最終話 魔導師の花婿と人馬の花嫁・下

「テオドール様、お久しぶりです」


 いよいよ入場が迫り、礼服に大綬サッシュの帯や勲章をかけていたテオドールは、壮年男性――マイスター=コッフィーに声を掛けられた。


「マイスター、こちらこそ。ウェディングケーキを作って欲しいという願いに応えて頂き、恐縮です」


「いえ。シュリーフ侯爵とミュッケ伯爵の願いとあれば光栄極まりないお仕事です」


 深々と頭を下げるマイスターに、まだ据わりの悪いテオドールはどうもむず痒くなってしまうが、きっとこの後もこんなことがずっと続くのだろう。


「聞けば今年のマンティコア討伐にも侯爵閣下と共に加わって、大金星を上げていたとか。いやはや、お礼を言い尽くせない限りで……」


「いえ、マンティコアを止められたのはあくまで州軍全体の力で、私と妻はあくまで厄介な個体を幾つか倒しただけです。それも部隊の助力が無ければ出来なかったことですから」


「それでも我々菓子職人らには大きな恩です。この自信作のケーキも私のせめてもの恩返しとして受け取って下さい」


 マイスターの言葉に、はい。とテオドールは胸を張って答えた。


 思えばマイスターと出会ったオヴェリフル行きの列車。あそこから今日に通じる全てが始まっていたのかもしれない。

 小さな人馬の情熱的で無計画な求婚。トプカプ入営。マンティコアとの激戦。列車杖施設への潜入。ユーラヒルでの父との戦い。そして今日に至るまでの全てはあの日、あのオヴェリフル行きの列車の二等車に乗り込んだ時から始まっていたのだろう。


「お兄様」


 感慨に浸っていると、エリスが声を掛けてくる。

 この婚姻の最初の証人にして現ミュッケ伯である妹は、スラティ州軍准将の礼服に身を包み、仏頂面でこちらを睨んでいる。彼女がこの婚姻の証人として立ち会うのだ。


「いつまでもたもたとそこに立っていられて? もう聖歌隊も楽隊も司教様も待っているのですから、すぐに行きますよ」


「解っているよ。今行く」


 テオドールはエリスを伴って、聖堂の廊下を回廊から聖堂の祭壇横へと入ってゆく。

 聖歌隊の歌声と聖堂の大管風琴パイプオルガンが奏でる結婚の契りのための聖歌がテオドールを迎え、聖女降誕を描いたステンドグラスの嵌まった薔薇窓から差し込む光の下で足を止める。

 長い蝋燭の点った祭壇の向こうで、豊かな口髭を蓄えた痩身のオヴェリフル司教がテオドールを一瞥すると、こくりと小さく頷く。

 こつん、かつん、と二対の蹄鉄が石の床を叩く硬質な音が、賛美歌に混じった。

 その音を合図に、一同の視線が祭壇から入口の方へと注がれる。テオドールの出たのと反対側の回廊から人馬の男女と純人の少女が蹄の音を鳴らしながら、聖堂の長椅子の間を祭壇の方へ向かって歩いて行く。

 オスカー=フォン=シュリーフ帝国参議官は鍛えられた身体には窮屈そうな文官礼装姿で、その豪放磊落な普段の様子とは打って変わって感慨深げに俯きながら、傍らの娘に手を引かれるように歩いている。

 そしてメルセデス=フォン=シュリーフ侯爵は、侯爵家の紋章の入った大綬サッシュを掛けた純白のウェディングドレスを纏い、胸を張り、真っ直ぐに前を見据えて、父の歩幅に合わせながら少し早足で歩く。

 その馬体を覆う長いドレスの裾を、満足げな面持ちのベアトリス=フォン=ミュッケが持っていた。

 こつ、こつん、こつ、かつ、かつん、かつ。

 聖歌の歌声に二つのテンポの違う蹄鉄の音が混じり、やがてそれは祭壇の前で止まると、最後のリズムを刻む。役目を終えたベアトリスが靴音を鳴らさずに後に下がり、手を組んで二人を見守る。

 テオドールとメルセデス、そして証人たるオスカーとエリス。その四人が向き合った。

 ヴェールとドレスに身を包んで、じっと自分を見つめるメルセデスの容貌に、テオドールは思わず手を眼鏡に持っていきそうになってしまうが、それを寸前でエリスに制止された。


