3-2 心配

 サー・ウィリアムとのダンスは楽しいわけではなかったけれど、アメリアは会場一見事に踊り、すべての話題に可愛らしく完璧な笑顔で対応してみせた。そして「今の笑顔にはさすがの男も目を惹かれずにはいられないだろう」と、踊りながら何度もディランにチラチラと視線を送ったが相変わらず成果はふるわずサー・ウィリアムとのダンスは終わりを迎えた。

「どうやら今日のミス・スレイターはどうしても気を引きたい方がいらっしゃるようですね」サー・ウィリアムの去り際の言葉にはどきりとさせられ、あるかなきかの罪悪感を少しだけ揺さぶられた。

 それからアメリアは休憩と作戦会議を兼ねて空いているソファーに腰を下ろした。人混みの先には今しがた自分が散々笑みを振りまいていたソファーが見えた。驚くべきことにアメリアを取り囲んでいた紳士たちは忠誠心を見せつけるように今もその場に留まり続け、空の玉座を騎士よろしく守護していた。

「悪いことしたかしら、ダシにつかったようなものだしね。でもだからってあの人を諦める理由にはならないわ。ええ、この程度で諦めてたまるものですか。ちょっと悪いけどエドガーにも生贄になってもらおう」今までまるで成果が上がっていないにしろ、次こそ上手くいくような気がした。「エドガーはわたしからみてもそれなりに素敵だし、きっとわたしと踊っているところをみたらあの人の痩せ我慢も限界を迎えるに違いないわ。さて、エドガーを探しにいかなくちゃ」

 アメリアが立ち上がろうとしたそのとき、頭上から柔らかいテノールが響いた。

「やぁ」

 アメリアはその声の主を確認して、内心でひそかに笑みを浮かべた。「エドガーを犠牲にする必要もなかったわね。やっぱり放っておけなくなったんだわ! きっとダンスの申し込みね……さて、どうやってからかってやろうかしら! でもまずはさっきの無礼に対する真摯な謝罪でもいたきたいところね。そうすれば、まぁ、一曲くらいなら踊ってあげてもいいし」口角が上がりそうになるのを必死に押さえながら、アメリアは素っ気なく顔をそむけた。

「あら、何のご用かしら。ダンスならもう予約がいっぱいですけど」

「それはちょうど良かった。もし陰ながらにわたしと踊りたいと思っていたら可哀想だと思ったんだ。何しろわたしも予約でいっぱいですから」

「なら何しにいらしたの?」

「やっぱり期待していたんだな」ディラン・エドワーズは口角を上げて、アメリアのことを頭の先から爪先まで品定めするように眺めた。「本当にいけ好かない人!」アメリアは心の中を言い当てられてイライラしながらあなたなんてまるで興味ありませんという風にため息をついた。

「別に、そういうわけじゃありませんけど」

「それなら一体誰にその人気具合を見せつけようとしていたんです? おてんば娘さん?」眉を上げながら小さく肩を揺らすディランにアメリアはムッとして食らいついた。

「まだその話を蒸し返すおつもり? あなたって本当に醜悪な人ね。見た目はともかく、心が」

「何しろ印象深い出来事でしたから。それに二回も助けてやったっていうのにあんまりな言い分だ」

「二回?」アメリアはきょとんとして聞き返した。この短時間でこの不遜な人に二回も借りをつくっただなんて、想像するのもうんざりで頭が理解するのを拒否したのだ。そんなこと信じたくもない。

「君があれ以上したくもない拍手をしなくていいように話を進めてやっただろう。まぁ、わたしの助けがなくたって勝手に取り止めにしたようですが」男はその光景を思い出して肩をゆらした。「あれもなかなかに印象深い出来事だった」

 小さく笑う男にアメリアは顔をしかめた。これに関しては擁護のしようもなかった。

「それは……なら、それだけは感謝します。でも、おてんばだとかって言われる筋合いはないわ。そもそもあれがちょっとした事故だったことくらい普通の紳士ならお分かりになると思うんだけど。たった一度のミスでこれほどつまらない思いをさせられるとは夢にも思いませんでしたわ。まるで人を淑女じゃないみたいに扱って――」

「真の淑女は男性を山のようにはべらせたりしないのでは?」鋭い指摘にアメリアは一瞬だけうろたえて言葉が詰まった。けれどディランの人を小馬鹿にしたような笑みを目にすると何か言ってやらずにはいられなくなりすぐに口を開いた。

