第2話 タンカーと柔軟剤 その1

 サキの会社のタンカーが、わたしたちの町に座礁して三日ほどがたった。

 なんの変哲もない、地方都市のすみっこにある小さな港町は、超重量級の黒船来航によって、天地がひっくり返ったような大賑わいになっている。

 朝の情報番組は連日、ヘリコプターから空撮したタンカーの映像が流され、お父さんが読んでいる新聞の地方版には、タンカーの写真が紙面を占領している。

 携帯のつぶやきアプリには、砂浜に打ち上がったタンカーの写真がタイムラインを独占し、♯タンカー座礁、がトレンド上位を右往左往していた。


「アカリ、朝ごはん早く食べちゃいなさい」

 エプロン姿のお母さんが、ぷりぷりと注意する。

 わたしは携帯を置いて、あわてておみそ汁に口をつけた。

「姉ちゃん、怒られてやんの」

 弟のソウトが、シシャモを頭からムシャムシャかじりながら言う。

 わたしに対しては、絶賛反抗期真っ盛りの小学五年生。ちっちゃいころは、どこに連れて行っても恥ずかしくないかわいい弟だったが、今やなんでもお姉ちゃんに突っかかってくる憎たらしい存在だ。

 わたしは、ソウトの後頭部をべしっと叩く。対象はシシャモのしっぽを吹き出して沈黙した。

 登校前のあわただしい時間でも、うちは朝ごはんをしっかりと食べることを家訓としている。

 今朝は珍しく、お父さんも食卓についていた。お父さんの仕事は朝が早いから、ふだんわたしが朝ごはんを食べる時間には、お父さんはとっくに家を出ているのだ。

「あのタンカー造った会社って、アカリの友だちの家らしいな」

 新聞を読んでいるお父さんが、ふいに口を開いた。

 怪しい――

 いつもはわたしの交友関係にこれっぽっちも興味を示さないお父さんが、そんな話題を出してくるなんて。わたしは警戒しながらも、「うん」とうなずいた。

 ソウトが、「うお、すっげー」と声を上げる。

「タンカーの離岸作業で、うちに見積もり依頼が来てな。他の土建屋にも依頼を出しているそうなんだが。うちは今期仕事が少ないから、確実に獲りたいんだよなあ」

 わたしの家は、おじいちゃんの代から土建屋さんを営んでいる。県や市の公共事業で生きながらえている、風が吹いたら吹き飛ぶような弱小零細企業だ。

「あんな大きなタンカー、うちでどうやって動かすの?」

「海から引っ張るんだよ。タグボートって言う、馬力の大きな専用の船でな。もっとも、それは別の専門業者の仕事だ。こっちの仕事は、その前にタンカーのまわりの砂を重機で掘削して、海水を引きこんでおくわけだ。お城の堀みたいにな。そうすれば、タグボートで引っ張りやすくなる」

