【KAC20235】なんやかんやで筋肉対決を見守る二人

宇部 松清

第1話

「おっ、いたいた」


 学校からの帰り道、本日発売の漫画雑誌を立ち読みしていこうかと寄った『WALL BOOKS』である。こないだ、深夜にばったり遭遇してなんやかんやあったお姉さんが、カウンターでレジ作業をしているのが見えた。


「『お姉さん発見。大丈夫そうだぞ』、と……」


 と、夜宵にメッセージを送ってスマホをジャージのポケットにしまう。


 あれから数日、夜宵はかなりこのお姉さんのことを心配していた。さすがは医者の卵だ。それで、毎日のように立ち寄っていたらしいんだけど、シフトの関係なのか、それともたまたま見つけられなかったのか、その安否を確認出来なかったのだという。


「でも、鼻血だろ? 俺もたまに出すし、大丈夫じゃね?」

「大抵の場合は心配ないんだけどね。でも、大病が潜んでる場合もあるし」

「そんなに心配なら、俺も今日の帰りに寄ってみるよ。夜宵は今日バイトだろ」

「うん。じゃあ、お願い」


 今朝そんなやりとりを経てのいまである。

 夜宵が優しいのはわかるし、目指す職業のことも考えれば、目の前であんなことが起これば気になるのもわかる。そういう部分もひっくるめて好きなのはもちろんなんだけど、相手が女性であるだけに、ちょっともやもやしてしまうのも事実だ。


 我ながらめちゃくちゃ心が狭いのは自覚しているけれども、夜宵がアルバイトで勉強を教えてるのも女子高生だし(おばさんの親戚の子らしい)。もし何かあったら、なんて本当は毎回心中穏やかではない。


 背中に手を回して、リュックサックのサイドポケットに触れる。指先に当たる硬いものをさすさすと撫でて、早く渡したい、と目を瞑った。こんなものが魔除けにもならないことくらいわかっている。だけど、夜宵のことだから、いま以上に俺のことを考えてくれるんじゃないかと思うのだ。大きな目をまんまるにして、萩ちゃんありがとう、なんて言ってくれるだろう。夜宵は涙腺が弱いから、もしかしたら嬉し泣きもしてくれるかもしれない。


 そんなことまで考えると、ついつい口元が緩んでしまう。


 だけど、まだその時ではない。

 短期バイトで得た金をうっかり使ってしまったら大変だと、もらったその足で買いに行ったのである。その時が来るまで、これは渡せない。


 と。


 ポケットに入れていたスマホが微かに振動した。この短いバイブはメッセージの受信だ。そう思い、確認してみると夜宵である。


『良かった』


 の言葉と共に、はしっコずまいのスタンプが押されている。困り眉の狼が、胸(と思しき部分)に手を当てて、「ホッ」と息を吐いているやつだ。この時間は家庭教師のバイトのはずだけど。


 真面目な夜宵はバイト中はスマホを鞄の中にしまっているため、基本的には連絡がつかない。もしもの場合は、その家庭教師先――新田にった家の番号を教えてもらっているので、そちらにかければ良いし、そうそうそんな『もしも』もない。


 だから、随分珍しいこともあるものだ、とスマホ画面を凝視する。返事をして良いものかと考えあぐねていると、追撃が来た。


千佳ちかちゃん、急に学校の用事が入ったみたいで、バイトお休みになっちゃった。』

『いまから帰るけど、萩ちゃんはもう家?』


 立て続けに受信するメッセージを目で追い、『まだあの本屋。合流するなら隣の喫茶店で待つけど』と返す。『じゃあ僕もそっちに行くよ』という返事を確認して、了解のスタンプで〆た。


 この本屋の隣には喫茶店がある。どうやらここの店主と喫茶店のマスターが元々仲が良く、WALL BOOKSココで買った本をゆっくり読んでほしい、という思いで開いたのだとか。なので、この店の本の購入レシートを持って行くと、コーヒーが半額になるサービスもあったりする。せっかくなので気になっていた映画の原作本を買い、隣の喫茶店へと行った。



 それを読みながら30分ほど待っただろうか。


『萩ちゃん助けて』


 そんなメッセージを受信して、「何だ!?」と俺は立ち上がった。何事か、とざわつく周囲のお客さんにすんませんとペコペコ謝ってそのままレジカウンターへ向かい、さっさと支払いを済ませて店を出る。リュックを背負いながらスマホを操作し、メッセージでは埒が明かないと通話をタップした。


『――あっ、萩ちゃん?』

「どうしたんだ夜宵! いまどこだ!?」

『あのね、本屋さんの――って、あっ、萩ちゃん、ここ、ここ!』


 その言葉で顔を上げると、数メートル先で、ぴょんぴょんと跳ねながらこちらの向かって手を振っている夜宵の姿が見えた。いやいやお前十分デカいんだから飛び跳ねる必要ないからな? 可愛いな?


