終章

 無言で山の中を歩く旅の装いの影が二つある。その内片方は片足の代わりに長い柄を巧みに操って普通に歩いているのと変わらずに進んでいた。特に道らしい道など通っていないが、二人の歩みが止まる事も何かに足を取られる事も無い。やがて川辺に辿り着いた二人は休憩をするようにちょうどいい岩に腰かけた。

 太陽は燦々と降り注ぎ、小鳥が軽やかに囀るのが聞こえてくる。暫く無言だった二人だが、どちらともなく大きなため息を漏らすと思わず互いの顔を見て失笑してしまう。


「まさか、だったよな」

「ああ。んだな」


 思い返されるのはつい先日の事だ。


 いとに庇われて泣いたかやに入っていたのは土地神だった。本来ならば人間に憑くはずはないのだが偶然と不運、そして悪意と災いが重なって『かや』という少女を依り代としていた。なぜそうなったのかを聞くために泣いていたかやを宥め、その身を強張らせていた弥太郎とみつの口を平和的に割らせるのも酷く骨が折れたが、今はいい経験だったと二人は思う。


「しかし、本当にいとがいでけでいがったな」

「ああ。そこだけは運が良かった……」


 そうでないと誅は土地神を殺してしまう所だった。

 かやに憑いていたのは元々ヘビで今はみずちになりかけた神だった。ミノヌカヅキという名は対になる者しか知らない蛟の呼び名でいとにその名を呼ばれた時、探していた片割れが現れたと思って泣いてしまったのだという。そしてなぜ人間に憑いてまで片割れを探していたか聞いてみると、誅もあかがねも思わず眉根を寄せてしまう事が原因だった。

 簡単に言えば、弥太郎が悪い妖にそそのかされてミノヌカヅキの対の神のご神体を壊して隠して隠した事が発端である。

 以前みつが話した通り、弥太郎とかやは山が崩れた時に巻き込まれていた。そしてかやだけが大きなケガを負って生死の境を彷徨っていたのだという。

 弥太郎は妹がどうにか助かる方法は無いかと足掻き、神頼みでもなんでもしていた。みつがお参りをしていた祠にも崩れた祠があった場所にも走り、祈った。

 その時、弱った心に甘言をささやかれたのだ。結界の無くなった場所で祈る弥太郎の耳に悪い妖はそっと囁き掛ける。


『そこにある綺麗な石を割るといい。そして欠片を隠せば妹は助かる』


 弥太郎は急に聞こえて来たその囁きに恐れもしたが藁にも縋る思いだったため、囁きを信じて祠があった場所から頭を覗かせていた平たい綺麗な石を岩に叩きつけて割った。そして欠片を拾い集めて隠すために村に持って帰っていた。

 そしてその欠片を村の色々な場所にばらして隠すと、かやが急に回復し始めた。かやの回復に村人は喜んだが、かやを大事にしている弥太郎が時たまいなくなっている事に気付いたみつは彼が欠片を隠している所を見てしまう。みつがそれは何だ問えば、かやが回復するために必要な呪いだ弥太郎は答えた。聞いた通り、かやは日に日に回復していたのでみつも弥太郎の言葉を信じてしまう。

 同時に、子供だけが夜にやってくる違和感に気付く。

 その時の事はミノカガチが対の者を探すためにかやの体を借りただけなのだが、弥太郎に囁いてきたモノは自分が憑りつくはずだった体を取られて焦ったらしい。夜に弥太郎が眠りにつくと、かやがいなくなるのを見計らって夢枕に立つように囁きかけた。


『ヘビが近くにいるぞ。ヘビが力を探しているぞ。欠片を持っていかれたらまじないは消える。妹はまた死にかけだ。早く退治してしまえ』


 その囁きを聞いた後に本当なら動けるはずのないかやが夜な夜な村の中を徘徊している事を弥太郎は知った。そしてミノヌカヅキが徘徊する夜の村の違和感に気付いていたみつや、夜に訪れる何かに怖がっていたそのと一緒に村を逃げ出した所あかがねと出会った。

 やがて夜の違和感に気付いていた子供達は三人が消えてからその後を追うようになる。実際、彼らが山に入った時に先に逃げ出していた子供の誰かと出会って付いて来ていたというのが正しい。最初に弥太郎を唆した妖については、ミノヌカヅキに見つかってどこかに逃げたそうだ。