 お父さんの説明に、焼きのりをぱりぱり食べながらほーん、とうなずくわたし。

「でも、うちにそんな大きな重機ないでしょ」

 お母さんがたくあんをぽりぽり食べながら、口をはさむ。

「そこはレンタルでなんとでもなるから」

 お父さんはなぜか、新聞の向こうからチラチラと、わたしに熱い視線を向ける。

 ははーん。そういうこと。

 パック納豆のタレを慎重に開けながら、わたしはお父さんを睨みつける。

「ちょっとやめてよね、サキに口利きしてくれとか言うんでしょ。わたしは、友情に家業を持ち込まないから」

「そんな大げさなことじゃないんだよ。ただ、うちにも見積もり来たよ、ってお友だちにちょろっと言うだけでいいから」

「――」

「仕事が入ったら、お小遣いだって上がるかもしれないぞ」

「いいじゃん、姉ちゃん。儲けたじゃん」

 テンション上げるソウトとお父さんの説得を無視して、わたしは納豆を乱暴にかき混ぜた。


 ***


「あかん。うちは貝になりたいわ。ハマグリとは言わんけど、ほどほどの大きさのアサリになって、海の底で静かに暮らすんや」

 サキは学校に登校すると毎日、そんなわだつみの声を漏らす。

 家業の失態がこうも全国的に流されては、サキが心落ち着く暇はないだろう。

 そんな友だちのため、アゲハちゃんとスミっぺとわたしは、タンカーがサキの頭によぎらないように、船を連想させる話題は厳禁とした。

 うちの家業のことを話すなんて、猫の額ほどの余地もないのだ。


 しかし、この世の中は、おどろくほど船に満ちていた。

 学校の授業では、社会科の寺村先生が相変わらず、大航海時代とその後の西洋各国による植民地支配をねちっこく語っているし、漢文は呉越同舟のお話だし、男の子たちから毎週回ってくるマンガ雑誌には、海賊のバトルマンガが巻頭カラーで連載されている。

 それだけではなく、クラスメイトの何気ない会話も、容赦なくサキを追いこんだ。

「今年の夏は海水浴どうなるかなあ」

「おれは、海の家のバイトやるつもりなんだけどなあ」

「それよりも、今年の花火大会だよ」

 そんな会話がこぼれ聞こえるたびにサキは、「おろろっぷ」と吐き気をもよおしていた。

「サキちゃん牛乳飲む? 胃酸に効くよ」

 ということで、スミっぺからもらったパック入り牛乳を、休み時間にちゅーちゅーするようになったサキ。

 サキの席は窓際なので、初夏の風が吹いてきてとても気持ちがいい。この風が、サキの気分を少しばかりやわらげてくれる。

 しかし窓際の席は反対に、外の景色がよく見える、ともいうこと。

 視界の半分を占めるタンカーの存在は、サキの気分を否応なしに、世の中にあふれる大船団のど真ん中に叩き落してしまう。

「おまえら、そんなこと言ってんなよ。咲守さんに気をつかえって」

 杉山が「おら、しっしっ」と無神経な男の子たちを追い散らした。

「あいつ、やるじゃん」

 アゲハちゃんが感嘆の声を上げる。

 でも、わたしは知っている。サキの会社が、漁協にいろいろ話をつけたとかで、杉山のおじいちゃんたち漁師さんに補償金が支払われたことを。

 そのお金でパチンコに行ったおじいちゃんが大当たりして、孫の杉山にもお小遣いがたんまり入ったことを。

「汚い。世の中は汚い」

 この小さな町は、タンカーを中心とした経済圏が出来上がりつつある。

 サキに見られないように、こっそりとアルフォートをサクサクしながら、思わずわたしはつぶやいた。


 ***


「こんないい天気の日に、教室で授業ももったいない。諸君、スケッチブックを片手に外へ行こうじゃないか」

 午後の美術の時間。そんな昭和の学園ドラマみたいなセリフをはく堀先生。

 とたんに、わいわいにぎやかになる美術室。さっそく、スケッチブックと絵具セットをかかえて、堀先生の後をついていく一同。

「楽しみだね、サキ」

「せやな。授業中に学校の外に行くんは、気分転換にええわ」

 わたしのとなりを歩くサキの足取りは軽い。ウキウキ感がわかりやすく伝わってくる。

「ところで先生―、どこでスケッチをするのー」

 わたしたちの後ろを歩いていた杉山が、堀先生にでかい声で質問する。

「もちろん砂浜だぞ。最近タンカーが座礁したからな」

 堀先生の言葉に、案の定サキが「おえっ」と反応した。


 砂浜に到着して早々、サキは、スケッチブックに行き場のない青春の衝動をぶつけていた。

 個性的なデッサンと独創的な色使いで描いているのは、波打ち際の砂のお城とヒトデとカニさん。この立派なお城は、さっきまでアゲハちゃんとわたしで作っていたものだ。今作は、インドのタージマハルを参考にして、なかなかの傑作に仕上がった。

