ヨンマルヨン ノットファウンド

サン シカ

第1話

 なぜ妹は消えたのか?

 そればかりが2次方程式の虚数解なんかより頭を埋め尽くしていた。


 自分の半身がいない世界なんてどんな地獄かと思ったが、待ち受けていたのは拍子ひょうし抜けするほどの青春カラーの日常だった。ムカつくくらい鮮やかでラブアンドピースな、例えるならレベル99カンストした勇者が最初の町をうろつくような退屈。

 人ひとり消えたところで社会は揺らがない。

 今日び自殺事件なんてのは2月14日バレンタインの女子学生が提げたチョコレートくらいありふれている。けれど火衣カイには諦めきれない一つの理由があった。

 ――あたしになにも言わず自殺なんて

 学校終わってすぐ病室に駆け込むと「姉さん」ってやわらかく笑った美優ミューが? 今年の夏祭りも絶対行こうって、治療頑張って外出許可取ろうねって約束したばかりの妹が? 「次のバレンタインで想いを伝えるの。約束」なんてひとの恋愛事情におせっかい焼いてたあの子が?

 ――絶対ありえねんだよ

 日に日に皆の記憶から妹が消えてく。

 未解決事件を放り出そうとしている。

 ミューが生きてたら、なんてもう両親すら考えない。

 怒りが。

 悲しみも涙も塗りつぶすほどの怒りが。

「こーらっ」

 後ろから突然細い腕が抱きついてきた。

 そよ風に溶けるディオールの香水。顔を見るまでもない。愛瑠めるだ。

「さっさと帰んないでよ。遊ぶ約束ブッチすんなー」

「愛瑠が勝手に決めただけじゃん」

「みんなカイと遊びたいんだって。ゲーム上手いし。特にクラスの男子連中、チームに誘ってランクマッチ行くって騒いでたけど」

「別に上手くない」

「うそうそ知ってんだから。カイがプレゼンターとか」

最上位ランカープレデター

「それ!」

「あたしはサンタさんか」

「もう一か月でしょ」

 頭一つぶん高い整った顔を見上げた。愛瑠は感情を見せない笑顔を向けていた。

 一か月。

 病院の爆破事件から、一か月。

「そろそろ自分のために時間使いなって。私と遊んだりぃ、大好きなゲームしたりぃ、恋愛したりー、私と遊んだりさ!」

「自分ばっかじゃん」

 彼女はからから笑い、首に回した腕をぎゅっとした。

「ミューちゃんのことは警察に任せてさ。これはカイの人生なんだから」

「あたしの勝手」

「今日は何月何日?」

「なんで? 2月13日でしょ」

「つーことで。これあげる」

 受け取った提げ袋には、かわいらしくラッピングされたチョコレートが入っていた。

「……男に飽きて女に走ったのか?」

「ちーがーう。カイのためにわざわざ買ってきてやったのに!」

「あたしのため?」頭の中に一人の男子がぽっと浮かんだ。「ちょっと待て」

菊地きくちでしょ」

「はぁ⁉ バカじゃない」

「何年友達やってると? バレバレだが」

 2年A組、クラスメイトの菊地雄馬の顔が頭を埋め尽くした。

「バレンタインなんてあたしにゃ関係ねえ!」

「あるよ。女の子なんだから」

かげでチビザルとか言われてるあたしがか?」

 笑える。お笑いだ。

「その黄ばんだシャツはすぐ捨てな。髪は毎朝クシ入れる、面倒でも基礎地ファンデはやる、スカート丈は絶対ひざ上! ギリギリ攻めてこそ女! 復唱しろ!」

「うっさいな。服なんてなんでもええやろ」

「はい今からいちばん大事なこと言いますー! スカートの下にジャージ穿くな! ありえないから!」

「あんたよく腹壊さないよね。このクッソ寒ぃーのに」

 スカートから大胆に伸びる親友の白い足を指した。

「ちゃんとすりゃかわいいのに」

「かわいい?」

 さすがに吹き出した。

 自分に最も縁遠い言葉だ。

愛瑠めるとは違うよ」

「新しい人生だよ」

「新しい」鼻で笑った。「なにが? まるで人生の転機でもあったみたいな言い方」

「カイ」

「なにも変わってない。なにも終わってない」

 愛瑠をきっと睨みつけて早足に歩いた。声に振り向いてもやらなかった。

「死んだって決まってない」


 ちく何十年だかの県営住宅のアパート群。同じかたち同じ年月にびつくドアが居並ぶそこの、遠い夕日を背負って刑事が立っていた。

「これで最後だ」

 白髪交じりの無精ひげを触りながら男は言った。

 カイに放って寄越したのは厚さ十センチにもなる書類の束だ。調査報告書。調査終了を意味する朱印がぶっきらぼうに押してある。