「そんなこと、だって仕方ないでしょう? この容姿は生まれ持ったものだし」

「ええ、馬鹿な男たちを魅了する快感の虜になるのも仕方のない話です」

「それの何が悪いっていうの?」

「ようやく本性のおでましだ」アメリアはハッとして目を見開いて唇に指をあてた。ディランは相変わらず楽しそうに目を細めて喉の奥で笑っている。その態度にむしゃくしゃして奥歯を噛みしめ、苦渋を飲み干すと鳩尾のあたりがは妙にうずいて気分が悪くなった。全身が怒りと屈辱で小さく震え、考えなしの発言をした過去の自分を叱りつけたくて仕方がない。それと同時に目の前の男に平手打ちの一つでもかましてやりたい気持ちになったけれど、それはひと握りの理性と両手を激しく握りしめることでどうにかこらえた。

「どうやらエドワーズさまはたいそうお暇らしいですけど、ご用がないのならわたしはこの辺で失礼しますわ。あなたの無駄話に付き合うほど暇じゃありませんから」ディランを鋭くにらみつけ、ソファーから立ち上がり、ぷりぷりしながらその横を抜けると今度は背後で軽い拍手の音が響いた。

「今のはなかなかにそれっぽい仕草でしたね。まぁ、座って。白状するとダンスの誘いにきたんですよ。君の甲斐甲斐しい努力に免じてね」背後から聞こえた告白にアメリアは足を止めて驚きに目をパチパチさせた。そしてディランに背中を向けたまま、こらえきれずにんまりとした笑みを浮かべてみせた。「なんだかんだいいつつも、ちゃんとわたしの魅力には釘付けなんだわ。ちょっと態度は気になるけど……でも気になる女性にそういう態度しかとれない男性はたくさんいるし、それにそう考えれば今までの不可解な言動にもすべて納得がいくわ。さて、どうやってからかってやろうかしら! 当初の予定とはちょっと違ったけど、ここまでくればもうこの紳士もわたしのおもちゃも同然よ。何しろわたしと踊りたいくらいには好意があるってことだし、好意を抱いている紳士がどれほど扱いやすいかなんて誰よりもわかっているんだから」アメリアは今にでも高笑いしてやりたいのを必死におさえながらくるりと振り返って困ったような笑顔を浮かべた。

「あら、そうだったんですか。でもさっきもお伝えした通り予約がいっぱいですから。でもどうしてもっておっしゃるなら……」アメリアはディランの顔をちらりとのぞいた。きっとこの人も他の馬鹿な男たちみたいに期待に満ちあふれた顔をしてあれこれ言葉を尽くして楽しませてくれるに違いないわ。けれどもその確信はあっさりと打ち砕かれた。ディランは相変わらず皮肉っぽい笑みを浮かべているだけだ。しかも今度は最悪なことに子供に対して話しかけるような雰囲気まで漂わせている。

「君はどうしてもわたしをかしずかせたくて仕方がないみたいだな。踊ってあげたい気持ちはやまやまだが、そこまでするつもりはなくてね。やはりこの話はなかったことに。それにもっと素敵な女性は沢山いますから」

 アメリアは愕然として聞き返した。

「わたしよりも他の女性の方が楽しめるっておっしゃりたいわけ?」

「楽しめるかどうかはさておき、今日は淑女の相手をしたい気分でね。それにただでさえダンスの相手を独占されているのにこれ以上相手がいなくなったら可哀想ですから。この郡で婚姻が結ばれにくいのも納得がいく話だ。祭事好きな市長のためにも少しは男性を譲ってあげてはどうです?」すでにいろいろと聞かれたくない話も聞いているみたいね。きっとあの小娘どもの仕業ね。アメリアは壁際でくすくすと含み笑いを浮かべる淑女たちをにらみつけた。だから紳士に人気がないのよ。人の足を引っ張ることばかり考えているから。

「馬鹿なこといわないでよ。あの子たちが結婚できないんだとすればそれは努力不足だわ。みんなわたしのせいみたいな顔をするけどね。それから忠告だけど、これからはあの子たちの話なんて話半分で聞いたほうがいいわよ。何しろ面白いと思えばどんな脚色もいとわないもの。あの子たちにかかれば魚も空を飛ぶわ」

「とはいえダンスの相手を独占しているのは事実だ」ディランは先ほどまでアメリアが座っていたソファーに今もなおすがりついている男たちに視線を向け、同情のこもった表情をしてみせた。

