第34話

「おめでとうございます。一ヶ月も経たずにの成績予測が回復するのは、大変珍しいことです。皆さんの努力の賜物たまものです」

「はい、ありがとうございました」

 月曜の放課後、四回目の生徒指導室で、冬野は笑顔とともに頭を下げた。入学式の日に見たような、満面の笑みだった。

 そう、成績予測はリストを渡した夜には即座に大幅上昇し、矯正きょうせいプランの終了が告げられたのだ。少なくとも数日はかかると思っていたから、正直驚いた。

 冬野が行動を変える時間もなかったから、リストを渡したこと自体がトリガーになったんだろう。もしかすると、部長が作成を手伝ったことも関係しているのかもしれない。今までにもたくさんの人を助けてきたんだろうし。

 ついでに、というとあれだが、俺までプランを抜けていた。こっちに関してはまるで理由が不明で、ちょっと気持ち悪い。女子二人には怒られそうだが、もう少しプランについて分析したかったな。

 生徒指導室を出たところで、冬野が言った。

「氷室君、今まで本当にありがとう。それから、ごめんね。いっぱい迷惑かけちゃった」

「いや、気にしてないから」

 俺はつとめて軽い調子で言った。気にしていないというのはさすがに嘘だとしても、責めるつもりも無かった。大変な思いをしたのは確かだが、経験値を稼げた気はするし、それに、まあ、いいこともあった。

 なお、いいことというのは冬野とのあれこれではない。ああいうのは本当にもう結構だ。プラスがあったことは認めざるを得ないが、マイナスの方がはるかに大きい。

 なんてフラグを立てたのがまずかったのか、冬野が急に距離を詰めてきた。俺は顔が引きつるのを感じた。

「ううん、ひどいことしたなって反省してるの」

「いやほんとにいいから……」

「相手の意思を無視してあんなこと、最低だよね」

 うるんだ瞳で俺を見つめる。相変わらず話を聞かない。離れて欲しいという意思を尊重してくれ……。

「だから、お詫びとお礼がしたいんだ」

 どんな? いや聞きたくない。離れてくれ。

「今度の週末にね……」

 頬を染めないで。

「ダブルデート、しない? 私も、火口君と付き合うことにしたんだ」

 ……ん? 何か予想外の単語が聞こえた気がする。ダブルデート?

 と言うか、『私も』って何だ『私も』って……いや、本当は、何を指しているのかは分かっている。ただ、今はそのことについてちょっと考えたくない。

「秋月さんにも、迷惑かけちゃったし……」

 その時、不意打ちでポケットのスマホが震えた。俺は反射的に一歩引いた。少し距離が開く。チャンスだ。

「悪い、用事あるから」

 俺はそう言うと、返事も聞かずに早足で逃げ出した。

 だいたい予想はついていたが、一応スマホを確認する。やっぱり秋月からで、内容も思った通り『音楽室に来て』という短いものだ。さてはこいつも普段メッセージ送る相手いないな? 春日井かすがいとは電話してるんだろうか。

 俺は小さく深呼吸した。秋月に会うのは、ちょっと、いやかなり気まずい。週末のことをいろいろと思い出してしまう。

 今から考えると、冬野とのカラオケ以降、俺は一種の催眠トランス状態にあったんだと思う。心労やら何やらが重なり、土日は寝不足もあった。

 ぐっすり眠った今日の朝には、全部妄想だったんじゃないかと一瞬疑ったほどだ。さすがにライフログを見返すほど錯乱さくらんしてはいない。

 ここで問題なのは、秋月も同様だったのではという懸念けねんだ。睡眠時間もだし、トラウマを話して心が弱っていた可能性もある。少なくとも、通常の状態ではなかった。

 さらなる問題として、いやこれが本当に問題なのだが――秋月は、週末のことを無かったことにしたいんじゃないか。ああ、考えただけで叫びながら床を転がりたくなる……。自分の言動を思い出さないようにするのに、大変な努力を要する状態だ。

 何故こんな恐ろしい推測をせざる得ないかと言うと、朝教室で出くわした時、いつもの無表情で、ごく普通に挨拶あいさつされたからだ。その後も特に絡んでくることはなかった。俺の方は激しく挙動不審だったのに……。

 やっぱりあれだな、何もかも俺の勘違いだったんじゃないだろうか。そう思っておこう。心を強く持たないと、次の秋月の態度次第では正気度が尽きる。

 俺が覚悟を決めて廊下を歩いていると、

「なんだ、とうとう告白でもすんのか?」

 風間かざまが追いついてきて、茶化すように言った。

「いいや、逆だ」

「逆?」

 俺の真剣な台詞セリフに、不思議そうにしている。ちょっと勝ったような気が……いや、虚しいこと考えるのはめよう。

「それより、火口ひぐちに声かけてくれたんだよな。助かったよ」

「ああ、効果あったろ?」

 にやりと笑う。それはもう、かなりあったんじゃないだろうか。俺の今までの全ての苦労と、効果の大きさでは大差ないのではと言いたくなるぐらいだ。いや、言いたくはない。

 冬野が話を聞いてくれたのもそうだし、二股やらの誤解も解けた。誤解のことで火口にはずいぶん謝られたが、その分を風間への感謝に向けてくれという気分だった。

 しかしほんと、風間には世話になりっぱなしだ。早めに返さないと後が怖い。

 ちなみに週末のことは、恥を忍んで昼間に話した。本当に本当に話したくなかったのだが、黙っているには恩が大きすぎる。さすがに一部はぼかしたが……。

「なあ」

 こんなこと言うのは失礼かとは思いつつも、俺は思わず聞いてしまった。

「俺を助けてくれるのに、本当に理由はないのか? 友達なら当たり前、なんて範囲を超えてるだろ。それぐらいは俺にだって分かる」

「ふむ……」

 風間は珍しく言い淀んでいた。しばしの後、口を開いた。

「そうだな、理由はある。お前の効率主義の、行く末を見たいからだ」

「何だよ行く末って……。俺が風間と正反対だから、気になるのか?」

 風間ははとてもじゃないが効率的に生きてるとは思えない。じゃなきゃ二股かけて女の子を泣かせたりはしないし、勉強もせずに赤点ギリギリを取ったりもしないだろう。これは決して悪いわけではなく、そういう生き方なのだ。