 よくない事が連鎖していた中で幸運だったのは、村の子供が半分ほど消えた頃にいとが綺麗な赤い石を見つけた事だ。それが弥太郎が割り壊して隠した物とも知らなかったが、ただ綺麗だからといとは持って帰った。その後に山の中で消えたはずの村の子供と出会ってあかがねの元にやって来る。

 事態が更に有卦うけに入ったのが、いとが拾った石を誰かに取られてしまわないように服の中に忍ばせていた事だ。石に宿っていたミノヌカヅキの対は自分の本体ともいえるご神体が壊されても、辛うじて生きていた。本来ならば消えてもおかしくなかったが、いとが拾ってからずっと持っていた事で彼女の生命力に生かされた。

 それでも存在を保つのに精一杯で、自分が置かれている状況を知らせるためには力を蓄える事が必要だった。このままいとを頼っても良かったが、小さな道祖神といえども神が人間の生命力を頼りにしたらどうなるかなぞ想像に難くない。

 辛うじて存在している状況で悩む時間も無いと思っていたらしいが、その悩みはすぐに解決した。いとと共にいる子供たちが、自分や動き出したミノヌカヅキから溢れた神気で変化した白縹の石を共にいるあかがねの元に運んでくるのだ。

集まってくるその石から少しずつ力を吸えば回復できる。

 その僥倖に感謝したミノヌカヅキの対はゆっくりと回復を始めた。ただ、副作用のようにご神体の欠片石を持っていたいとが、力の余波で酔ったようぼんやりとした状態になってしてしまっていたのは仕方ない事だったのだろう。

 そしてミノヌカヅキが言うには、かやに憑いているのは同意の上だという。ご神体とも言える石を壊された対の気配が薄くなって動いた。それを追ってきたミノヌカヅキは弥太郎達の村まで辿り着いた。村の中で一番気配が濃かった弥太郎の家の近くに行くとかやが家の外で泣いていたのだという。元々道祖神というだけあってミノヌカヅキは祟りを持つものではない。体から離れて泣いているかやの涙のその理由を聞けば、彼女はもう別のところに行かねばならず、それがとても悲しいのだと言っていた。だからミノヌカヅキは、時間や互いに動ける条件は限られているかもしれないが、彼女の体を借りる事で互いの望みを叶えようと提案したのだという。かやはその提案に応え、神憑きのようになって回復した。


 唆された弥太郎と、弥太郎の言葉を信じていたみつは本来ならば祀るはずのものを悪としていた。

 しかし、いとはたまたま見つけた輝石を持っていた事で皆がこの地の神を殺さずに済んだ。かやは本来ならばとがめられる兄の行動で命を長らえた。これに関わっているのが人間だけだったならば、子供だけで生きる事もできずに待っていたのはあまり良い結果ではなかったかもしれない。よくよく聞けば、みつは村から逃げた後もあまり遠くに行くなというあかがねの言いつけを破ってミノヌカヅキの祠に一人でこっそりとお参りに行っていた。それはあかがねの結界の外で、祠の主が不在だった時でもある、そんな場所に行っていたみつをたまたま見つけたミノヌカヅキに追い払われた妖が、置き土産のまじないを囁いたのだという。それは一種ののろいにも似ていた、あの時にみつは憑りつかれたように動いて子供の力でも誅の刀を振る事ができたらしい。


 たまたま村の怪異から逃げ出していた子供たちとあかがねが出会い、たまたまこの地に訪れた誅が村に残った神憑きの子供と話して動いた事で、小さな人の村で起こっていた事の内容を暴いて事を収めた。


 真相を知った弥太郎とみつは、様々な事に合点がいったのか今までの己の行動を思い返して真っ青になり、いとは持っていた輝石を名残惜しそうにしながらもミノヌカヅキと寄り添う小さいヘビ姿の道祖神に渡した。もちろん欠片がそれだけではない。ミノヌカヅキは対の代わりに、隠された欠片全てを回収するまで村に残ると言っていた。


「……神ってのは、残酷だな」

「ああ」


 事のあらましを思い出していたのか、ぽつりとつぶやいたあかがねの言葉に誅はただ頷く事しかできそうにない。

 かやはミノヌカヅキに人間としての体を貸した事で今も生きながらえている。ならば、ミノヌカヅキが去った後のかやは想像に難くない。

 それでも、真相を知らない村の子供たちの不安は消えて親元に帰る事ができる。詳しい説明ははぐらかして伝え、村の近くまで手土産付きで送っておいた。いなくなっていた理由は山の神の宴を手伝わされていたと言えと伝えてある。

