船がみえる!

鈴木いちまち

第1話 真実は小説よりもタンカー

 気の早い台風が、わたしたちの町に接近してきていた。

 高校は五限目で終了。早々に下校をうながされたわたしたちは、徐々に強まる風の中で、帰路についている。

「サキ~、歩くの速い」

 向かい風の中を、前髪もスカートも乱さずに颯爽と歩くサキを、わたしは速足で追いかける。

 

 わたしの友人、咲守(さきもり)あすかは、完璧超人。

 成績優秀、容姿端麗、品行方正、一年一組学級委員長。

 そして噂によると、どこかの大企業社長のお嬢さま……らしい。今年の春、高校入学前に、家業の関係でこの町に引っ越してきたそうだ。

「サキの歩みがわたしより速いのは、生き様の違いなのか、単に足の長さが違うのか」

「そんなんちゃうよ。アカリはおおげさやなあ」

 わたしの高度に知的な分析は、サキにあっさり否定された。

 歩調をわたしに合わせてくれたサキは、長い黒髪を風に揺らしながら、わたしのとなりをゆったりと歩く。

 すぐ真横に砂浜と海が広がる堤防道路。

 あと半月もすると海水浴客でにぎわう広い砂浜。

 ヨットハーバーに停泊しているレジャーボート。

 遠くには、造船所のタワークレーン。

 この町は、海と船の町だ。

 東側は海と砂浜。どこまでも続く堤防をはさんで、西側に松林と畑と住宅街。

 学校も海の近く。わたしの家も海の近く。潮風のおかげで、おじいちゃん家の軽トラはさびだらけ。


「台風、なんにもないとええんやけどなあ。ごっついのが来るって、天気予報でやってたわ」

 波に揺れるレジャーボートをながめながら、サキはつぶやく。

 沖を見ると、白波が立ち始めていた。雲は水平線近くにあって、流れるのが速い。いつになく生暖かい空気から、湿度の高さを肌に感じる。

 衣替えしたばかりの、折り目がまだしっかり入っている半袖の制服は、今日の天気にはちょっと不釣り合い。

「また、どうせいつものパターンだよ。夜中のうちに、ちょっと強い風が吹くだけ。朝には晴れていて、学校は休みにならない」

 わたしは、お気楽にそんなことを口にする。サキも「そやなー」とのんきに返事した。

 サキとわたし、二人ならんで歩く堤防道路。

とりとめのない、いつも通りの会話を楽しみながら、いつも通りの日常をわたしたちは過ごしていた。


 そう、今日この時まではね――


 ***


 次の日の朝。

 携帯のアラームで、心地よい睡眠からたたき起こされる、いつも通りの朝。

「うん。なんか暗い」

 お布団の中でもぞもぞしながら、寝起きの頭で、わたしはもやもやと考えをめぐらす。

 わたしの部屋の窓からは、毎日朝日が差し込む。

 それが今朝に限って、わたしの部屋は薄暗いまま。

 さては、まだ台風が――

 急に非日常感がこみ上げてきて、わたしはすぴょーんとベッドから飛び起きた。

 カーテンを開けて、お外のお天気を確認する。

「――え?」

 わたしが窓の外の光景に期待していたのは、もちろん強風が吹き荒れて、横殴りの雨が窓ガラスを打ち付けて、こりゃもう、学校はお休みだな、ってそんな感じの状況。

 

