公務員の幼馴染がヤンデレから怪異まで幅広く厄介を引っ掛けてくるからなんとかして俺が寝取ってやらないと

目々

好みのタイプ:放っておけない寂しがり屋

 土曜の昼間だというのにひと気のないカラオケ屋の廊下、その奥まった突き当りの薄暗い個室。

 店員がグラスを置いて出て行くのを見送ってから突き飛ばすようにソファに押し倒した彼女ちゃんの目が涙で潤んでからつぶつぶと黒目をその双眸一杯に増やし始めたので、俺は白い頬を平手で撲った。


「高沼くん、どうして、安田くんのこと、色々話してくれるからって──」

「安田の何を知りたいって? 知ってどうする気だよ、バケモン」


 ツラ剥げてんぞと笑いかけてやれば、大きく見開かれた目の中で無数の瞳が勝手な方向に蠢く。戸惑いの表現にしては随分悍ましいその様を見下ろしながら、俺はアロハの背の下に鳥肌を立てる。


 安田くんと付き合って一ヶ月記念を祝いたいから買い物に付き合ってくれ、安田くんの友達なら仲良くなりたい、安田くんの話を聞かせてほしい──。

 そんな甘ったるいことを言いながら誘いに乗ってきたのは向こうからだ。『彼氏に喜んでもらうために』という理由と『彼氏の友達に手伝ってもらう』という建前を用意してやれば、この手の女はすぐ引っかかる。


「安田くん安田くんってな、馬鹿の一つ覚えみたいに呼ぶんだもんな。あんたのモンでも何でもねえだろうに、何様のつもりだよ」

「だって私、わたし、安田くんの彼女で──」

「知ってるよ。それだけだろ。だったら俺だって安田くんの友達だよ」

「友達なんでしょ、なのに、なんで」


 なんでこんなことするの、と定番ど真ん中な台詞を吐く彼女ちゃんは耳まで裂けかかった口の端から長い舌をちろちろと閃かせている。日常に上手く溶け込めている自負がある怪異ほど、不意討ちを食らったときにボロを出すのが早い。

 怪異としての本性を剥き出しにし始めた女は、俺の腕の下でのたうつようにもがきながら無数の目で睨んだ。


 なんでこんなことするの、という問いには簡単に答えられる。

 安田くんのためだ。


 安田くんと俺の付き合いはもう二十年以上になる。

 小学校の学区が一緒で家も同じ方向で気が合った。出会いはそんなありふれた代物で、経過も何もかも特筆すべきことはない。精々小学校の六年間、クラス替えで一度も別の組になることがなかったのが地味な偶然というだけで、それ以外は何もない。

 劇的なイベントは一切ないが致命的な破局に至るような事故もなく、互いに社会人となった今でも地元の手近な友人として友好的な関係が続いている。


 全くつまらないといえばその通りだが、つまり安田くんとはそういうやつなのだ。

 徒競走も平均タイム、勉強は真面目に努力して上位三割、際立ってできることも苦手なことも特にない、至って地味な人間。地味だけれど、なんでもそこそこにこなせて、人当たりも無難に良い。趣味はひとつに深くハマることはないけれども、浅く広くそれこそ付き合いのある連中を受け入れられるくらいの見識はある。それでいて関わった人間を悪くいうようなことも粗雑に扱うようなこともなく、誰とでも穏やかな関係を保つことができる。


 十人十色それぞれの中間色でいることを選び取ったような曖昧さと、単純な善性。何事も起こらないし起こそうともしない、凪いだ海のような人間。

 曖昧で、驚くほど誠実で、空恐ろしくなるほどの善良さで構成されたのが、安田くんだった。


 他人に対して瞬間以上の楽しさを期待せず、その場凌ぎとノリだけで充分だと考えていた俺が友人でい続けたいと思ったのは、安田くんが初めてだった。

 あとは音楽の趣味がそこそこ合った。それだって安田くんが合わせてくれただけかもしれないが、それでも十分だった。


 他人に深く踏み込まない。踏み込んでこないことを不実だと詰ることもない。その間合いの取り方が俺にはひどく心地よかった。


 そんな穏やかな善人を、世間が放っておくわけがない。猫も杓子も友達も、安田くんが黙っているだけで寄ってくる。当然その有象無象には悪いやつも良いやつも混在しているのに、引き寄せた本人はそれらの正体については徹底して頓着する様子がないのだから、友人の俺としては気が気でない。


 高校の頃は彼女だのなんだのといった厄介ごとは起きずに済んだ。文芸部に押し込んだ上で生徒会の会計委員をやらせておいた甲斐があった。たまに好意を持って寄ってくる女がいても、近くに俺みたいな人間──学生らしくない派手な金髪と着崩せるだけ着崩した制服に校内外の悪い人間との付き合いの噂があるような札付き──がいるだけで、内気で臆病な女子生徒はすぐに逃げていった。


