谷を歩いてしまった!

九月ソナタ

一話完結



人生は旅に似ているし、旅も人生に似ているのは、

両方とも、山あり、谷ありだからでしょう。

今日はその谷、ホンモノの谷を歩いてしまった話です。


長いこと、私は歩かない人でした。

子供の頃は弱かったし、大人になってからも歩くと疲れるから歩くのは極力避けていた、というか、できませんでした。

それが歩くようになったのは、突然夫が逝って、赴任先からひとりでアメリカに戻り、何を見ても空しく、眠りとは何かを忘れてしまった頃。長い夜の後に、白い朝が来て、長い一日が始まるのですが、私はとにかく人々のいるところへ、一刻も早く行きたかったのです。

誰かと話したいわけではない。自分のことは、語りたくない。ただ人間のいるところへ行きたいと思いました。でも、図書館も、デパートも、ファーマーズマーケットも開くのは九時か十時。もっと早く人が集まる場所はないかと探してみました。


ひとつ見つかりました。それがシニアのハイキングクラブのビギナーの部で、七時に公園に集合です。私はシニアではなかったのですが、尋ねてみると、足が動くなら、誰でもオッケー。

私がいくら歩けないといっても相手がシニアなら、大丈夫でしょうと思って参加したところ、歩くと汗だくだくのビリで、アメリカの肉を食べて育ったシニアはすごいと思ったのでした。

でも、人がいるところに行きたい一心で、二年間歩いているうちに、奇跡が起きて、トップで歩けるようになったのでした。私は小学校時代から、ずうっと運動に自信がなかったのですが、もしかして、やればできたのかな。

歩けるようになった私は、まるで初めて自転車に乗れた子供のように、歩きたくて仕方がありません。

その時、そうだ、京都へ行ってみようと思いついたのでした。



どうせ行くなら京都の桜を見て回りたいと思い、札幌の妹のアドバイスで、超混んでいる時を避けて、桜の終りの頃にホテルを予約しました。心配性の妹は、姉のことが放っておけず、週末に加わってくれることになりました。それまでの二日は、ひとり。


私のひとり旅は順調。日本は治安がいいから、どこでも歩けます。町の所々には老舗の食べ物屋はあるし、コンビニはあるし、美術館もあるしね。るんるん。

桜見物は妹が来たら一緒にと思って、清水寺の夜桜見学の切符や、妙心寺退蔵院の精進料理も予約してあります。


その日はまだひとり、そうだ、大原三千院までバスで行こうと思いました。それが突如、「比叡山」に行ってみようかというアイデアが浮かびんだのは、行く途中、バスの中から、「叡山ロープウェイ」という看板が見えたからです。


ロープウェイで山頂まで行き、京都の町や、もしかしたら琵琶湖も見えるかもしれないと思ったのでした。

私は修学旅行で比叡山か高野山に行ったのですが、実はどちらに行ったのか思い出せないポンコツなので、それを確かめてみたい、そんな気持ちもありました。


バス停の受付けで聞くと、「八瀬(やせ)駅」で下車すればいいということでした。

バスの乗客は私のほかにはおじさんがひとり。その人は物知りらしく、私が八瀬まで行くと知ると、天皇が亡くなると、その柩を運ぶのはこの八瀬の人々と決まっているのだと言いました。

「どうして八瀬の人々が」

「理由はわからない」


矢瀬駅でバスを降りると、叡山ケーブルカーの駅はすぐ。

ケーブルカーとロープウェイで山頂まで行くそうです。帰りは別のケーブルカーもあるし、京都駅まで行くバスも出ているというので、まずは片道切符を買い、上に行ってから、ケーブルカーにするか、バスにするか決めようと思いました。