 ところがどっこい。


 いつもならコンクリートの堤防と、その向こう側に広がる青い海が見えるはずの窓の外。

それが今日は、堤防の向こう側が、黒一色の巨大な壁みたいなものに、どどーんとさえぎられている。


 まったく、状況が理解できない。

 階段を駆け下りてリビングに行くと、さらに日当たりの悪いことになっていた。

「困ったわね。洗濯物乾くかしら」

 お母さんがほほに手を当てて、首をかしげている。

 テレビのニュースを見ても、台風は関東地方に向かっていることを告げているだけで、わたしの町の異常事態を報道する番組はない。

 ひとまず朝ごはんをお腹に入れて、わたしは朝の身支度を始める。

 家の日当たりは悪いけど、天気は晴れ。

 つまり残念ながら、今日は学校があるのだ。


 いつもより見通しの悪い堤防道路を、学校に向かってひた歩く。

 サキとは、毎日決まった場所で待ち合わせをしているのだけれど、時間になっても姿は見えず。携帯に電話をかけても応答がなかったので、『先に行ってるね』のメッセージを送って、わたし一人で登校することにした。

 それにしても、この黒い壁はいったい?

 姿を見せぬサキも、この光景におどろいているのかな。

 いつもと違う日常に、わたしの頭の中は、高校受験のとき以来の高速回転を続けているのだ。


 一年一組の教室に到着して、自分の机にスクールバッグを置くと早々に、わたしは校舎の屋上へと向かった。

 と言うか、わたし以外の他の生徒たちもみんな、屋上に集まっていた。

 みんな、あの黒い壁の正体はなんなのかを確かめに、このあたりで一番高い場所に勢ぞろいしているのだ。

「おいおい、マジかよ」

「デカすぎるぜ」

 フェンスにかじりつくようにしている男の子たち。背中がじゃまでよく見えない。

「アカリちゃん、おはよう~」

「こっち来て見てみなよ。ヤバいよ」

 クラスの友だちの、スミっぺとアゲハちゃんが手招きしてくれている場所から、ようやく全貌を見わたすことができたわたし。

 目の前の光景に、またもや頭の理解が追い付かない。


「――なにこれ、船?」


 黒い壁だと思っていたのは、超巨大な船の横っ腹。

 甲板が平べったくて、後ろの方に学校の校舎みたいな建物が乗っかっている――とにかく、とてつもなく大きな船が、砂浜に路上駐車よろしく、どどーんと乗り上げている。


「タンカーみたいだよ。たぶん昨日の台風で、造船所から流されたんだろうって」

 メガネをきらんと光らせたスミっぺが、携帯のSNSをチェックしながら、仕入れたばかりの情報を教えてくれる。

「そっか。よくわかんないけど、そっか……」

 世の中には、こんな大きな船があるんだなあとか、台風であんな大きな船が流されちゃうんだなあとか、いろいろと感心。

 ひとまず写真を撮って、サキに送ってあげることにした。

「もうちょいかわいくデコろうよ」

 少々ギャル味あるアゲハちゃんも参加して、タンカーの写真にキラキラとニコニコのスタンプをぺたぺた貼り付ける。

 黒一色のタンカーがちょっとかわいくなったので、『船が来た』ってコメントを添えて、メッセージを送る。

「そう言えば、サキちゃんいないね。寝坊かな」

 スミっぺがそう言いかけたとき――


「咲守さん、今日は来れないんじゃねー」

 わたしたちの後ろから、元気すぎる声が聞こえてきた。

 振りかえると、クラスの男の子、杉山が妙なテンションで立っていた。

「杉山、なんか知ってるの?」

「咲守さん家って、『咲守造船』とこの一人娘じゃん。造ってる船を台風で流しちゃったってなったら、もう大変だろ」

 無駄に大きな声で、ぺらぺらと言わんでもいいことをしゃべる杉山。

 サキの家が造船会社をやっていて、このタンカーはサキの会社から流れて来て、って衝撃的な情報は、そりゃびっくりなんだけど、それ以上に、そんなデリケートな事を、不特定多数が聞いている場所で、大声でしゃべらないでほしい。

 案の定、「え、咲守さんとこ、タンカー流しちゃったの」とか「うちの学校に、あの造船会社の娘いるんだ。超お嬢さまじゃん」とか、そんなヒソヒソ話がそこかしこに湧き起こってしまった。

