煙草の残り香に想う

あばら🦴

煙草の残り香に想う

 煙草を口から離して煙を吐く。マンションの一室に煙が広がった。

 灰色に淀み空中に留まる雨雲のようなそれはまるで掴めそうなほどのろかったが、いざ触れようと手を伸ばせば散っていって、残ったのは好きでもない香りだけ。

 彼に似ているな、と感じながら机に置かれた灰皿に煙草を押し付けた。


 彼とは運命で結ばれている。少なくとも私の目にはそう見えた。

 私のよく行く本屋の店員だった彼。彼がレジで客を待っている時に読んでいた本が私の好みだった。どれもこれも全て。彼が読む中で私が知っている本は私の好みだったし、知らない本は読むと私の好みに刺さった。

 ある日、私は意を決して彼の連絡先を聞いた。その時はまだ同じ好みを持つ友達としての付き合いで止まるのだろうと思っていた。

 だけど次第に、会う度に私は彼に惹かれていった。

 彼の前ではどんな自分だってさらけ出せた。受け入れてくれるから。


 彼だってきっと惹かれていると、そう思ったのが間違いだった。

 でも彼にも責任の一端はあるんじゃないのかな。

 彼は本当になんでも受け入れてくれたんだ。初めてだった。私が私として振る舞える楽園、私が私として存在していい世界、私が私であることに安心できる天国。それが彼の隣だった。

 こんなに受け入れてくれるということは、彼も私のことが好きなんじゃないかって思っても仕方ないというものだろう。

 だけれど彼は私の前から消えていった。


 あれらの言葉はなんだったのだろうか。

 私を酔わせて、その気にさせて、させるだけさせて、その先は無い。思い起こせば彼はいつも結婚や同棲の話題は避けていた。

 どうして……って見つけられない答えを前に被害者ぶって悲しもうにも、二年間付き合っていたら薄々勘づいてしまうもの。

 彼は本気じゃなかった。とっくのとうに気付いていたはず。

 しかし私はその事実を飲めなかった。彼という沼に唇まで浸かった後の私では、その沼から抜け出すことは出来なかった。彼とずっと一緒にいる未来を信じていたかった。


 ……私のことが嫌だったんだろう?


 私の本性は下劣なのは知っていたしそのうえで私だって努力はしてた。彼に好かれるように。彼から離れないように。

 煙草の煙が嫌いだって言うから私は珍しく我慢をし続けてきたんだ。彼がどこかへ行ってしまわないように。

 それなのに結局、煙草を辞めても離れるじゃないか。

 哀れみだか気まぐれだか知らないけど私をその気にさせないでよ。どうせいなくなるんなら、最初からフラれていればもっと楽だった。


 箱からまた一本取り出し、久しぶりに確かめる煙草の味。不健康なものを吸い込んでいるのに爽快感が胸いっぱいに広がる。

 二年間も我慢してきた味だ。その分うまい。だけど、彼が私と一生を遂げるつもりだったら今後一生感じなかったはずの味なんだよな。


 今吐き出した煙は消え去っていく思い出のように見えて、ずっと眺めていたくて手を伸ばそうとはしなかった。だけどそれでも時間と共に薄く大気の中に滲んでいく。きっと残るのは好きでもない香りだけなのだろう。

 その思い出の中で、ひたすらに優しい彼と、自分勝手でわがままな私が見える。


「……変わるつもりだったんだよ」


 煙に届かないほどの声で泣いた。

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