第2話 メモ・たまには親気分で接してみよう

 「どうせ教科書も読めないだろうってことですか?配る意味ないと?そんな差別が許される?なんで担当が出てこないんだよ!」

 見る間にヒートアップし、一息のうちに丁寧語が外れケンカ腰にギアが入り、攻撃モードに突入してしまった。

 「お母さん、申し訳ないです。ティムさんにだけ教科書が渡せていなかったのはこちらの連携ミスです。担当の呉屋先生は休みでして」

 私は4年3組の担任、花城のぞみ。

 知的障害があるティムの教科書は、特別支援学級の先生から配られるはずだった。

 ところが、担当の呉屋先生は半年が経ってもティムだけでなく他の子どもたちとも良い関係が作れずに、度々、逃げ出していた。

 もう限界です、メンタルの治療に専念したいと休んだばかり。

 さすがに休み前の配布物くらい責任持って終わらせたとばかり思っていたのに。

 こっちの確認も必要だったのかー…


 ティムママが私の方を向いた。

 「ティムがのぞみ先生のこと大好きって言うんですよ。戦闘機の話も聞くし、走るのが速いとほめるし、字もきれいになったって言ってくれるって。のぞみ先生の教室にいるより、呉屋の教室にいる方が長いでしょ、あの子。なのに1回もティムが楽しい話をしないのよ!」

 呉屋、ゴヤ、って呼び捨てにされてしまった。本人はいないけど。 

 教頭先生が出てきて丁寧に詫び、教科書を受け取ると職員室のドアをピシャ!と閉めて帰っていった。


 「ここにいる先生たちはもうよくご存じだけど」

と教頭先生がため息をつく。

 いわく、普通学級にいる発達障害の子どもを含め、障害児の保護者はとにかく敏感。言い方は悪いが、「被害妄想」を持ちがちなので気を付けろ、というわけだ。


 米兵の夫と離婚してひとりでティムを育てている母親は関東出身。沖縄には身寄りもない。きれいな面立ちなのに、いつもノーメークにボサ髪をひっつめ、地味だ。

 ティムの将来を見据えて戸建てを購入し、必死に仕事と子育てをするシングルマザー。

 そんなティムママを見ると、思い出すことがあった。


 私は高校生の頃、米兵と付き合う「アメ女(じょ)」たちに悪いイメージしかなかった。

 アメ女、と思っていたが「女」ではなく沖縄方言で「〇〇好き」を表す「じょーぐー」に由来して「アメリカ人じょーぐー」→「アメじょ」であるらしい。

 どちらにしても差別的な呼び方なので、脳内で最初に変換される「女」で統一する。


 特に本土出身の「アメ女」たちは、ケバいメイクに露出ファッションでまじめな女子高生には、異常な尻軽ビッチ集団(ごめん)に見えていた。

 「わざわざ内地から沖縄にまで来て(米兵を)追いかけるかね?」

 「こけしみたいに薄いナイチャー(内地人)顔に、つけまして目が開く、あれ?」

なんて茶化す友達もいた。面と向かっては言えないけどね。

 街で見かけるナイチャーアメ女らはなぜか自信満々な表情で、制服姿の私たちを見ると「ふっ」と笑みまで見せた。

 あの時は

「なんかウチら馬鹿にされてる?アメ女のくせにい」

と思ったが、今になると

「かわいいね女子高生。あの頃は楽しかったな」

なんて優しい眼差しだったのかも。いやほんと、大人になると捉え方が変わるよね。

 脱線したが、つまり私は米兵と付き合う人に偏見があったんだな。

 自分はデートもしたことなかったし、タトゥーごりごりのポパイみたいな腕にぶら下がってキャッキャしてるギャルたちが、怖くもあったし。

 あのお姉さんたちの何人が実際に結婚したかなんて知る由もないけれど。


 去年、受け持ったクラスには、派手なネイルとメイクで未だアメ女感が抜けきらないママがいた。

 3人の子が全員「米兵パパ違い」の兄弟。沖縄出身のシングルマザーで、なんと4人目を妊娠中。今度のパパもマリーン(海兵隊)ってば~とママ本人が言っていた。

 子どもたち全員がアメリカンな見た目だがパパと同居期間が短く、英語はほぼ話せない。


 一方、日英バイリンガルかつ優等生もいる。

 いつもティムの通訳をかってでる、同じクラスのルーカス。ルーカス以上に勉強ができるのが隣のクラスのクロエ。

 優等生ハーフの共通点は、アメリカ人パパたちが、運動会や学芸会などのイベントに張り切って協力してくれる点だ。

 クロエパパが、運動会の時に基地で買ってきたドーナツを

「センセイ、サシイレでーす」

と職員テントに持ってきたことがあった。

 「クロエ、ときどきね、Shyデショ?」

 サーフボードを持ったサンタTシャツを着たパパは、そのイラストとほぼ同じ外見でカワイイ。英語を混ぜながら熱心に先生たちとコミュニケーションを取るのを見ていると、「どこの国でも親心は同じだよな」と思ったりする。

 クロエパパのサンタ顔を思い浮かべながら、パパなしで暮らすティムママを思う。

 職員室のドアをピシャ!と閉めた時、ティムママの目尻に涙が光っていた。

 一生懸命に子育てしてるのに!当たり前にくれるはずの教科書さえ配ってもらえない不憫なわが子!と怒り心頭で悔しかったはずだ。

 ただ、こっちも普通に激務だしメンタル崩す同僚続出で穴埋めにてんてこ舞い。ティムママの騒動は、「私のミスじゃないのに超面倒」てのが最初のリアルな感情だった。

 とはいえ。

 教師にだって、生徒に対しては親心に近い気持ちがある。私たちに見せまいとした涙の意味は理解しているつもりだ。


 今日は一瞬、とんずらの呉屋先生と、血走った目のティムママに、わじわじーしかけた。アメ女から自分の偏見、いろんな家庭があることを考えたらイライラは収まった。

 どの生徒に対しても、パパとママの気持ちになって接する瞬間を作れたらいいんだけどな。あなたが大事よ、て気持ちで目を見てにっこりしてあげるのはできるかな。

 正直綴りの学級日誌だから言っちゃうと、理想はあっても実行は難しい。

 けどさ、子どもたちへの愛しさを時々は意識して取り出さないと、先生って続かないなって思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

花城先生の学級日誌 ジャスミン コン @jasmine2023

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