンビニでショートケーキを二つ買ってから家に帰る私。
そろそろ同棲している彼が帰ってくる頃かなぁ。
寒がりな彼氏さんのために暖房をタイマーかけておいたけど、効いているかな?
――なーんて、彼にだけ尽くされていると思っていたけれど、同じくらい尽くしているのかも。
心でそうぼやきながら、かじかむ指先でかばんの中から家の鍵を取り出して、鍵穴にさして回す。
「ただいまー」
そう、真っ暗な部屋に呟くように告げて、ばたばたしながらヒールを突っぱねるように脱ぐ。
キートレーに鍵を叩きつける。コートを脱ぎ捨てる。あー、こんなところまで丁寧になんかしてられるか。
ヒールに引っ掛かった靴は彼のものだったから、帰ってきてはいるのかな。そういえば、部屋が真っ暗だなぁ?
脳裏に、嫌な記憶がフラッシュバックする。
真っ暗な部屋に帰ってきたら、リビングのソファの上に彼と、――知らない女の人の姿。
なにをしようとしていたのか察したくないのに、二人の驚いた顔と、そしてその近すぎる顔の距離にそれを察してしまう。
泣き喚きながら走り去ったあの部屋。
まだ引っ越していないから、あのままで残っている。忘れたつもりなのに、嫌なことだけは妙に覚えている。
暗い部屋に怯えてビクビクしながら、リビングへと続くドアを開く。
驚きすぎて、持っていたコンビニの袋を床へと豪快に落とす私。ケーキ崩れちゃう、なんて思ったときにはもう遅くて。
そこに広がる光景に、開いた口が閉じない。涙がぼろぼろと溢れた。
――もちろん、良い意味で。
「ごめんって、そんなに泣かないで?」
いつもならおろおろとして抱き締めてくれる彼は今日は違って、優しい顔で微笑みながら、そっと頬に流れた涙を拭ってくれる。
「ばっかじゃ、ないの……」
「うん、ごめんね、ばかで」
「なんで、なんで、私なの……私なんかで、いいの?」
にっこりと、私の大好きな笑顔で笑う彼。そして少しだけ乱れた私の髪の毛を撫でつけるように頭を撫でて、額にキスを落とした。
「『私なんか』だなんて言わないでよ。俺は……君と一緒になりたい」
だから、と続けた彼の顔が、涙で霞む。その大好きな彼の姿を見ていたいのに、出てくる涙が邪魔でもっと泣けてくる。
高い位置にある彼の顔が私と同じ目線になる。
瞬きをして涙を散らすと、愛おしそうに微笑む彼の顔が見えた。今まで付き合ってきた彼氏のなかで、こんな風に微笑んでくれる人はいなかった。
――あ、違うや。
彼氏、じゃないか。
一流レストランのように手の込んだ料理。私の友達がこの場にいたら、フルコースかよ、とツッコむであろうその品数の多さ。
チョコケーキとチョコ細工が綺麗に盛りつけられたデザートプレートの端には、チョコソースで「Will you marry me?」の文字。私がうん、と頷くのを分かっているのだ。
彼が、すっとちいさく息を吸う。
散らしたはずの涙が、また戻ってくるのを感じた。
「結婚してください」
涙が出てきてしまって、お願いします、という言葉が出てこない。その代わりに、ちょっとカッコ悪いけれど何回も首を縦に振った。
「ははっ、泣きすぎだよー……大丈夫?」
「いま、ブサイクだから……見ないで」
鼻声を隠さずに言うと、私のことを抱きしめた彼が笑う。
キャンキャン
聞き慣れた可愛い声が聞こえて、視線を下におろすと、私たちの足元で吠える愛犬の姿。その可愛いチワワちゃんは、怒ったように彼の足に噛みついた。
「あっ! いだっ!」
「私のこと泣かすからだよー」
そう言いながら、痛さに悶えている彼のことを放って私のことをいつも守ってくれる愛犬のことを撫でる。
「ココー……これからも私のこと守ってねー」
そう言いながら撫でていると、おもむろに彼が近づいてきて私の手と彼の手が重なった。
するりと取られた左手。驚く間もなく彼にその手をとられて、薬指にはめられたリング。――見ていないけれど――多分、まぬけな顔のまま頭上にある彼の顔を見上げる。
「これって……」
「愛の印」
また、涙が零れた。うちのココちゃんが怒ったように吠えたけれど、今はもういい。
「これから、よろしくお願いしますっ」
「うん、ありがとう」
そう言って頷く彼。
腕の中に閉じ込められれば、また熱いものが頬を伝う。ぎゅーっと腕の力を強められれば、息苦しい。けれど、そんな彼のことが大好き、愛してる。
「子ども何人ほしい?」
押しつぶされて変な声のまま、そう尋ねると、「話が先すぎない?」って笑ってうーん、と考える彼。
「できるだけ」
「なんじゃそりゃ」
ふっと離れる体温。
見つめ合うと、なんだかクリスマスイヴの雰囲気に流されそうになってくる。いやいや、私たちもう大人なんだし……なんて言葉も、彼の唇に溶けていく。
大人だって、今日くらいは。
彼の肩ごしに、壁にかけられた時計が見えた。
それは、午後九時四十四分のこと。
不透明ゼニスブルー モモニカココニカ @Naru-araki
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