第33話 エピローグ 

冬木立の合間から銀河が顔を出し、冬夜の寒さが身に沁みる。西光村のその日はいつもとは違い、点在する家々から祭りの開催される原っぱまで、松明が灯されている。祭りに向かって、家族で何やら話しながら遊歩する。松明の淡い光がそんな村人たちを照らす。村人たちの顔には色とりどりの華が咲き誇り、華やいだ空気に包まれていた。

原っぱの四隅には竹を埋め込み、囲むように縄を張る。その縄には榊の葉がついた枝が逆さに吊るされている。その中央には大きな釜があり、グツグツと白い湯気をあげている。その正面奥には祭壇があった。村人たちは、それら舞台を囲むように輪を作って思い思いに腰を下ろし、白い吐息をこぼしながら、雑談を楽しんでいた。そして祭りの始まりは今か今かと言葉を掛け合い、ソワソワしているのだった。

この舞台では、夜通し神話にちなんだ舞が奉納されるという。そうして白い羽織をまとった神主が舞台に上がり、祭壇の方へと歩む。そして何やら祈りを捧げていた。村人たちは、はやる気持ちを抑えながら舞台に熱い視線を送っていた。

道を切り開く大神、猿田彦に扮した大きな赤い面をつけた鬼が、祭壇の神主の前に膝をつく。小さい童たちは登場した猿田彦の鬼面に驚いて、親の後ろへ隠れるものもいれば、興奮して大はしゃぎする童、中には母にしがみついて泣く童もいた。そんな情景を見ていた村人の頬は寒さでポッと赤く色づいていたが、それが何とも暖かそうに見えるのだった。

そして太鼓の音が響き渡り、それに乗って鍾の音が踊り、横笛の音色が舞うのだった。その祭囃子に合わせて、

「テーホヘ、テーホヘッと! テーホヘトーヘッと! テーホヘ、テーホヘッと……」

村人全員が、寒さを吹き飛ばすように声を掛け合う。そして、中央で赤鬼の猿田彦が大きな鎌を全身で振り回しながら賑やかに舞っていた。

村人たちの輪から離れた丘の大木から、小五郎はそんな様子を眺めていた。猿田彦の舞の周りで童が笑い、母と戯れあい、父と舞の真似をして楽しむ童の様子を、小五郎は羨んだ遠い眼で眺めているのだった。

————違う、違う、もっとこう……扇を持つ手をゆったりとな……こういうふうに……

いつの日だったか、父と舞の稽古をしていたことを、小五郎はふと思い出していた。小五郎はぼうっと舞台を眺めていた。その舞台では村の女が舞っていた。

「エイヤァトッと!エイヤァさぁ」

猿田彦に代わって、巫女に扮した村の女数人が、掛け声をあげながら軽快にふわふわと身をくねらせる。その女子たちが片足をあげて舞う度に上前がめくれて透き通るような白肌の足首がチラリと見える。その度に酒に酔った村人たちから歓声が上がるのだった。

しかし、そんな祭囃子の音色や村人たちのさまざまな情景が、今の小五郎には眩しすぎて一層孤独にしていた。

————もう、限界でござる……、父上!

小五郎の目から涙が垂り落ちる。その時、背後から足音が近付いてきた。小五郎はそれに気付いて慌てて涙を拭った。

「……ずっと昔からこの辺りに伝わる祭りじゃそうなぁ」

その声は小五郎に向けられていた。ふと振り向くと、そこに由己が立っている。

「……」

小五郎は今朝見た夢が正夢になったのかと頭をよぎったが、がっかりしたように視線を戻す。そしてまたもや遠い目で祭りの様子を眺めていた。押し黙ったままで何も答えようとしなかった。


                  *


由己は押し黙ったままの小五郎をちらっとみると、小五郎の横に腰を降ろした。

「わしは村人ではないが怪しい者ではない。大村由己と申す……」

由己は小五郎に合わせるように、村人の祭りの様子に目をやった。

「……父を待っておるのか?」

由己の問いに、小五郎は虚をつかれたようで、仰天して由己を睨む。

「何も話さぬは唖(おうし)というわけではあるまい。しゃべれば身分がバレるのか?」

由己はわざと小五郎を睨んで見せた。

小五郎は咄嗟に腰を浮かせて逃げようとする。

「わっはっは……」

由己は笑いながら、逃げようとする小五郎の肩に手を置いて引き止めた。

「冗談じゃ。ちょっと薬が効き過ぎたかのう。すまん、すまん」

小五郎は怪訝な色で由己をみる。

「わしはただの物書きじゃ。最近、これを書いてなぁ」

懐から惟任退治記と書かれた書物を取り出した。

小五郎は表紙の文字が読めるようで、ハッとして由己をみる。由己はそっとその軍記物語を小五郎に差し出した。小五郎は我慢できなかったとみえて、サッと由己から書物をとると祭りに背を向けた。そして両膝をつき、書物に祭りの仄灯を当てて書物を読み耽る。村には字を読める童などいなかった。小五郎が書物を読むことができることを知られれば、身分が知れることはわかってはいたはずだが、父の顛末が果たしてどうなったのか全く知らなかったので、飛びついてしまったようだった。