「杉山、あんたアウト」

 アゲハちゃんが怖い顔で、空気読めないこの男子を睨む。

「そうだよ。別に、ケガした人がいるとか、そんなんじゃないみたいだから、あんまり騒がない方がいいよ」

 ネットニュースの速報をチェックしていたスミっぺも、杉山をたしなめる。

「だってよー。オレのじいちゃん漁師だからさあ。朝から地曳網ができないって騒いでたぜ」

 あいも変わらず、音量マックスでしゃべり続ける杉山。


「おい、おまえら。もう授業始まるぞ。教室戻れー」

 三組の岡崎先生が屋上に上がって来たので、わたしたちは各々の教室に戻ることになった。

 階段を下りていく中、わたしはとんでもないことに思い当ってしまった。

「あーどうしよう。わたし、最悪なことしちゃった」

「どうしたの、アカリちゃん?」

 となりを歩くスミっぺが、わたしの顔をのぞき込む。

「サキに、タンカーの写真送っちゃった。めちゃくちゃ追いつめちゃうじゃん、あれ」

 わたしの言葉に、アゲハちゃんも「あちゃー」と声を上げた。

 もしかしたらと思い、メッセージアプリを開いてみたけど、わたしが送った写真には、既読のマークが付いている。ちなみに、サキからの返事はない。

「どうしよう、サキめっちゃ怒ってるかも。それか悲しんでいるか……」

「知らなかったんだから、仕方ないよ。サキちゃんが学校来たら、その時謝ろう」

 アゲハちゃんが、ため息といっしょに優しく提案してくれる。

「うん……」

 わたしは素直にうなずいた。


 ***


 結局サキは、授業が始まっても学校に来ることはなかった。

 わたしの席のとなり、一番後ろの窓際が、サキの席なんだけど、授業中ぽっかり空いたまま。

 携帯にも応答がないまま、昼休みを迎えてしまった。

「サキ、だいじょうぶなんかなあ」

 わたしは、イスの背もたれに体重をかけて、ガッタンガッタンさせながら、意味もなく天井をながめる。

「いや、今日ばかりはサキちゃん来なくて正解だったかも」

 アゲハちゃんが、お弁当を抱えながら、わたしの席にやってきた。

「一限目の国語が、森鴎外の『高瀬舟』で、二限目の世界史が、イギリスとスペインの『大航海時代』。おまけに三限目の音楽が、映画『タイタニック』のテーマソングだったもんね」

