沼女と沼らせ男

山岡咲美

沼女と沼らせ男

「沼田は笑うとかわいいよな」



 私はその言葉を支えに生きてきた。


 中学一年生、一月の終わりの事だ。


 私にそう言った彼は夕日のなかこちらを見ることもなくそう言った。


 その時私はいじめを受けていて、冷たいなか沼にでも落ちたようなビショ濡れの真っ黒なブレザー姿で駅のホームに立ち、ただ電車を待っていた……。


 顔を隠すような長い前髪と、切ることも忘れた腰までの黒髪、私は本名の沼田稲穂ぬまたいなほからとって沼女と呼ばれていた。


 私は生きる事に疲れていた。



「沼田は笑うとかわいいよな」



 その日私は久しぶりに鏡を見た。


 半分髪に隠れた顔で笑った。



『かわいい、かな?』



 おでこに手を当てるように前髪を上げてみる。



『希望ケ丘くん、私はかわいい?』



 希望ケ丘颯太きぼうがおかふうたくん、私は彼の沼にはまったのだ。



***



「ささーーーー! 男子共集まりなさーーーーーーい! チョコ配るよチョコーーーーーー!!」


 中学二年のバレンタイン、教室の私は別人だった。


 あの日、「沼田は笑うとかわいいよな」って言われたあの日、私は工作用のハサミで前髪をバッサリ切った。


「ハイハーーイ ならんでならんでーー! お徳用サイズ友チョコ専用トリュフチョコ個包装だよーーーー!!」


「はい、田村くん」


「はい、鈴木くん」


「はい、林くん」


「はい、西村くん」


「はい、山本くん」


「はいはーい、宮野くん」


 私は楽しそうにチョコを配る、男子は私を変な女と思ってるかも知れないけど、私はそれでいい。


「あっ! 希望ケ丘くん!! 希望ケ丘くんももらって」


 私は自分の机の上に置いていた、ハートの包装紙で包みピンクのリボンでラッピングした箱を慌てて、それでも丁寧に持って、希望ケ丘くんの前に嬉しそうに駆けていく。


「はい、希望ケ丘くん、手作りガトーショコラだよ♡」


 回りの男子がその手の中のトリュフチョコと見比べる……。


 これが私の気持ち。



 さあこい! 希望ケ丘くん!!



 私は嬉しそうに希望ケ丘くんの返事を待つ。



「あ、ありがとう沼田……友チョコ……」



『絶対友チョコじゃねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!』


 私は男子達の心の叫びが教室にこだましたと感じた。


 う、嘘でしょ希望ケ丘くん、これでもダメなの? 


 私は去年、お皿の上にそのままラップして渡してしまったチョコチップクッキーの失敗をふまえ、今年は明らかに頑張って作った感溢れるプレゼント感満載のガトーショコラを渡したのに!!


 ナゼ通じない?! 私の愛!!


 今日は二月十四日、バレンタインデーなのよ、女子チョコよ! 女子チョコ!!


 愛の告白以外ないじゃない!!


 分かりやすく他の男子とは違う感もかもし出したのに!!


「沼田は笑うとかわいいよな」とか言って私をその気にさせたのに!


ナゼ!!


 あの言葉は私の生きる希望なのに愛なのに!!



***



「沼田、ごめん」


 三年生の二月十四日、私は朝の教室でそう言われた。


「なんで?」


「いや、ホールケーキはないだろ」


「チョコケーキよ?」


「沼田、チョコがどうかの問題じゃなくて……」


「もしかして私かわいくない?」


「希望ケ丘くん、覚えてないかも知れないけど、希望ケ丘くんがあの日駅のホームで私を救ってくれたんだよ」


 私はうすうす気づいていた、もしかして私は同情されただけだったんじゃないか、あの言葉は今にもホームから線路に飛び降りそうだった私の為についた嘘だったんじゃないかって……。


「沼田、オレ……」


 クラスじゅうのみんなが私たちを見つめる。


 希望ケ丘くんも、みんな視線に気づいていたが言葉を続ける。


「沼田、オレ、前の沼田の方が好きだ! 暗くて前髪たらしてて、教室のすみの自分の机で小説とか漫画とか一人で書いてて、たまに流行りの本を読んでるフリをしてクラスのみんなに声かけてもらおうとしてたお前が好きだったんだ!!!!」



 ……流行りの本呼んでるの、フリってバレてた!!!!!!!!


 私は顔が真っ赤になった。


「ごめん沼田! お前が頑張ってるから言い出せなかった、ワガママなのは承知だ! 元に、元の暗い沼田に戻ってくれ!!!!」



***



 私はうつむきながらトボトボと歩く、顔を半分も前髪で隠して。


 高校一年の二月十四日、私駅のホームで希望ケ丘くんと待ち合わせた。


「これ……」


 私は彼の顔も見ないで制服のポケットでずっと握りしめてた、トリュフチョコを三つ彼の手のひらに渡した。


「ありがとう、沼田」


 彼は嬉しそうにその一つの包みを開けて口の中に頬張った。


「ちょっと溶けてるけど、ちょうどいいや、美味しいよ沼田」


「うん」


 私はそう言うと少し笑う。



「沼田は笑うとかわいいよな」



 彼はそう言って、私の頬にチョコ味のキスをしてくれた。



 二月十四日。


 これは沼る……。

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