ロープウェイで頂上に着くと、周囲には金網が張られていて、見る場所がありません。そばにガーデンミュージアムというのがあるそうですが、閉まっていました。

これでは何のためにロープウェイで上頂まで来たのだ。道理で、誰も乗っていかなったはず。


下に歩いていくと、比叡山らしい風景が出てきました。いいね、いいね。

駐車場の小屋みたいな巡拝受付けがあり、そこで券を買って、地図をもらいました。

国宝の根本中堂(こんぽんちゅうどう)、総本堂を見学してわかったことは、私はここは初めてで、修学旅行で行ったのはここではない。あれは高野山だったとわかりました。あの山にはたくさんのお墓があったもの。

ここのお寺はどれも無表情というか、簡単には心を許してくれない厳粛な感じ。修行の山だからでしょうか。


地図を見ると、この文殊堂の階段を上がり、大きな道を歩いていけば法然堂に出て、

そこから坂本に行けるみたい。地図の下のに、小さく「至 坂本」と書いてあったので、歩きたいという気持ちが湧いてきました。

「この道を歩いていくと、坂本まで、行けますか」

 中堂の受付にいたお坊さんに尋ねてみました。

「行けます」

「どのくらいかかりますか」

「四十分くらい」

その時、お坊さんがふふって笑った気がしたように思ったのですが。

でも、四十分くらいの下りなら、全然問題ないわ。


それで歩き出したのですが、法然堂を過ぎたら、山道になり、もしかしたら間違ったかなとは足を止めました。でも、ひとつだけ見つけた石の標識に「坂本」と書かれていたのと、これ以外の道がなかったので歩き続けました。


ところが、その後が、ものすごい。

ここは川底か、それとも、道かという状態です。

道を間違えたのかしら。戻ったほうがいいのかしら、という問答を何度も繰り返し、ねうちょっとだけ、もうちょっとだけ。

ようやく荒れた道を抜けたと思ったらほっとしたのはわがい。次にもっとすごい道が現れて、それが五回くらい繰り返されて。

もういいかげんでやめて、と叫びたい心境。


もし雨でも降って、水が流れてきたら、どこに逃げればよいのか。

カリフォルニアならめったに雨は降らないから、私は傘をもたない暮らしに慣れてしまっていているが、京都って、急に雨が降ったりするところ?


でも、時は二時過ぎ、まだ明るい。水はもっている。私は元気でお腹も痛くない。

これでも、ローカルのシニアグルーブとはいえ、ハイキングクラブのエースなので、歩き続けました。

でも、ここのひとり歩きってまずくない?

私、もしかして、危機の最中なんじゃない?、という気持ちに、時々、襲われます。


今まで、あんなことがあったとさまざまな過去の危機を振り返ります。どれも、うまく通り抜けたではないか。それに、ここは安全な日本だ。恐れることなどない、とひとりの私が言います。

それはあったけど、でも、知らない山の中ではなかった、ともうひとりの私。


冷静になろう。これって、お坊さんが修行するための道なのかしら。

などと思いながら、下っていくと、岩の上に鉄塔が。

その岩をよじ登って、鉄塔の横を通っていかねばならないのです。

おかしいな。道を間違えたのかな。でも、ほかに選択肢は見つかりません。


鉄塔の横に、「熊や猿を見かけた人はここに連絡を」と電話番号が書いてありました。

ひやっ、熊ですか。京都に熊がいるのですか。

携帯はもっていないけれど、もし電話をかけたら、すぐに来てくれるのですか。

でも、警察が到着した頃には……


京都見物に来て、熊に襲われたくはない。

私がここにいることは、誰も知らない。

もし熊に食われたら、私はこの世から消える。

バスの中で、「八瀬」の話をしたおじさんの口調がよみがえりました。

どうして、彼は私に「棺を運ぶ」話なんかしたのだろう。あれって、何かの暗示?