 スミっぺが、神妙にうなずきながらアゲハちゃんの言葉を引き継いだ。

「ともかく、サキちゃんはおそらく今、世界中の誰よりも船の話題に敏感なはずだから。もし学校に来れても、その手の話題は一切禁止。わかった?」

 アゲハちゃんの強い口調に、スミっぺとわたしはこくこくとうなずく。

「杉山、あんたもいらんこと言ったら死刑だからね」

 急にアゲハちゃんに名前を呼ばれて、二つとなりの席で弁当をかきこんでいた杉山が、「ええ!」と叫んだ。

「でもよお、じいちゃんの地曳網漁どーすんだよ。今がシーズンだぜ」

「地曳網とサキちゃん、どっちが大切なの!」

 漁業と友情を天びんにかけて言い争う二人。

 どうしたもんかと、おろおろするわたしとスミっぺに声をかける人が、一人。

「なんで、あの二人ケンカしとるん?」

「ああ、サキ。アゲハちゃんが杉山に注意したのよ。サキに船を連想するようなこと言っちゃだめって。そしたら杉山が言い返しちゃって……って! サキー!」


 いつの間にか、ひょっこり教室に現れていたサキ。

 ご本人登場とは、まさにこのこと。

 ああ、なんかもう、めちゃくちゃだよ。


「サキちゃん! いつの間に来てたの……?」

 わたしの声でサキの登場に気づいたアゲハちゃんが、気まずそうにたずねる。

「今さっきやで。理由はようわからんけど、うちのためにケンカするんはやめてほしい」

 いつも通りの冷静沈着さで、「どーどー」と二人をなだめるサキ。

「だってよお、じいちゃんの地曳網漁が……ぐふっ!」

 杉山がこれ以上口を開く前に、アゲハちゃんとわたしは、ヤツのお腹に一発ずつ制裁をくれてやる。

「地曳網……? ああ、うちの父様が朝から漁協の組合長さんとこに謝りに行ってたわ」

「杉山の言う事は気にしなくていいよ、サキ。それより……だいじょうぶだったの?」

「なんや、心配してくれるんか。ありがとうな、アカリ。うちは元気やで」

 もともと感情の起伏が少ない子なので、いまいち真意は計りかねる。だけど、「むん」と両手を肩の高さに上げて元気アピールを見せるサキに、わたしはひとまず安心した。

「それより、ごめんなあ。電話もメッセージも返事を返さんくて……」

「気にしないでいいよ。わたしこそごめん。変な写真も送っちゃって……」

「ああ、あのタンカーの写真なあ。まさに、うちの父様の会社が造っとったタンカーや、あれ。ばっちり撮れとるで……うっぷ」

 会話の自然な流れの中で、さりげなく吐き気をもよおす、サキ。

「サキー!」

 アゲハちゃんとスミっぺとわたしは、あわててサキを保健室へ担ぎ込んだ。


「悪いなあ、みんな。心配かけてもうて」

 保健室のベッドに寝かしつけられたサキが、口を開く。

「こっちこそ、ごめん。嫌なことを思い出させちゃって」

 わたしは、サキのおでこに冷えピタを張り付けながら謝った。サキはくすぐったそうに、目を一瞬きゅっとつむる。

「船の話題は禁止ってやつやな。気持ちはありがたいけど、大げさやわ。そこまで気を回さんでも、うちは平気やで」

 サキの表情が、少し柔らかになる。

 サキはわかりやすく笑顔を見せることはないけれど、口元のほのかな緩みや、目元のささやかな和みから、とても嬉しそうなことは伝わってきた。

 サキが学校に来てから、終始謝りっぱなし、気を使いっぱなしだったわたしも、少しほっとする。

「そう。アカリは笑ってるほうがええよ」

 サキの言葉に、わたしもつられて笑顔になっていることに気が付いた。

「――じゃあ、わたしとスミは、そろそろ教室もどるよ」

 足元に立っていたアゲハちゃんが、腕を組みながらそう言った。

「ほら、行くよ」

「え、わたしも」

 なかば強引にスミっぺを連れて、保健室を出て行ってしまったアゲハちゃん。なぜか、ウインクを一つ、わたしに残していく。

 保健室にいるのは、サキとわたし、二人だけ。

 半分開けた窓から入ってくる海風が、カーテンを優しく揺らす。

 窓の外から、お昼休みを楽しむ他のクラスの子たちの声が聞こえてくる。

 なんとなく、外の喧騒に耳を傾けていると、サキのお腹から「くう~」という音が聞こえてきた。

 いつもは表情の変化が少ないサキの顔が、真っ赤になっている。

「実は朝から何も食べてないんや」

 サキは恥ずかしそうに言った。

「安心したら、なんか急にお腹がへってもうた」

「もう、お昼だもんね。待ってて、わたしお菓子持ってるからいっしょに食べよ」

 わたしが制服のポケットからこっそりと取り出したのは、ブルボンのお菓子。ビスケットにチョコレートがコーティングしてある、わたしのお気に入りだ。

 サキの目がきらんと光る。

「お、アルフォートか、ええなあ。うちもこのお菓子大好きやねん。特にこのチョコの表面に描いてある、帆船の絵が……おえっぷ」

「サキー!」

 静かな保健室に、わたしの悲鳴がいつまでもこだました。

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