由己は何も言わずに、その様子を眺めていた。齢十三かそこらの童が背負うには重すぎる現実ではあったが、あえて小五郎に伝えるべきだと決心していた。それはまだ小五郎が父の姿を探していたからである。由己は現実を小五郎に見せてやる必要があると感じていた。たとえそれが小五郎にとってどんなに辛いことでも。

その惟任退治記には本能寺襲撃の顛末と、その後明智光秀が栗田口で磔にされたことまで記されていた。

しばらく読み耽っていた小五郎は書物を閉じると、華が枯れて萎れるように、上体が倒れた。そして地面に額を押し付けるようにして涙で顔を濡らす。

「うぅ……グズん……うぅぅぅ……ち、父上……」

小五郎は声を押し殺して涙に暮れる。太鼓、横笛や鍾の音と、村人たちの笑い声が容赦なく、悲しみで泣き震える小五郎の小さな背中に浴びせられていた。いつか迎えに来るはずと密かに抱いていた希望が、轟音を立てて崩れ去っているのが見てとれた。祭りに背を向けて崩れる小五郎は両拳を地面に叩きつけなら泣き濡らすのだった。

「うぅ……グズん……うぅぅぅ」

それでも身分を知られまいと声を漏らそうとせず、必死に押し殺しながら咽び泣く小五郎を見て、由己の胸は張り裂けんばかりだった。

「昼間、おぬしが原っぱで見ていたのはバッタと違うて、あれはイナゴじゃ」

由己は泣き崩れる小五郎に目をやって語りかけた。

「あのイナゴはな、秋に大人となって、冬はじっと枯れ草に身を隠すのじゃ。別に寒さに強いわけではない。暖かい場所に生息するらしい。じっと耐えて耐えて、そして春を待つのじゃ……。ただ雪やずっと凍結するような環境では死んでしまうらしいがのう。暖かい場所があれば、あのイナゴは大丈夫なんじゃ……。強いと思わぬか? 小五郎殿」

小五郎は再び顔を上げ、膝を抱え込んで、呆然と祭りを眺めていた。そしてその眼には拭っても拭っても涙が溢れるのだった。その表情はもはや魂の抜け殻と化していた。生きる気力も意味も失ってしまったかのように由己には見えた。小五郎には祭囃子が虚しく響くだけのようで、呆然とした表情で見つめていた。

「わしは四十七になるが、これまでずっと一人で生きてきた。書物こそ、わしの生きる世界じゃった。この世にどんなことがあっても、物語がわしを救ってくれたのじゃ。じゃが、この惟任退治記だけは別じゃった。これを書き上げるために、わしは命を落としかけた。恐怖のどん底に叩き落とされた。小五郎、あの祭りを楽しむ村人たちを見よ」

心躍る音色に全身を大きく左右や上下に揺らしながら躍る様は、全てを忘れて楽しんでいるようだった。

「この村人たちは昨年、本能寺で其方の父上が信長様を撃った時分、世の中が乱れてのう。別の戦に巻き込まれて家を焼かれ、家族を失ったのじゃ。彼らもまた、其方と同じで巻き込まれたのじゃ」

小五郎は目を丸くして、躍る村人たちを見ていた。由己は胸に手を当てて、

「皆ここに影を宿しておるのじゃ。おぬしだけではない。わしも皆もそうなのじゃ。だからこそ、ああやって祭囃子に身を委ねて今を楽しみ、生き抜くんじゃ。あのイナゴは……耐え忍ぶイナゴは、其方とここで会うことで生きて耐えた意味があったんじゃないかのう。わしも生きながらえたのは、おぬしに出会うこの場所に導かれるためだったような気がしてならんのじゃ。そうは思わぬか? 小五郎……いや、十五郎殿!」