 聖歌が止むと、オヴェリフル司教は口を開いた。その痩身のどこから出せるのかと思う大音声だいおんじょうが、広い聖堂内に響き渡る。


「新郎、テオドール=フォン=シュリーフ。新婦、メルセデス=フォン=シュリーフ」


「はい」


 声が重なり、二人は歩を進める。

 祭壇の前に並び立ち、手を重ね合うと、司教が祭壇に置かれた革装丁の分厚い聖書を広げ、聖書の節を歌うように読み上げる。

 その昔、古代帝国と魔族が大陸を支配していた時代、聖女の口によって紡がれた言葉。

 人は父と母の元を離れ、夫と妻は結ばれ、二人は一つとなる。神が結び合わせたもうた二人の縁は、人や魔の手によって引き離されて良いものでは無いのだ――と。

 そして節を読み上げた後、しばしの沈黙の後に司教は顔を上げ、庇のような額の下の眼で二人を見据える。

 どちらともなく手を硬く握り、二人は声を合わせてその言葉を口にした。

 

「私たちは夫婦として、喜びのとき、悲しみのとき。病めるとき、健やかなるとき。富めるとき、貧しきとき。その全てにおいてこれを愛し、これを慰め、これを助け――死が二人を別つときまで、真心を尽くすことを、主と聖女の御前おんまえにおいて誓います」


 テオドールにとってはどんな魔法の詠唱よりも緊張と疲労感を覚える言葉に思えた誓約の一節。

 だが、片手から伝わる熱がそれをほぐしてくれる。


 オヴェリフル司教も軽く頷くと、二人の前に一枚の羊皮紙と、魔力の籠もった羽根ペンを差し出す。

 

「では、ここに誓約の筆を」


 メルセデスが先に誓約の魔法の掛かったペンを執り、少し丸まった細やかな字で自らの名前を妻の欄に書き記す。


「はい、テオ」


 微笑みかけられたテオドールはペンをその手から受け取ると、自らの名を書き記す。

 まだ少し書き慣れない、『テオドール=フォン=シュリーフ』の文字が、メルセデスの名の横に並んだ。


「証人。この婚姻の誓約の証を示せ」


 はい、とエリスとオスカーが横に待機していた司祭に紙を差し出す。


「ミッテルラント帝国参議官、オスカー=フォン=シュリーフの筆による誓約書を、ここに」

 

「イヴァミーズ領主、伯爵エリス=フォン=ミュッケ。先代伯夫人アリシア=フォン=ミュッケの筆による誓約の書を、ここに」


 前もって認められた書状――エリスのそれは初めてエンツェンヴィル城を訪れて、彼女が敗れた後に書いた書状に、後から伯爵カウントの文字を付け足したそれ――が手渡され、司教の手で整えられる。