 安田くんが大学に入って最初の彼女がよくなかった。

 年上で、自傷癖を拗らせた上に学部内では有名な傷害の前科持ちだった。


 俺のろくでもない先輩が深刻そうな顔で正体を教えてくれるまでは俺だって気付かなかった。正直に伝えようかと考えもしたが、安田くんのことだから、彼女の側にいてやりたいとか助けになりたいなどと危ういことを言い出すのは目に見えていた。 


 だから寝取った。

 安田くんをあんな女メンヘラ自傷他害前科持ちから逃がすには、俺に取れる手段はそれくらいしかなかった。

 暴力沙汰になっても負ける気はしなかったけれども、どれほど凶暴だろうがろくでもなかろうが、現状『一般市民』でしかない人間に対して暴力を行使することを司法は許してはくれない。だからこそ暴力以外の手段を講じる必要があり、そこに適合したのが寝取りという手段だっただけのことだ。


 人間に対しての暴力沙汰は違法だが、恋愛沙汰の諸々に関しては今のところ法律に違反するものではないからだ。友人の彼女を横から掻っ攫おうとも倫理以外の問題は何もない──その本心がどこにあったとしてもだ。


 友人だからという建前で交流を重ねれば、女はすぐに気を許した。あとは全く楽なものだった。ちょっとちやほやしてやれば必要とされている自分に酔っぱらってあっさりこっちに転んでくれた。安田くんをそんなに簡単に裏切るんだな、という失望を隠して付き合いを続け、刺される前に先輩に『そういう女』が必要な知り合いがいるとかで引き取ってもらって一連の関係は終了した。

 安田くんは彼女に振られたことと、その彼女と俺が付き合っていたことに少しだけ落ち込んでいたが、二週間ほどで立ち直ったようで、俺とも以前となんら変わらない友達付き合いが再開した。


 初めての彼女メンヘラクソ年増を筆頭に、どうしてか安田くんが連れてくる女はどこかしらのネジが折れ飛んだかそもそも備わっていないような連中ばかりだった。

 安田くんもまたそんな連中に捕まる度、律義に俺へ連絡を寄越してくるのだ。『お前には紹介しておきたかった』『これまでのことは彼女には内緒にしてほしい』『今度は本当に良い子だから手を出さないでくれ』──そんな前置きと共に紹介する神経が友達ながら分からないが、安田くん長年の友人のことだから心底からの好意なのだろう。俺なら一人目を寝取られた時点でどうにかしてそいつをぶち殺しているだろうから、全く以て安田くんは人間ができている。


 より頭が痛いのはそうして紹介される彼女連中がゴミを寄せ集めて成型した人間ですらない場合があったからだ。


 大学三年の時の彼女──安田くんのバイト先の先輩だと紹介されたのを覚えている──が『それ』だった。顔合わせの飲み会だと俺を含めた三人で飲んだあと、安田くんと別れてから一人で帰るというので下心なしに送ってやろうと酔っぱらって歩く腕を掴んだ途端に生首をごろんと道路に転がしてくれたので、安田くんの側にはこの手のやつらも集まってくんのかと驚いた。


 とりあえずその場は何食わぬ顔で家まで送り届け、すぐさま地元の先輩に相談して『その手の相談』に乗ってくれる人に話を付けてもらい、あれこれと用意を済ませてからきちんと寝取り油断したところを見計らって教わった手筈通りにしっかりとぶん殴って消滅させた。

 そのときの安田くんは、最初の彼女に振られたときよりは落ち込んでいなかったはずだ。恐らく彼女がそっくり消失してしまったので、疑ったり落ち込んだりする余裕がなかったのだろう。


 今回の彼女ちゃんも怪異なのだから、きっと安田くんはすぐに元気になってくれる。そのことにいつもよりは安堵しながら、俺は彼女ちゃんの手首を締める手に力を込めた。


「別にさあ、人間でも前科持ちでも怪物でも何でもいいのよ俺としてはね。ちゃんと彼女やってくれんならさ、本当。安田君も三十路だしね、良い人見つけて欲しいんだよ友達としては」

「じゃあ何で、なんで──私、安田くんの彼女として、安田くんのこと好きで、だから」

「だから右手の爪剥いだのかよ」


 俺の問いに怪異彼女ちゃんの目がぎらりと光った。


「だって、欲しかったから──でも私我慢したの、まだ指一本しかしかも爪一枚なんて味見みたいなものだし、だって」


 人間のように駄々をこねる怪異の脇腹を膝で抉るように蹴れば、呻き声とも悲鳴ともつかない半端な音が鳴った。


 怪異はいつだってそうだ。安田くんのことを食い物にする。

 俺がこの女を紹介されたとき、安田くんの右手が包帯まみれだったことを思い出す。理由を聞けば、最近細かい怪我が多いんだよと爪のことを日常のうっかりエピソードみたいに話してくれた。