「どうやら相当笑顔を振りまいたらしい。ただ君と結婚するには相当根気が要りそうだな。何しろその性格だし、貰い手が実在するかはともかくとして敬意を払わずにはいられないね」

「あなたもわたしが売れ残るとかっておっしゃるのね」アメリアの脳裏に今朝のソフィーとの会話が思い出された。

「以前にも言われたことがあるのか。だとしたらいよいよ真面目に検討したほうがいいだろうね」

「あなたね――」全身の血がカッと沸いて辛抱できずに平手打ちでもおみまいしてやろうと構えたところでその手首を掴まれて阻止された。そして流れるように手の甲にキスを落とすと、ディランは呆気にとられるアメリアを見下ろしながら魅力的な微笑みを浮かべた。

「さっきの挨拶の続きです。こうして愛らしいお嬢さんと知り合えるのならイギリスもそう悪いものではない。それはそれとして足は大丈夫ですか? 必要なら知り合いの医者を紹介しますよ。どれほどおてんばだろうと医者にかかる権利はありますから」

 アメリアは一瞬だけうろたえつつも、次の瞬間には毅然きぜんとした態度を取り戻し、こうして正面に立たれるだけでもひどい侮辱とばかりにディランの手を払い除けた。

「ご心配なく。かかりつけの医者くらいうちにもいますから」そう言い放ち、アメリアはさっさとその場から立ち去った。

「ああ、本当に許せない! 人のことを馬鹿にしてそんなに楽しいっていうの?」

 どうやらこの会場であの男の本性を知っているのは自分だけのようで、淑女たちはフリーになった紳士を取り囲み、背後からは口々に紳士を称賛する声が聞こえてくる。何よりもアメリアを苛立たせたのはディラン・エドワーズが自分以外には極めて丁寧な態度を崩さないという点だ。背後で繰り広げられる楽しげな会話が耳に飛び込むなり、傷つけられたプライドがうずき、体の内側を掻きむしりたいどうしようもない衝動に駆られた。今に淑女たちは今までのお返しとばかりに高慢な顔つきをして近づいていくるだろう。「今日は何だか悪巧みがうまくいかないみたいね? 勘が鈍ってるんじゃなくて?」なんて言いながら。つまらない未来を想像して、アメリアは奥歯を音が聞こえるほど強く噛みしめた。

「これ以上ここにいたら頭がおかしくなりそうよ」周囲を見回して誰でもいいから自分の傷ついたプライドを復活させてくれる人を探し、その瞳はたまたまリック・アボットを捉えた。普段ならお金を払われたってお断りの相手だったけれど、この際、自分の相手をしてくれるなら誰だって構わなかった。アメリアはヒールを鳴らしながらリックに近づいた。

「ちょうどよかったわ。ねぇ、リック、一緒にテラスにでもいかない?」

 リックは言葉に詰まり、この可愛い女性が自分にかけてくれた言葉を飲み込むことすら多大な時間がかかった。長い時間をかけてどうにかこうにか絞り出せたのは「もちろんです」という気の利かない一言だけだ。

 何しろリックは女性をエスコートする経験がほとんどなかったので、アメリアの手を握るのにもおよび腰で、まるで少し触れただけで崩れ落ちてしまうみたいに慎重だった。女性の歩幅というのもまるでわからず、ただ配慮しなければいけないという知識ばかりが先行して一歩に一フィートしか進まない有様。けれどそういう度を越した丁寧さはアメリアのプライドと自尊心を回復させるのに最適だった。

 テラスへと向かう螺旋階段を上っていると、背後からワルツの美しい旋律ととエドガーが何か大声でわめいている声が聞こえた。そこでアメリアはやっとのことでエドガーとの約束を思い出した。きっとこの怒声ももおおかた自分を探しているか、すでにやけ酒が始まってハーディン家の三兄弟とやりあっているのだろう。エドガーは酒が入ると異様に喧嘩っ早くなる癖があった。

 アメリアは螺旋らせん階段の上からサルーンの方向をじっと見据えた。

「でも、サルーンにいてもイライラするだけだし。あそこでいらだちを抱えるよりはテラスでのんびりしている方が何倍もいいわ。たとえ相手がリックでもね。エドガーにはきっとあとで埋め合わせしよう――そのときまで意識があればいいけど――何しろ酔ってるときのあの人の相手って結構面倒だものね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アイビーに燃える 絹地 蚕 @kinuji_kaiko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