後日談 『明日キミは、あの人の彼氏』 その4
その後、浅草、浅草寺を横切るような形で歩き出した俺たちは、すみだリバーウォークで川の向こう側へと渡る。
途中、手すりから眺めた水面に、ミズクラゲがフワフワと流されており、俺たち一同、こんなところにもクラゲっているんだ。と声を揃えた。
その後は隅田公園で少しだけ追いかけっこをしたり、偶然出店していたキッチンカーでクレープを1人分多く奢らせられたり……。
物理的に軽くなったはずの財布と裏腹に、ちょっとだけ重くなった胸を抱え、さらに歩くこと、20分。
到着したのは、目的地にして、文乃さんの切り札だった場所。
「お〜っ! すっごぉ〜い! おさかなぁー!」
「風花ちゃん、もうちょっとしぃー、ね?」
「うん!」
そんな眩しい笑顔が、青色のライトに照らされる。
ここは日本一空に近い電波塔、スカイツリーの足元。
都会の中の小さなアクアリウムこと、『すみだ水族館』だ。
きっと、初めてみた目の前の光景に興奮が隠せないのだろう。
風花ちゃんは、事あるごとに水槽に張り付き、「わぁ〜」と息を漏らしては、またすぐに別の水槽へと足を進めていく。
少し位置の高いところにある、ネオンテトラの水槽を、ぴょんぴょんと跳ねながら見ている風花ちゃんを、後ろから抱えた莉奈。
「これならもっと見えるね」
「うん! ありがと莉奈姉ちゃん!」
「大丈夫か? 俺が代わろうか?」
しかし、首を小さく横に振った莉奈。
「大丈夫。さっきクレープを奢ってもらったから、頑張らないと」
そう言って、再び水槽の方へと顔を向ける。
しかし、意外と風花ちゃんが莉奈の腕の中で動くようで、その綺麗な横顔が、時々つらそうにに歪めていた。
そんな彼女に、俺は小さく息を吐く。
ほんと、そういう意地の張り方は昔と変わらないな。
「莉奈、すまんがちょっと体、借りるぞ」
「え、急になに……って、やっ……」
ふと、静かな空間に、莉奈の驚いたような声が響く。
俺は彼女の背中を感じながら口を開いた。
「なんだよ、変な声出すなよ」
「いや……だって……」
そう声を小さくした彼女。
ちなみに今の体制としては、風花ちゃんを抱える莉奈の背中から、俺が莉奈の腕を支えている、という構図になっている。
まぁ、彼女が意固地なのだ。
少しでも楽にする方法としてこれしか頭に浮かんでこなかった。
すると、金色の前髪が、こちらに向く。
「おにぃちゃんも支えてくれるの〜?」
「うん。俺と莉奈で支えるから、ゆっくり見てて」
「うん! ありがとう!」
そう嬉しそうに頷くと、彼女は水槽へと向き直る。
すると、ふふっと小さく鼻を鳴らす音が聞こえて、目の前の綺麗な髪の毛が揺れる。
「ありがと。湊」
「別に、大したことねえよ」
そうしてしばらくの間、2人で風花ちゃんを抱えていた。
その後は、水族館のさらに奥へと進み、クラゲや大きなエイが水槽をハムハムしている姿を眺めた。
「わぁーっ! チンアナゴ! おにぃちゃん! リナ姉ちゃん! 早くこっちきて!」
「もぉ、フーちゃんはしゃぎ過ぎ。もう少しシィーね?」
「まぁ、元気なことは悪いことじゃないからな、だから……って、痛っ! なんで蹴るんだよ!」
「アンタは黙ってて」
「わぁ〜! おにぃちゃんと、リナ姉ちゃん、仲良しぃ〜!」
そんな会話の途中。おそらくデート中であった二人組と目があって、軽く会釈をする。
てか、もしかしてあのカップルの金髪の女性の方は、隣の女子校で有名なあの人ではないのだろうか?
なんて思ったのもの束の間、「ペンギン! ペンギンさーん!」と、スロープを駆け足で下っていく風花ちゃんを、追いかける莉奈。
そして俺もその華奢な背中を追いかけた。
その後は、某アニメみたいに、『さかなぁー』と『チンアナゴ〜』のポーズの、莉奈と風花ちゃんを写真を撮る。
ふと後ろから聞こえてきた、「仲睦まじい家族だね」「でも、奥さんも旦那さんも、なんか若すぎない?」という言葉に、思わず耳を熱くした。
いや、ほんとにそういうのじゃないから……。
一通り水族館が見終わり、お土産を購入した俺たちは、再び電車へと乗り込む。
ただ、やはり休日の夕方ということもあり、そこそこ混雑した車内には座席は空いていなかった。
そして、莉奈と手を繋いでいた風花ちゃんが、文乃さんへのお土産を持ったままウトウトし始め……。
「風花ちゃん。もう少しだからね?」
「……うん」
小さな声はもう、半分夢の中だった。
莉奈は視線をこちらに向け、困ったような表情を向ける。
「どうしよう……当分座席は空かなそうだし……」
「そうだな……なら、莉奈。風花ちゃんの荷物持ってもらっていいか?」
「え、うん。いいけど……」
そう、不思議そうな表情で頷くと、彼女は風花ちゃんの手から、優しくビニール袋を抜き取る。
若干寝ぼけ眼のまま、「ん?」と顔を上げた風花ちゃんに俺は、「ちょっとごめんな」と呟き、その華奢な腰に腕を回す。
そのまま小さな体を持ち上げると、体の前で彼女を抱き抱えた。
俺の顔のすぐ横から伸びた、金色の髪の毛からシャンプーのいい匂いがする。
「風花ちゃん、これなら寝れそう?」
「……うん。おにぃちゃん……好きぃ……」
そんな言葉を最後に力尽きた風花ちゃんは、俺の首にギュッと腕を回したまま、華奢な寝息を立てる。
小さな体の、ぼんやりとした体温を感じながら、俺は彼女を抱える腕に力を込めた。
「湊、大丈夫? 重くない?」
「なに、米袋よりは全然軽いわ」
「そっか。やっぱり湊はすごいね」
「褒めてもなんも出ないぞ。でも、まぁ、ありがと」
「えー、普通に喜べばいいのに。ほんと、素直じゃないんだから」
隣でふふっと微笑んだ莉奈が、肩をコツンとぶつける。
「どうした?」
「んー? なんか、今日は本当に夫婦みたいだったなって」
そんな彼女の言葉に、思わず心臓を速くする。
しっとりとしていて、魔性的な微笑みの莉奈は、俺の手に華奢な手を重ねた。
だけど、その暖かさに、ふと浮かんできたのは文乃さんのことで。
「莉奈……悪いけど、そういうのは」
しかし、
「わかってる」
俺の言葉を遮るように、淡々とした口調で言った莉奈。
「……明日になったら湊はあの人の彼氏。だから、今日ぐらい……いや、今ぐらいはこうさせて欲しい」
そう言って、ゆっくりと窓の外へと視線を逸らした彼女。
その横顔はどこか、寂しそうな表情にも見えた。
まぁ、だからというか、なんていうか……。
「……両手は塞がってるから、手はつなげない。それ以外は好きにしろ」
「……ふふっ。うん」
隣から心地のいい鼻音が聞こえて、またすぐに手と肩に温もりを感じる。
今日は一日楽しかった。
だから、せめてその対価として、これぐらいなら俺でも返せるんじゃないかって、そう思った。
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