後日談 『raspberry or me?』

「せんせぇ〜! おみやげ買ってきたよぉ〜!」


 玄関のドアが開き、顔を出した文乃さんに飛びついた風花ちゃん。


 その小さな体を、豊満な胸で受け止めると、「おかえり風花ちゃん」と、マスク姿の文乃さんが微笑んだ。


「今日は一緒に行けなくてごめんね」


「ううん! おにぃちゃんと莉奈姉ちゃんがいたから、すっごく楽しかったよ!」


「そっかぁ。よかったね」


「うん! でも、次はせんせーも一緒ね!」


 そう言って、文乃さんの頭にポンポンと手を乗せた風花ちゃん。


 満面の笑みで、「よしよし」と頭を撫でるその微笑ましい姿に、思わず俺も頬が緩んでしまった。


 すると、


「湊くん」

 

 そう、綺麗な顔を向けた文乃さん。


「なんですか」


「私、この子のママになる」


「急に何言ってんですかアナタは。てか、風邪移すとまずいんで、そろそろ離れてください」


 そう言って、俺は風花ちゃんを持ち上げると、文乃さんは「ふえぇ……風花ちゃぁ〜ん」と、情けない声で手を伸ばす。


 何してるんですかほんと、しっかりしてくださいよ……。


 案の定、「せんせ〜おもしろ〜い!」なんて、風花ちゃんにもウケちゃってるし。


「いいから、文乃さんはさっさと寝てください。あ、その前に夕飯作りに行くので、もうちょっと起きててください」


「えぇ……一瞬で全部矛盾するじゃん……でも、うん。待ってるね」


 そう、やんわりと細くなった目に、どきりと心臓を弾ませる。


 ……でも、だからこの人のこと、放っておけないんだよな。


「それじゃ、私たちは風花ちゃん送り届けてきます」


「うん。気をつけてね莉奈ちゃん。風花ちゃんも、またね」


「は〜い! せんせ〜もお元気で!」


「っ! やっぱりママに」


「それじゃ、行こっか風花ちゃん、莉奈」


「ふえぇ〜ん! 風花ちゃ〜ん!」


「あははっ! せんせ〜ばいば〜い!」


 背後から聞こえてきた、情けない声に俺はまた、ため息をつく。


 自分にもっと素直になっていい。


 なんて、言ってみたのはいいのだが、それはあまりにも、素直になりすぎではないのだろうか?


 まぁでも、それが文乃さんの可愛いところなのか。


 そうして、俺と莉奈は、風花ちゃんを送り届けるために養護施設へと向かったのだった。





「結構遅くなっちゃったね」


 左隣から聞こえてきた莉奈の声に、俺は頷く。


「まぁ、何気に距離あるしな。そうだ、せっかくだから、夜飯つくろうか?」


「いやいいよ。てか、どーせ篠崎先生の、なんでしょ?」


 そんな彼女の言葉に、思わず息を詰まらせると、莉奈は小さく鼻を鳴らす。


「図星か」


「いや、そんなこと……」


「いいよ、無理しなくて。それに私はこれ買ったばかりだから」


 そう言って莉奈は、ビニール袋から手のひらほどサイズの袋を取り出すと、その中から桃色の飴玉を一つ摘む。


 最近彼女がハマっているという飴玉をヒョイっと口に運ぶと、ふふっと鼻を鳴らした。


「今日はこれぐらいの甘さがちょうどいい」


「なんだそれ。まぁ、莉奈なりに満足ってことか」


 そんな風に、お互い鼻を鳴らして、さらに歩みを進めた。


 特に何を話すわけでもなく。ただ隣からは、スニーカーの音が小さく響く。


 ぼんやりと灯り始めたLEDの街灯。


 やがて見えてきたのは、いつものT字路。


「なぁ莉奈」


「ん?」


 T字路で足を止め、彼女を呼ぶ。


 まだ飴玉が口の中に残っているのだろう。モゴモゴと頬を動かす彼女に、俺は続けた。


「別に深い質問でもないんだけど、その飴って何味なんだ?」


「え、なに? 気になるの?」


「いや、なんつーか。飴舐めてる時の莉奈、ずっと微笑んでるから、そんなに美味いのかなーって」


 まぁ、自分で言っておいてなんだが、よくもそんなこと、恥ずかしげもなく言えてなぁ。なんて、思った。


 案の定。それが彼女に逆手に取られるわけであって。


「へぇー。私のこと、ずっと見てたんだ。それってつまり、私が魅力的だった、ってことだよね?」


 そんな風に、にやりと嘲笑うように目を細める彼女。俺は反射的に「いや。そういう意味じゃ……」と返した。


 だけど。


「……魅力的じゃないの?」


 不安げな表情にころりと変わって、コチラを覗き込む視線に、また胸がキュッと縮む。


 違うんだ、元より莉奈は魅力的なんだ。


 だけど。俺からそれを伝えてしまっては、文乃さんの交際相手として、彼女を裏切ってしまうような。そんな気がしたから。


 ……。


「……って。ごめん、冗談だよ湊。私、そんなに面倒くさい女じゃないから」


 それじゃ、またね。そう、小さく手を振って踵を返した莉奈。


 振り返る一瞬の、どこか寂しそうな表情に、思わず俺の手が彼女へと伸びた。


 ピクリと肩を震わせた彼女に、俺は言う。


「違う、莉奈は魅力的だ。普段ツンツンしてるくせに、周りには常に気を配って、自分のことよりも、相手のことばかり考えて。何よりも」


「……何よりも……なに?」


「っ! ……何よりも……その……」


 ……。


「……顔は、俺のタイプだ」


 ……。


 何言ってんだ俺。


 いやいやいや。これじゃまるで……。


「……ぷっ! あっははは! ちょ……ちょっと、急に口説くから……ふふっ。ごめん、ツボった……っ!」

 