そう言って由己は小五郎を見た。そして由己は何やら意を決した顔つきで語りかけた。

「どうじゃ、十五郎殿。わしの子として暮らしていかぬか? 今朝のう、牧蓮尼と話した。其方の祖母であろう。ここで婆の世話をするのが、あの子の運命ではないと言われていた。じゃが、わし自身、子を持ったことなどない。わしに何ができるのか? 自問自答したわ。じゃがあの祭りの村人たちの今を楽しむ様を見た時に、そうではなく、寄り添って生きていくことに意味があるんじゃと悟ったのじゃ。人は一人では生きられぬ……。歪な世じゃが、力を合わせて生き抜くのじゃ。この出会いは運命じゃ。じゃがこれからどうなるかはわからん。だからこそ、わしと一緒に生き抜こうではないか。わしは何もないが、播磨に家となんとか生活できるだけのあてはある。わしの文官としての技や知識を其方に教えよう。そしてわしの後継としていずれ全てを譲る。どうじゃ?」

小五郎は目を丸くして由己をみる。その時、グゥ¬¬ーっと小五郎の腹がなる。由己の顔がほころんだ。

「なんじゃ、腹が減ったか? こんなもんがあるぞ」

そういって懐から笹の葉で包んだものを取り出した。

小五郎もそれに視線を送る。括り付けてある紐をほどくと笹の葉は広がり、大きなにぎり飯が現れた。

由己は笑みを浮かべて、そのにぎり飯を小五郎に差し出した。小五郎の眼はにぎり飯に釘付けになった。その様子からも長らくまともなものを、口にしていないことは容易に想像できた。

やせ細り、目が窪んでしまった小五郎は、それでも肩肘を張って取ろうとしなかった。武士は施しを受けんということなのか、それともこのまま死を望むのか。

————飛びつきたいものをやせ我慢しよって! 

と由己は、もどかしさを感じていた。

由己は、にぎり飯から目を逸らす小五郎の肩に左手を回してそっと抱き、にぎり飯を差し出した。

小五郎は由己の方へ視線をうつす。

「もう……、もうよい……もうよいのじゃ。ここからまた始まるのじゃ」

由己は諭すように語りかけた。小五郎が小刻みに震えているのが左手から伝わってくる。由己はぎゅっと小五郎の肩をさするように抱いた。

すると小五郎はにぎり飯をサッと手にして口に頬張った。小五郎の口の中に米の甘さと塩っぱさが広がったのだろうか、表情に正気が宿り、モグモグと力強くにぎり飯を噛みしめる。小五郎の目から涙が溢れていた。涙でいっぱいになりながら甘く塩っぱいにぎり飯を口一杯にして食べていた。

「ハッハッハッ、どうじゃ、十五郎殿。うまいか?」

小五郎の涙いっぱいの顔にほんの少し笑みが滲む。

「……美味しゅうござる」

「そうかぁ!」

由己は喜びに満たされていた。そしてその笑顔には笑窪ができていた。そんな由己の横顔を見た小五郎は、父が迎えにきてくれたように思えて、涙で視界が歪曲していた。

太鼓と鍾、そして横笛の音が、小気味よく躍る祭囃子の中、ひょっとこのお面を被った村人が、スリコギに味噌をつけたものを手に、村の童を追いかけて顔に塗りつけていた。塗られた童の悲鳴と笑い声が、夜の村中にこだまする。

ひょっとこは、遠くから丘の上の小五郎が泣き笑う顔を見ていた。てっきり、祭りを楽しんでいるのだと思ったようで、丘に座っていた小五郎と由己の側にもやってきた。そして、ひょっとこは小五郎の顔に味噌を塗りたくった。『してやったり!』とばかりに、カニ歩きを真似ておちゃらけて見せた。

そんな様子が村人たちの目に止まった。塗った相手があの無口で得体の知れぬ小五郎だっただけに、一瞬場が凍りついたのを由己は敏感に感じ取っていた。

ひょっとこはヌケ作踊りに徹していたが、他の童と反応が違ったことに戸惑いを隠せず、ややぎこちない踊りになっていた。

由己は少しムッとした小五郎に話す。

「それはな、十五郎や。この一年健やかに過ごせますように! というおまじないじゃそうなぁ……」

そう話していた由己にも、ひょっとこは味噌を塗りたくる。

「……あぁ、やられてしもうたわぁ!」

由己がそうおちゃらけて笑みを見せると、

「アハハハハハハ……」

小五郎から童らしい元気な笑い声が漏れた。


                  *


固唾を呑んで成り行きを見ていた村人たちは、ひょっとこが、何となくホッとしているような、由己と小五郎の親子のようなやりとりに、ひょっとこの面がほころんだように見えた。そうして祭りのあちらこちらで花笑んでいた。

顔中味噌だらけの村の童は、笑顔を見せる小五郎のところへ駆け寄ってきて、指を挿しながら一緒になって笑い転げる。それはまるでそんな笑顔の小五郎を待っていたかのように……。

冬銀河が輝く夜空の下、山間の西光村はその日、祭囃子の音色と笑い声にずっと包まれていたのだった。

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よんどころない事情で・・・ 雨鬼 黄落 @koraku_amaki

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