 そして真実を知る弥太郎とみつ、いとには真実を口外しないようにと言い聞かせた。いつか真実が誰かの口から漏れるかもしれないが、その頃には誅もあかがねもこの地にはいないだろう。そしてミノヌカヅキ達も欠片さえ手元に集まっていれば再びその姿を隠すだろう。


「かやの事で弥太郎達は悩むだろうな」

「親さも相談できね。だからって素直になれば喪われる、が」

「誅はどうにかしてえのか?」

「それなぁまあ……子供わらしのどだがらな」

「持って生まれた性とはいえ、お前は優しいな」

「おめえだってお節介へっちゃまげっだったべに」

「まあな。だが、人間の事は人間が決めにゃいかん。俺は必要以上に手を出さねえよ」

「……真綿で首な絞めるおめだって十分しったげ残酷だべ」


 誅の皮肉な言葉に軽く肩を竦めたあかがねは持っていた荷物の中から小ぶりな甕を取り出すと、一緒に用意していた杯に透明な液体を注ぎ入れる。なみなみと注がれたそれからは芳醇な香りと酒精が漂い、近くにいる者を惑わせた。


「残ってんのはお互い一杯だけだが……飲まねえか」

「んだな」


 二人でほぼ同時に流し込んだ酒は煮えたぎる湯が通り過ぎるように激流となって喉を流れていった。甘く豊かな香りが口に残り、息を吐けば余韻が鼻を抜けていく。なんとも言えない気分を洗い流してくれた酒は、後味もスッキリしていてたった一口程度の一杯なのにいっそ清々しかった。


「やっぱ大天狗秘蔵の酒は格が違うな。うめえ」

「は……?今なんつった?」

「ん?うめえ酒だって」

「いや、この酒がなんだすか?」

「大天狗秘蔵の酒」

「……なんた酒手さってんだおめー」

「すげえだろ?」

「ああ」


 悪戯が成功したようにカラカラと笑うあかがねに脱力した誅だが、思わずつられて笑ってしまう。


「なあ誅」

「なんだずあかがね」

「すまねえ。一つだけお前に隠してる事がある」

「あん?」

「俺の名前なんだが……」

「あかがねだべ?」

「それももちろん合ってる。だけど、それは俺がまだ未熟だから名乗ってる幼名だ。未熟だからこそ迂闊に真名は名乗れねえ」

「幼名……なして?」

「未熟な内に真名を教えりゃ相手によっちゃ足元を掬われる事がある。だから簡単には名乗れねえんだ。だが……」

「?」


 何かを一呼吸置いたあかがねが何かを呟いた気がしたが、誅には何を言ったのか聞き取れなかった。


「誅、俺の真名はまがねってんだ」

「まがね……」


 誅が小さく鉄の名を復唱すると緑の目が満足そうに細められる。その反応に誅も表情を和らげた。

 それから何も言葉を交わさないまま、やがて二人は立ち上がる。


「いつかまたお前とは会うだろうよ。それまでその刀を折るんじゃねえぞ?」

「おめごそいづかまた会ったどき鈍鍛冶師なまくらかじしとか言われでるなよお?」


 どちらともなく言った二人が背中越しの互いの言葉で笑い合うと、それぞれ別の方へ歩き出す。旅路も目指すものも全く違う二人は偶然出会い、誤解から刃を交え、共に考えた末に小さな村で引き起こされた不運な怪異を解き明かした。

 二人が生きる時間の中では一瞬にも等しい時間だったが、笑顔が交わされ縁が結ばれた。互いの名前と種族しか知らない。もしかしたら、この先出会わないかもしれない。しかし二人には確信めいた何かがあった。それが何かは分からない。確実に分かるのは結ばれた縁は長い旅の先で再び交わるという事だけだ。思い込みにも似た予感だが、聞かれれば二人ともアイツとは再び出会うと胸を張って言える。

 だから未練なく互いが別の方向に進んでいけるのかもしれない。

 いつかまた、長い旅路の先で出会った二人は互いに笑顔を交わすだろう。




(会遇離別異聞奇譚 次に逢う時は友として。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

会遇離別異聞奇譚 @Freki

作家にギフトを贈る

カクヨムサポーターズパスポートに登録すると、作家にギフトを贈れるようになります。

サポーター

新しいサポーター

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