 背中を丸めながら、くすくすと鼻を鳴らす莉奈。彼女がこんな風に笑うところなんて、初めて見た。


 しばらく俺に背を向けながら笑った後、莉奈はゆっくりと頭を上げる。


「はぁ〜笑った笑ったぁ〜……。そっかぁ〜私が好みかぁ〜」


「いや、語弊がないように言うと、文乃さんの次にだから」


「うん。まぁ、そう言うことでいいよ」


 すると、彼女は小さく「それじゃ、ご褒美あげないとね」と、呟く。


 ゆっくりコチラに振り返ると、彼女の綺麗な顔が、街灯に照らされた。


「しっかり言えた湊には、飴ちゃんを一つあげちゃいます」


「なんだそれ。まぁ貰えるんなら貰って……」


 しかし次の瞬間、華奢な手が伸びた先はビニール袋ではなく、俺の頬を両手で挟む。


 そして。


「……んっ」


 そんな艶やかな息が聞こえたのは、言葉通り目と鼻の先。


 お互いの唇の熱と柔らかさと、形を感じられる距離。


 甘い匂いと、リップかもしくは唾液か。しっとりとした唇の甘くて、ちょっぴり酸っぱい味にどきりと心臓を鳴らすと、俺は現状をやっと理解する。


 —— キスされてるんだ。今。


 咄嗟に彼女の肩を両手で押す。


「お、お前何してっ! ……っ!」


 しかし、言葉を遮るようにして、莉奈は俺を押し返す。


 そのまま、コンクリートのブロック塀に俺を押さえつけると、再び視界が彼女の綺麗な顔で遮られた。


 彼女の顔の熱と、唇の味。


 とろけるような快感と、心臓の音だけが高まって。。


 やがて、唇を舐められたと思えば、ぬるりと入ってきたのは、小さな飴玉と、絡みつくような甘さの舌。


「んっ。んっっ……」と、情熱的になっていく彼女の吐息と、時々漏れる小さな水音。


 その度に、俺の口の中で、彼女の舌によって飴玉が転がされる。


 絡みつく舌と、甘酸っぱい唾液の味。


「んっ……ふぅ……ふふっ。さて問題です。その飴は何味でしょう?」


 そう、魔性的に微笑んだ彼女の唇から、唾液の糸がゆっくりと落ちていく。


 上気した頬に、薄い唇から小刻みに漏れる熱い呼吸。


 そのどれもにドキドキして。


 怒りとか困惑よりも先に、口が動き出す。


「ら……ラズベリー……だと、思う」


「ふふっ。せーかい♡ 」


 そう魔性的に微笑むと、莉奈は口元を指で拭ってから、くるりと背中を向けて歩き出す。


 少しずつ遠くなっていく、華奢な背中と暗めの茶髪。


「あ、そうだ、ねぇ。湊」


 途中、彼女がコチラに振り返る。


 そして、先程まで重ねていた薄い唇に、そっと人差し指を当てると。



「ラズベリーと私。どっちがお口にあいますか?」



 そうやって莉奈は、魔性的に微笑むのだった。




 

「……ごめんなさい文乃さん。遅くなりました」


「ううん。気にしないで湊くん」


 そうベッドで微笑んだ文乃さん。


 彼女の枕元のスマホには、風花ちゃんから貰った、チンアナゴキーホルダーがすでにつけられていた。


 てか、ミミズフレンズといえ、チンアナゴといえ、細長いものばかりだな。


「今すぐ料理作るんで……お粥でいいですか?」


「あ……うん……」


「文乃さん? どうしたんですか? もしかして、また熱が……」


 そう、彼女の額へと手を伸ばした瞬間。


「っ! 文乃さん?」


 彼女に腕を掴まれたと同時に、布団の中へと引き摺り込まれる。


 柔らかい感触と、生暖かい布団の体温にどきりとしていると、文乃さんはか細い声で呟いた。

 

「……寂しかった」


 たった一言。彼女の言葉に俺は息を呑む。


 だって、なんとなく絞り出したようなその声で、今日一日、彼女がどんな思いで過ごしたのか、わかってしまった気がするから。


 俺はゆっくりと布団から顔を出すと、文乃さんの頭をそっと抱き寄せる。


「ごめんなさい文乃さん。ちょっと遅くなっちゃいましたね」


「……うん」


「だから、今日はこのまま、2人でいましょう。なんでも言ってください、喉が乾けば水を持ってきます。お腹が減ったら飯作るんで」


「……うん。ありがとう……大好き」


 胸元のか細い声に俺は、思わずふふっと鼻を鳴らす。


 大人なのに、子供。


 かっこいいにの、かわいい。


 俺はそんな彼女がやっぱり好きだなって、そう思った。




後日談 『明日キミは、あの人の彼氏』 完

 

 

 


 

 

 


 


 


 

 


 

 


 


 





 


 



 


 



 

 



 






 


 

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泥酔して部屋を間違えた謎のお姉さん、まさかの学校の先生だった件。 あげもち @saku24919

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