ピンク×ブルー

湖ノ上茶屋(コノウエサヤ)

第1話



 

 あの日、あの子がいた場所は今、水の中に沈んでいる。確かそこには小さな岩があった。少しヘンテコな形の岩だ。潮の満ち引きくらい、僕だって知ってる。だから、今沈んでいるのなら、待てば岩を見つけられるだろうってこともわかってる。

 ひらり、と淡い桜色のワンピースが揺れていた。きらり、と眩しい太陽に照らされて、あの子の周りでピンクとブルーが星のように瞬いていた。潤んだ髪が踊る。その美しさったらもう、僕は心のシャッターで切り取って、お気に入りのハートマークを即タップするほどの衝撃。また会えなくてもいい。本当は会いたいけれど、そこまでは求めないから、せめて――僕はあの子が居たその場所に、立ってみたくなった。

 立ったからどうということはない。ただ、立ってみたら同じようにキラキラできるんじゃないかな? って思っただけ。自分がその人になれるわけじゃないのに、好きな芸能人の私物を真似るのに似てる。

 きっと、キラキラ輝いて見える人だって、その輝きの裏に、深海のように深い闇を抱えていたりするんだ。平凡に過ごしているだけなら、少しの闇はあるけれど、深く身体を押しつぶすような闇はない。僕は圧に弱いから、きっと輝こうとしたらその分深まるのだろう闇の圧で、すぐにグシャって潰れてしまう。そう考えたらやっぱり、平凡である方が生きやすい。でも、だから今のままでいいってわけじゃない。眩しくって目を瞑っちゃうような瞬間を、味わってみたいって欲がある。あの場所には、あの場所でしか放てない、そんな不思議な光があると信じている。

 潮が引くまで待っていたら、雲間からジリジリと太陽の吐息が差し込んできた。ヘンテコな岩を探して回る。あれは地と一体になっていたのではなく、海を旅する大ぶりな石だったのだろうか。そう諦めかけた時、パシャン、と尾が跳ねた。

 ――人魚?

 僕が知っている魚が持つ尾でも、動きでもなかった。作り話の中でいきいきと泳ぎ回る人魚の尾と水しぶきに見えた。

 僕はヘンテコな岩なんてどうでもよくなって、ひたすらに広い海を見つめた。海はただ広いだけではなくてどんどんと深くなっていくから、潜られてしまったら僕は無力だ。

 それでも、僕は右から左、左から右、手前から奥、奥から手前――。波の白を迷路の壁だと思い込んだように、ひたすらに不思議な尾を探し続けた。

 コツン、と足に何かが触れて、ようやく僕は視線を海から足元へと移した。そこには見覚えのある、ヘンテコな岩があった。

 あぁ、ここだった。そう思った時、ぴちゃん、と音がした。

 急いで視線を海へ戻す。

 ぴちゃん、ぴちゃんと音が続いた。なんだ、近くにいた子が貝殻を海に投げ入れていただけだったのか、とため息をつこうとした時、ハッとした。

 女の子が投げた貝殻を拾う、ピンクとブルー。淡い桜色に散っていた、あの煌めきによく似ている。それをじーと見つめたら、煌めきは貝殻と共にブクブクと海に沈んだ。

「ねぇ! ――」

 僕は貝殻を投げる女の子に声をかけた。彼女にも、見えたのかもしれない。

「なんで、貝殻投げてるの?」

「そこに、何か居た気がしたから!」

 ニッと笑いながら、もうひとつ投げた。

 ぴちゃん。

 ピンクとブルーは、もう瞬かない。

「また見たいよね、あのキラキラ」

 僕らはポイ、ポイと通りすがりのおじさんに小言を言われるまで、貝殻を投げ続けた。

「ねぇ、君は見た?」

「キラキラ、綺麗だったよね」

「いや、あの……」

 この女の子は、僕が『人魚』と言ったら信じてくれるだろうか。

「もしかして……人魚、みた?」

 また、ニッて笑った。きらり輝いた真っ白な歯。

「またまたぁ、人魚なんて、そんな――」

 ついさっきまで自分が信じていたことを、捻じ曲げて言った。ちょっとだけ、胸がチクチクと痛い。

「なぁんだ。キミも見たんだと思ったのに」

「……え?」

「ここにはね、居るんだよ? 人魚」

「本当に?」

 ククッと笑って、「嘘。私の思い込み」と女の子は舌を出した。

 なぁんだ、嘘か。僕はがっかりして、ヘヘッと笑った。

 けれど、彼女の瞳にピンクを見つけた僕には、それが本当の嘘だとは思えなかった。だから、

「本当に、居たらいいよね」

 水を射抜くように見つめながら僕は、星を降らせるように囁いた。

 シャラン、シャランと優しい波の声を聴いた。

「キミは人魚に会いたいの?」

「んー。人魚みたいな人に会いたいのかも?」

「へ?」

「前に見たんだ、そこで」

 ヘンテコな岩を指差すと、「私も、あそこで」

 やっぱり――。

 彼女の瞳の中のピンクが、キラキラと瞬いて見えた。

「ねぇ、僕の目、青くキラキラしてる?」

「ふふ。ねぇ、もしかして、私の目、ピンク色?」

 あぁ、僕らなら――。

「この辺の人?」

「そうだよ?」

「じゃあ、また会える?」

「うん。きっと」

 ピンクとブルー。煌めく人魚の鱗を映した僕らは、きっといつか出会えると信じている。


 海に向かって、僕らは笑った。

 淡い桜色がふわりと波打った。




――fin――

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ピンク×ブルー 湖ノ上茶屋(コノウエサヤ) @konoue_saya

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