 こいつ彼女ちゃんは彼氏の語りを聞きながら、無事な左手に両腕を絡めて、その隣でにこにこと笑っていた。


 俺はその瞬間、この女が元凶なのだと理解した。

 怪異連中はそういう性質なのか癖なのかは分からないが、好意を持った相手を傷つけずにはいられないのだろう。首の接着が甘い先輩と付き合っていたときも、安田くんは覚えのない生傷や結構な火傷なんかを頻繁に作っていた。先輩を消滅させてからはそういった怪我をすることもなくなり、火傷も跡を残さずに消えていたのに安心したのを覚えている。

 いつも通り地元の先輩に相談すれば案の定の黒判定が返ってきて、始末の付け方も俺に任せてもらえた。

 先輩の方にも事情があって、そういう人間に害を及ぼすバケモノどもをどうこうすると都合がいいらしいがそんなことは俺にはあまり重要ではなく、安田くんにまとわりつく連中を正しく処理できるかどうかだけが俺にとっての重要事項だった。


 人間か怪異かなど大した問題にもならない。どちらであっても同じことだ。安田くんに惹かれて寄ってくる連中は、すぐにあのお人好しをいいように利用し始める。愛だの恋だの甘ったるい口実を上手に掲げながら、その好意と善意を澄ました顔で貪るのだ。金銭的に、精神的に、肉体的に──それでも安田くんは抵抗しないし、咎めようともしない。

 前科持ちのメンヘラ女に財布代わりに扱われて些細なことで殴られても、依存体質のクソ野郎に家に転がり込まれた挙句に四六時中つきまとわれてから監禁されかかっても、清純派ぶった怪異女に爪を剥がされても、安田くんは抵抗しないのだ。

 自分から助けてくれとは言い出さない、そもそも自分がひどい目に遭っているという自覚がない。


 だから俺が、友達の俺がなんとかしてやらないと、安田くんは真っ当に生きられなくなってしまう。


 もう一度ぶん殴ろうとしたときに、カラオケ機器から流れる騒音に紛れて電話が鳴っていることに気付く。女のスマホだ。押し倒した拍子にソファに転がったのだろう。


 表示された着信相手の名前は都合のいいことに安田くんだった。


 掴んで画面を示してやれば、彼女ちゃんは嫌々と首を振る。

 俺はもう一度胴のあたりを蹴り飛ばしてから通話を始めた。


「おう、安田くん。どしたの」

「あれ、高田? 俺紗愛サナちゃんに電話かけたんだけど、あれ?」

「あー……ごめんね、安田くん。俺さ、今彼女ちゃんといるんだけど、


 沈黙。

 賢い安田くんのことだから俺の言っている意味が分かっただろう。なんせ似たようなやりとりは何回もしてきている。


「……高田、あのさ、俺こないだ言ったじゃん。今度の子はさ、いい子だから手ぇ出さないでねって」

「分かってるって、でもしょーがねえっていうか、こういうこと言いたかないけど彼女ちゃんから誘ってきたしさあ」


 声のひとつでも聞かせてやろうかと思ったが、彼女ちゃんは小さい声で嫌だいやだと啜り泣きの合間に呻くばかりで、どうも艶っぽい雰囲気は作れそうになかった。殴りつけて詰めている最中なのだから当たり前ではある。


「悪いけどさ、今彼女ちゃんとだからさ、俺。あとでまた掛け直すわ。な?」


 そのまま返答を待たずに通話と電源を切る。しばらく経ってから俺のスマホがひっきりなしに震え出したがそんなものは無視すればいいだけのことだ。

 押し倒したままの彼女ちゃんの顔はいよいよ崩れて、口が右頬に二つも増えている。念入りに取り繕っていたんだなとこうなる前の顔を思い出しながら、その化生の腕前に感心する。

 頃合いだろうと俺は手首に巻いた数珠に目をやる。オリエンタル風味のブレスです、といった顔で着けていれば存外に目立たないそれは、そういうことにやけに詳しい先輩から貰った代物だ。

 手首から擦り落として拳を覆うように巻けば、彼女ちゃんの顔が怯えのように痙攣した。


「ま、そういうことだからさ。俺としばらく付き合ってよ、サナちゃん。ここ知り合いの店だからさ、泣いても叫んでも誰も来ねえし」


 あいつより俺の方が上手いからさと拳を振りかぶれば、彼女ちゃんの顔の三つの口が歪んで開く。

 彼女ちゃんの絶叫を覆うように、画面に映った宣伝映像のアイドルの歓声が部屋に響いた。

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