「もう警察署ウチに押しかけても無駄だ。情報ネタはもう空っぽなんだよ」

 こんな書類読む価値がない。

 知っていること以上のものはなにもない。

 面倒ごとを終わらせたいだけなのだ、この人たちは。

「妹は死んだの?」

「そうだ」

「死体もないのに」

「キャンプ中に山奥で迷子になった子どもが一か月見つからなかった――生死の確率は?」

「なんの話? 山奥じゃない。妹が消えたのは病室だ」

「警官総動員で見つかるまで捜すか? 職務を放りだして、何年も何年も?」

「それがあんたの役割じゃないの?」

「みんな暇じゃねェんだよ。大人になりゃわかる」

「関係ないだろ!」

「はァ?」

「歩けないミューの車イスが爆発現場に転がってた。その時間防犯カメラに病院から出てく人は誰一人映ってなかった。あの子は病気がこの先よくならないって知ってた――警察あんたらはたったこれだけで紙っ切れに"自殺"のハンコ押して全部あきらめようとしてる。違わないよね?」

「現場には本人の血が――」

「でも死体はなかった。そうでしょ?」

 刑事は舌打ちした。

「なんで? どうして? 髪の毛ひとつ指先ひとつ残さず爆発したって? あの部屋にだけ核攻撃された? はっ。笑っちゃう。爆弾なんてどうやって手に入れるんだよ。生まれたときから病院暮らしのあの子が!」

「全部調べた! 自殺それ以外可能性がなかった! それでしまいだ!」

 刑事は後ろ手に持っていたビニール袋をカイに投げつけた。気味の悪い表情を模した"仮面"が入っていた。

 よく知っている。それはなぜだか爆発現場に落ちていたのだ。ミューの私物じゃない。こんなの見たことない。なら第三者がそこにいたんじゃないか? 

 仮面は重要証拠品として押収おうしゅうされて以降、何度「見せて」と頼んでも警察は一切応じなかった。

 見れば仮面の口元にはまだ妹の血の跡が残っていた。

「持っていけばいい! 納得いくまで調べてみろよ! だが言っとくぞ、おまえがどれだけ吠えても事実は変わらん!」


 ほんっとに終わりなんだろう。

 唯一の手掛かりまで放って寄越したのだ。

 美優は死んだ。

 "見つかりませんでした"って、短い文章だけ添えて。

「オッサン」

 車に乗り込もうとするその背中に言葉をぶつけた。

「刑事はお仕事、、、?」

「は?」

「人生に定時はねーんだよ」

 自動販売機のゴミ箱を思い切り蹴り飛ばした。大量のペットボトルが派手な音を上げてガラガラと道路に散らばっていく。

「ほら、捕まえれば? 器物破損罪きぶつはそんざいとか、知らんけど。現行犯」

「おまえ」

「警察署で喋ろうよ。言いたいこと山ほどあるよ。早く行こう」

 車のドアが壊れそうにきしみながら閉まり、ペットボトルをグシャグシャに踏みつけて視界から走り去った。


 玄関のドアを開けたとたん香ばしいにおいが漂ってきた。

 食卓いっぱいに並んだ料理を呆然ぼうぜんと見ていると、父親が近づいてきて「はりきって作り過ぎたって。ママ、元気になってきたみたいだね」って耳打ちしてきた。

 穏やかな日常。

 ムカつくくらい鮮やかでラブアンドピースな。

「ん、それは?」

 カイが抱えた書類に気づき、父が手を伸ばしてきた。"調査報告書"の朱印しゅいんのぞく。

「カイ。また警察にご迷惑を」

「うっさい」

 手を払いのけて自室に駆け込んだ。

 ゴミ箱に放って捨てる。

 乱暴にベッドに横たわるとスカートが派手にめくれたが、ただジャージが全開になっただけだった。

 腹がぐぅっと鳴った。

 毎日欠かさず観たYouTubeにも大好きなゲームにも手を触れず、カイは薄暗い天井をにらみ付けた。

 親友がくれたチョコレートの包みが床に転がる。

 拍子抜けするほど青春カラーの。


 仮面をビニール袋から取り出し、眼前にかかげた。

 ミューが残した唯一の手掛かり。

 爆発事故。消えた死体。歩けない妹と転がった車イス。そしてこの仮面。

 なにが起こってる?

 ゆっくりと顔に近づけた。

 ――どいつもこいつも

 仮面がカイの鼻先に触れた。

 突如、意識はコンセントを引っこ抜いたみたいにブツ切れた。


 夢を、見た。




 

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