 夜宵がいるのは、俺がいる喫茶店から本屋を通って3、4軒ほど離れた場所だった。出来たばかりの大手フィットネスジムの支店の前である。何やら人が集まっていて、夜宵はその輪から外れたところにいる。一体何が起こっているんだろう。乱闘か? でも見たところ、夜宵が関わっている様子はない。では何をもって『助けて』なんだろうか。えっ、俺に止めろってこと!? いやぁ、夜宵が関わってるなら身を挺してでも止めるけどさ、全く無関係の人ならなぁ。


 そんなことを考えながら人の輪の中に入っていくと――、


「あっ、兄貴!」


 兄貴なのである。

 自他共に認める筋肉馬鹿の兄貴なのである。

 その筋肉ブラコン馬鹿が、そのフィットネスジムの真ん前で、恐らくそこの従業員と思われるムキムキと並んで腕立てをしているのである。


「萩ちゃん、良かった来てくれて。その、見ての通りなんだけど」


 と、言いにくそうにもじもじと視線を落とす。


「えっと、うん、あの……見ての通りって言われてもな? 俺にはウチの馬鹿が他人様に迷惑をかけている図にしか見えないんだけど。えっ、何がどうしてこんなことになってんだ?」


 蹴り飛ばして良い? と足を上げて夜宵に尋ねる。すると、駄目駄目! と俺の腕を掴んでぶんぶんと首を振った。いや可愛いな、おい。


椰潮やしおさんは僕のためにしてくれてるんだ」

「は? どゆこと?」


 夜宵の話によるとこうだ。


 夜宵が俺との待ち合わせの喫茶店に向かっていると、このフィットネスジムのビラ配りに捕まったらしい。そう、いま兄貴馬鹿の隣で腕立てをしている男である。こいつ(ビラ男)は夜宵の身体に目をつけ、こともあろうに「君のような貧相な身体でも、ウチのジムに入会すれば、女の子にモテモテのたくましい身体になれるよ!」と宣ったのだとか。よし、蹴り飛ばすのは兄貴の方じゃないな。こいつか。


 当然夜宵は断った。

 貧相とズバリ指摘されたことにはかなり傷ついたが、そこでくじけることなく、きっぱりと断ったらしい。ていうかふざけんなよお前。夜宵はな、普通に女からモテまくってるんだよ! だから心配なんだろ!


 けれど、こいつは諦めなかった。

 まずは無料体験から! と嫌がる夜宵の腕を取り、無理やり引きずっていこうとしたのだとか。そうなればまぁ、夜宵には不利だ。手を取られては俺に助けを求めることも出来ず、困っていたところ――、


「たまたま通りがかった椰潮さんが助けてくれたんだ」


 そういうことらしい。

 で、なんやかんやあって、腕立て対決になった、と。


「いや、なんでそこで腕立て対決に持ち込むんだ。吹っ掛けた兄貴も馬鹿だけど、受けたこいつも大概だろ」

「違うよ逆だよ。提案したのはこっちの人。それで、僕の代わりに椰潮さんが受けてくれたんだ」

「えぇ……?」

 

 どっちにしろ馬鹿かよ。


 どうやら夜宵を諦めきれないビラ男は、自分と腕立て勝負をして、自分が勝ったら無料体験しろ、と無理難題を突きつけてきたらしい。どう考えてもビラ男に有利な勝負だし、普通に駄目だろそんなの。が、そこで、ウチの馬鹿が「夜宵の代わりに俺が」と名乗りを上げたのだとか。まぁ、それに関してはよくやったと褒めざるを得ないけど。


 そこだけ真夏のような熱気に包まれている暑苦しい筋肉男の前にしゃがみ込む。


「おい、馬鹿兄貴」

「おっ、矢萩やはぎじゃないか!」

弥栄やえさんは元気か」

「元気も元気! これからデートに……ってしまった! デートなんだった! どうしよう矢萩、完全に遅刻だ!」

「まずさ、腕立て止めれば?」

「それは出来ない! 男が一度始めた勝負を投げ出すわけには!」

「それは立派なんだけどさ、相手、もうとっくにへばってっから」

「あれっ? 何だ君、もうギブか? 情けない! やっぱりこんなところでは駄目だ! 君は筋が良いからウチのジムに来たまえ! はっはっは!」


 ぐったりと地面に伏しているビラ男の肩をパンパンと叩きながら、高らかに笑ってみせると、「こうしちゃいられない! 弥栄さん、いまから参ります!」と言って、夜宵を助けてくれたマッスル馬鹿は疲れを微塵も感じさせない全力疾走であっという間に米粒になった。


 弥栄さんは、こんなやつの一体どこが良いんだろう。


 そんなことをぼんやりと考えている俺の後ろで、夜宵がビラ男に「大丈夫ですか?」と近くの自販機で買ったらしいスポーツドリンクを差し出していた。


 その優しさに胸を打たれたビラ男が夜宵のストーカーになりかけたのだが、それはまた別の話である。

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