 そして最後にテオドールとメルセデスの名が記された誓約書に、司教が自らの名を書き記すと、起動文を唱えて、その誓約書を一纏めにする。

 紙が無くなるその時まで、決して剥がれることの無い糊付けの魔法。それによって誓約の証が纏められるのだった。


 メルセデスの隣にベアトリスが、テオドールの隣にフランツがやって来て、小箱を手渡す。


「手渡した途端に倒れないで下さいよ、義兄上」


「わかっています」


 小箱の中身を取り出しながらフランツにそう苦笑で返すテオドール。


「お義姉さま、幸せになって下さいな」


「わかったわ、ベアト」


 ベアトリスに笑いかけながら、メルセデスもその中身を取り出した。


 そして二人は向き直ると、小箱の中身――銀の指輪をお互いの指に嵌めるのだった。



「新郎新婦が出てくるぞ!」


 誰とも無く叫んだその言葉と共に、聖堂の重い扉が開かれる。

 中から出てきた、純白のドレスと丈の短い馬着に軍用の革鞍を付けた人馬と、濃い洋酒色の礼服の純人の姿を見て、聖堂が震えるのではないかと言うぐらいの大歓声が上がる。

 そこかしこで籠から花びらを掴んで力一杯天に投げられるフラワーシャワーと、大聖堂の鐘の音もかき消されるほどの「おめでとう」がテオドールとメルセデスに降り注ぐ。


「ありがとーう!」


 耳をぴんと立てたメルセデスはそう絶叫すると、手に持っていた白と赤の花のブーケを振りかぶって、頭上高く投げる。

 天高く舞い上がったブーケは、さながら迫撃砲弾のような綺麗な放物線を描いて落ちて行き、それ目がけて目の前の群衆が波のように動き出す。

 垂直に近い角度で落ちて行くブーケをその手にしたのは、素朴そうな外観の十四、五くらいの少女だった。

 最初は意外そうに手の中に落ちてきたブーケを眺めていた少女は、やがて自らの状況が解り始めると、わっと喜色が顔に浮かぶ。


「あーっ! あーっ! もう!」


 人の大壁に阻まれてブーケの先にすら羽根を伸ばせなかったアルマが悔しげに鉤爪で石畳に向かって地団駄を踏み始める。


「やめなってアルマ! 爪が痛んだらどうしようもないだろ!」


「でも! 悔しい! わたしが取りたかったのに! 飛べば良かった!」


「やめなさい! そんなことしたら本当に洒落にならなかったでしょ!」


 それでも悔しそうに石畳を欠かんばかりに蹴りつけるアルマに、リヒトが言う。


「そんなもの後で僕があげるから!」


 その言葉にアルマは思わず地団駄をやめ、彼の方を振り返った。少女然とした顔に驚嘆と嬉しさの混じった表情が浮かんでいるのが、リヒトの目に映る。


「それって……」


 アルマの唇が動く。

 リヒトはそれを凝視し、こくりと唾を呑んで、両手の拳を握る。


「次は僕たちの番だ!」


 自分の声がこんなに出るのかとリヒト自身が驚くほどに、その声は群衆の歓声にも、メルセデスの声にも負けないほどに大きく響いた。

 アルマはばさっ、と翼を身構えるように前に持ってきて、額から顎まで林檎のような真っ赤になった顔で、言葉なく頷いた。

 

「おお、また新しい夫婦が生まれた」


「兵隊さんがた、俺たちが証人になるぞ!」


 リヒトの大声に振り向いて、硬直する二人を見て事情を把握したオヴェリフルの人々が半分冷やかし混じりで二人に声を掛ける。

 そんな祝福なのかからかっているのかもわからない声を浴びながらまだ固まったままの二人に、ゲルダははぁ、と一息ついて、城門の外へと歩き去って行く新郎新婦を見送った。



 教会の前で歓声の中に混じるリヒトの大声の告白を聞き、旧市街の狭い沿道に市民に混じって立つホイスやジャイム一家たち部隊の面々にに見送られ、テオドールとメルセデスの二人はオヴェリフルの旧市街城門を出てゆく。

 相変わらず止まないフラワーシャワーと「おめでとう」の雨に見舞われながら、テオドールは城門の外であぶみに足を掛け、メルセデスの背に乗る。

 彼女のウェディングドレスを黒革のハーネスで台無しにしたくないから、と手綱は付けていないが、その代わりに鞍のバンドを掴んで妻に歩を任せることとする。


「行きますよ、テオ」


「うん、メル」


 テオドールの応答を聞くと、メルセデスは先程までの大人しく歩いていたのが嘘のように城門外の広小路を駆け出す。

 ウェディングドレスとヴェールを翻し、矢のように走る花嫁の姿に通りに立つ人々がわっと沸き立った。

 大きく手を上げて振り走るメルセデスに、テオドールも控えめに手を振る。

 その頭上を、展示航行用の横陣を組んだトプカプ州軍の哨戒飛行艦の列が、シュリーフ侯爵旗をメインマストにはためかせながら、プロペラの風切り音を鳴らしながら追い越して行く。 

 やがて飛行艦は散会し、円を描くようにオヴェリフルの方へ戻ってゆく。テオドールの見上げた晴天の春空には少しばかりの雲が残るだけで、青い空が広がっている。

 その中にきら、と雲でない白い点があるのをテオドールは見つける。


「見て、メル。昼の星だ」


 テオドールの言葉にメルセデスが顔を上げて、暫くしてテオドールの見つけたのと同じ空の白点を見つけた。

 

「本当ですね」


 テオドールはその星に向かって手を伸ばす。金線で彩られた洋酒色の袖が空色に翻った。


「何を?」


「いや、こうすれば君の気持ちが少しはわかるかなって」


 メルセデスは可笑しそうにふふ、と鼻を鳴らす。


「テオは掴まれる側です。大人しく掴まれてて下さい」


「そうはいかないよ。僕も君を掴んで離したくない」


 テオドールは真昼の星に手を伸ばす。

 それは太陽よりも大きく、より強く輝く星だと彼は何かの本で読んだことがあった。

 自分もまたそんな星のような女性を手放したくはない。そう思ったのだった。

 麦蒔きの季節の優しい風が、街道を疾走する一人の魔導師と一人の人馬を撫ぜる。

 愛する小さな人馬の背でこの優しい時間をもう少しだけ味わっていたい。魔導師はそう思ったのだった。

 

 完

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トプカプ戦記――名門半端魔導師は小さな人馬に求婚される 伊佐良シヅキ @sachi_ueno_1207

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