明日、妹が到着したら、姉がホテルには荷物を置いたまま、忽然と姿を消していることに気づき、「だから、ひとりはだめだって言ったのに」と狼狽し、青い顔をして警察に駆けつける。

「京都で失踪事件はないです。そのうちに帰ってきますよ」と警官。

「夜桜見学の券だって買ってあるし、妙心寺の精進料理だって予約してあるんですから、帰ってこないなんて変です。これ、高いんですから」

「どんな姉さんでしたか。交友関係は?」と警官が聞く。

そんなことを想像して、心が痛みました。足に自信を持ち過ぎた。おてんば、すべきではなかったなぁ。妹に、これ以上、迷惑はかけたくないのに。


しかし、今はもう山の上までは戻れる気力はありません。先に行くしかないのです。

鉄塔の後、わりとすぐに (今、考えると九割下りたあたりで)後ろからバックパックの三十代くらいの男性がやってくるのが見えました。人だ。うれしい。


私は叫びました。

「ここは川ですか、道ですか」


「道です」

と彼は答えました。


はい。やっぱり、ここは道でした。

その方は、この先に網戸があるからそれをあければ、下に行く階段があることを教えてくれました。

網戸をあけて外に出たら、彼はずうっと下に。はやっ。

あのお兄さんの足なら、上から四十分は可能だわ。

私は途中、不安で立ち止まったりしたこともあり、二時間近くかかってしまったけれど。


山を下りると、日吉大社がありました。

京都の北東の鬼門を守るための神社だということですが、延暦寺もその目的で造営されたのですよね。お寺を神社が守るって、どういうことなのでしょうか。


お寺がたくさんある通りを歩いて、京阪電車の坂本駅に着きました。

ここは大津市なのだとわかりました。

三千院も、大原に移る前にはこの大津にあったと説明された気がします。

京阪電車で、浜大津で乗り換えて、京都へ。同じ切符で、地下鉄にも乗り継ぎができることを知りました。


ホテルに戻る前に、コンビニで飲み物と、無事帰還祝いに大好物のモンブランを買いました。

テーブルに食べ物を並べて、私がどんな道を歩いたのかを調べてみました。

あれは「東坂本坂」という道で、ハイキングによく使われるそう。

ある人のサイトでは、「登山家にしたら、初級の道」と書いてありました。

あれが初級ですか。愕然。


でも、考えてみたら、私には知識がなかったからびびってしまったけれど、もっと道のことを知っていて、ハイキングシューズをはき、杖でももっていたら、四十分は無理でも、一時間くらいで下りて来れたかなとは思います。


というわけで、なんかひとり騒ぎの日でしたが、忘れられない一日になりました。

とにかく、比叡山のてっぺんから歩いて下りたなんて、自分的にはすごい快挙。


でも、道をよく知っている人が私の姿を見ていたら、

「そんなに焦らなくてもよい。大丈夫だから、楽しみなさい」

と言ったことでしょう。


これって、若い時に似ていません?

知識や体験不足で、解決法がわからないから、とても不安で、悩みが多い。

それが経験を積むと、悩んでも始まらないよ。明日はどうにかなるかもしれない。最悪が最善に変わることもあるから、なんて思うようになる。

ても、わかっていても、焦ってしまう事件は起きるけれどね。

それだから、生きているのがおもしろいと言えるのかもしれないけれど、真ん中にいた時は、おもしろがってはいらない。


それから、熊のことですが、ある方の話では、日本の山にはよく「熊注意」の立て札があるので、いつも小さなカウベル(牛鈴)を持っていくそうです。

そういえば、白洲正子さんが随筆で、「鈴」をもって巡礼をされたと書かれていました。もちろん白洲さんのことですから、鈴といっても推古時代のもので、たしか、法隆寺と関係があったはず。

白洲さんが歩いた時、夜の山道のお伴はその鈴だけ。

鈴の音を聞きながら、

「歴史は私達の中にある。いにしえの人達はみんな自分の中に生きている。そう自覚することが生きているということ」というようなことを書かれていました。

「いにしえの人達は、みんな自分の中に生きている」

たしかに、そうですね。

比叡の谷では、私には、そんなことを考える余裕はなかったですが。


今、私はあの谷を、もう一度歩いてみたい。いにしえ人と交流をしながら、歩いてみたい。

今度行く時には、杖と、鈴をもっていこうと思っています。


   

               了





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

谷を歩いてしまった! 九月ソナタ @sepstar

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画