「キュビズムかな?」

 サキのスケッチをちら見したスミっぺが、誰ともなしにつぶやく。

 砂のお城づくりに満足したわたしは、どれどれと他の人たちの作品を見にいくことにした。

 たいていの人は、サキの会社のタンカーを画題に選んでいることだろう。

「そりゃ、もちろん。せっかくなら、珍しいもん描かないとな」

 杉山が描いているタンカーは、顔と性格とふだんの言動に似合わず、写真みたいにむちゃくちゃ緻密で繊細だ。こいつ、このクオリティを、鉛筆一本で描いたと言うのか。

「杉山、もっと下手くそに描きなよ。リアルすぎると、サキが見たら気分悪くなるんだから」

「創作衝動は止められねえんだ。たとえタンカーが爆発しても、おれは描くぜ」

 岡本太郎みたいなことを言いながら、描く手を止めない杉山。

 ちなみに、あのタンカーは燃料を入れる前に漂流してしまったので、爆発も海洋汚染も心配ないと、スミっぺが言っていた。


 杉山の創作活動にさんざん茶々を入れたわたしは、満足満足とサキのもとに戻る。だがしかし、サキの姿がどこにも見えない。

「アカリ~、ここや~」

 おそろいのつば付き帽子とスモックの山が、モソモソ動いている。

 サキはなぜか、通りすがりの保育園児の集団に埋もれていた。

(おねえちゃん、もっと絵え描け)

(お城じゃなくて、船だ。船描け)

(抽象画だめ。写実よ写実)

 近所の保育園のお散歩の時間に、遭遇したと思われるサキ。群がる男児と女児を、よ~しよしと引っぺがして、なんとか救出に成功した。

「だいじょうぶ?」

「死ぬかと思ったわ。園児は圧がすごいで」

 解放されてひと息つくサキ。

「それにしても、アカリはすごいわ。ちっちゃい子のあつかいに慣れとるなあ」

「そうかな。弟の面倒見てたからかもね」

 サキのぴょんぴょん跳ねた髪をなおしてあげながら、砂浜を駆けまわっている園児たちをながめる。

(あの船すごーい)

(むちゃくちゃ大きーい)

(タンカーっていうのよ)

 思い思いの感想を言い合っている様子がほほえましい。

 実をいうとわたしも、タンカーを間近で見たのは、今日が始めてだった。

 堤防道路や教室の窓からながめていたタンカー。砂浜に下りると、首が痛くなるくらいに見上げても、まだてっぺんが見えない。

 いつも見慣れていた砂浜に突然現れた、学校の校舎よりもはるかに巨大な船。

 近くで見ると、大きすぎて全体が見渡せない。遠くで見ても、大きすぎて遠近感がわからない。

 わたしとサキは、二人で砂浜に腰をおろして、大きなタンカーと、その前ではしゃいでいる小さな園児たちを、いつまでもながめていた。

「サキの家はすごいね。こーんなに大きな船を作っちゃうなんて――」

 自然とそんな言葉がこぼれる。

 言ってから、しまったと思った。サキに、船の話題は厳禁だ。

「――」

 恐る恐るサキの顔をのぞいてみる。

 サキの表情は、おだやかだった。

「ありがとうな」

「サキ――」

「あのちっちゃい子らも言っとったわ。船大きい、すごいって。目がきらきらしとった。うちの家のせいで世間さまに迷惑かけとるのは、重々承知や。せやけど、家が造った船にみんなが感動してくれているのは、素直に嬉しいんや」

 小さな園児たちばかりじゃない。わたしたち高校生でさえもみんな圧倒されて、タンカーをスケッチの画題に選んでいた。

「サキ――あのね」

 わたしは、思わず口を開いていた。

「うちのお父さん、土建屋やってるんだけど、タンカーを海に戻す仕事、引き受けたいって言ってた。もちろんお金のこともあるんだけど……でもわたしも、わたしの家が、サキの家の役に立てるなら……すごく嬉しいかな」

「そうなんや」

 サキは短くそう言った。

「うん、そうなんだ」

「……そうなんや。ありがとう」

 恥ずかしそうにそっぽを向くサキ。

 わたしは思わず、声を出さずに笑った。

 なんだか、お父さんの思惑通りになってしまったようで、少しくやしい。

 けれど、サキが喜んでくれる姿を見ていると、わたしは、とても嬉しくなる。


 タンカーを中心に、ぐるぐる回る小さな町の経済。

 でも、それ以上に大きな存在感。はしゃぐ保育園児。高校生だって圧倒される。

 そして、わたしとサキの友情。

 世の中は、けっこう狭い範囲で、そこそこ上手く回っていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

船がみえる! 鈴木いちまち @1machi_Suzuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