靴下を裏返しに履くということ

高黄森哉

靴下

「ねえ。苗木さん、靴下、うらがえしじゃない」

「きこえてるっつーの」


 靴下を裏側に履いている人がいたら、その人はおかしいと思われるだろうか。答えはイエス。みんな、そのおかしさを隠すために人は長いズボンを履いている。んな馬鹿な。ただし、私にはそう思えてならなかった。私は、無個性で保守的な長ズボンを履く人間こそ、その人の特異性の裏返しになのだと考える。


「馬鹿みたい」

「だから、聞こえてるってば」


 グライスの四つの格率はなにも、言動や文章に限定されない。その人の、所作にも適用される。だからして、私は、そういった外れた人間の異常行動に、意味を見出さずにはいられない。規律を外れることに、なんの含みがあるのかを考えずにいられない。それは同類として、仲間として。


 私にとってそれは、すなわち長い靴下をあえて裏返しで履き、短いスカートに身を纏うことは裏返しの防御だった。ケバイ格好をすることで、むしろケバイことへの興味の対象から外れることが出来た。言葉をアホにすることで、スノビズムに染まらずにすんだ。醜い縫い目や滲んだキャラクターの像は、ガンガゼの棘のような役割をして他人を寄せ付けない。ただ、逆向きの内向性は表向きは外交的に映ることだろう。


 実際、私が他人から積極的に傷つけられそうになったことは少ない。攻撃とは最大の防御なのだ。心に棘をしまい込み外ずらだけ綺麗でいるより、その袋を裏返し、棘を突き出し、内面を綺麗に保つ方がずっと楽だ。今まで侮られることはあっても、内面まで逆立つことはなかった。


 私はチロリとその娘の靴下に目をやった。それは、純白のぴったりとした靴下だった。当然、正しい着こなしで装着されている。全然、羨ましくなかった。靴下の内側に潜む、規律に抑圧された化粧への羨望が、ごわごわと感じられた。


 私は幼稚なクマの絵柄の靴下を裏返して履く。埃でクマの顔が汚れるのが嫌で嫌でしかたがないから。わざと選んでそうする。でも、あべこべになった、裏側がどんどん汚れていく。でも、肝心なクマの顔は綺麗なまま。それが、靴下を裏返しに履くということ。

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靴下を裏返しに履くということ 高黄森哉 @kamikawa2001

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