 と、思っていたのだが、

「いいや、違うね。俺と同じだからだ」

「同じ?」

「正確に言えば、昔の俺と同じ、だな。もうその道は諦めちまったが」

 俺はぽかんとした。え、そうだったのか? 確かに風間は俺が共感できるようなことも言うが、それは地頭がいいから話を合わせているだけだと思っていた。

「どうして諦めたんだ?」

「ちょっとは考えてみろよ」

 風間は肩をすくめた。何だろう、諦めた結果今みたいになったんだよな。今みたいっていうのは、つまり……。

「……まさか、女の子と遊ぶのに夢中になって、とか……」

「分かってんじゃねえか。あれは駄目だな、効率なんて関係なくなる。ヤりたいもんはヤりたいんだから仕方ねえよなあ?」

 おい、発音おかしくないか。

「お前はどうなるのかと思ってたが……」

 風間はにやりとして言った。

「ま、同じ道を辿たどる運命だったのかもしれねえな」

「俺は二股かけたりしないぞ」

「分かってるよ。だがそりゃあ、が違うだけじゃねえのか?」

 数が違う。つまり、風間は複数の女の子に執心してるが、俺は、たった一人の……。

「もしかすると俺は、お前がこっちにちてんのを楽しみにしてんのかもな?」

「やめてくれよ……」

 考えたくない。既に心を乱されまくってるのに……。

「今から何するつもりなのかは知らんが、空回りすんなよ」

 勝手なことを言うと、風間は反論する間もなく去っていった。言われなくても分かってるわ。そのために気合いを入れてるんだから。

 俺は音楽室に着くと、迷わず扉を開けた。秋月はピアノの前に座ってはいたが、何やらスマホをいじっていた。

「何か用か?」

「ええ。聞きたいことがあって」

 ちらりと顔を上げて、再び手元に視線を落とす。うん、素っ気ない対応だ。やっぱり週末のあれこれは忘れろってことだな。

「冬野さんは?」

「全部片付いた」

「そう。おめでとう」

 簡素なねぎらいの言葉だったが、俺はずいぶんむくわれたような気がした。

「そう言えば、俺も矯正プランも抜けたんだ。理由は分からないが」

 秋月が俺を見た。

「冬野さんと同時に?」

「そうだな、そうなるな」

 ふむ、同時ってのが重要なのかな。素直に考えると、冬野の問題が解決したのが原因ってことだが……。

「……もしかして俺、冬野の問題に巻き込まれる運命だったのか?」

 しかも、勉強が手に付かなくなるぐらいに激しく。もう否定されたからいいが、嫌な未来予想だなあ。

「あたしの問題もかもね」

「あー……」

 言われてみれば、秋月がプランから抜ける時に、俺の成績予測もは改善したのだ。同時に巻き込まれるはずだったとしたら辻褄つじつまが合う。

「何でそんなことになる予定だったんだ……」

「あなたはお人好しだから」

「いや、そんなことは」

「いいえ、お人好し。あたしを助けてくれた」

 わずかに口元を緩ませる秋月に見とれていると、

「それに、冬野さんも助けた」

 急にしらっとした視線を向けられ、俺はうろたえた。な、何だよ……上げて落とすなよ……。

 その時、ふと思いついてしまった。

 AIによる矯正プランは、俺が二人を助けることまで想定していたんだろうか。俺が秋月に……その、興味をひかれることや、追い詰められた冬野が、俺に手伝いを承諾させることまで。

 それはある意味、恐ろしい予測だった。AIが全てを把握したとき、いったい何が起るんだろう。人間関係も物理現象だ、と言った部長の顔が思い浮かぶ。

 考えても仕方ないか。俺は首を振りながら言った。

「聞きたかったのは冬野のことか?」

「いえ」

 秋月は腰を上げると、すっと近づいてきた。俺は思わず距離を取った。こいつすぐ距離感バグるからな……気を付けないと……。

 若干じゃっかん眉を寄せながら、秋月はスマホの画面を見せてきた。

「今日時間ある? ここに行きたい」

 映っていたのは、かわいらしい服屋だった。と言っても、以前に行ったあそこほどではない。普段使いできそうな程度だ。

 ええとこれは、一緒に行こうということだよな。さすがの俺でもそこまでは分かる。ただ目的というか、意図ニュアンスを理解できているかと言われると自信がない。

 などと思って黙り込んでいると、

「また余計なこと考えてない?」

「うっ、それは……」

 じっとりとした目で見られてしまった。仕方ないだろ、こっちは人付き合い初心者なんだよ……。

 ええと、前にも買い物に付き合って欲しいと言われたな。似合うと言われれば自信がつくからって。ということは、つまり……そうだ!

「春日井さんも誘ってみないか? そろそろ趣味を見せてもいいんじゃないか」

 たぶんまだ教えてないんだろう。既に趣味を知ってる俺が一緒にいれば、言いづらいのも軽減されるに違いない。どうだ、これが正解だろう!

 すると秋月は、頷くでもなく、怒り出すでもなく、深くため息をついた。まるで、小さな子供がまた同じ失敗をしているのを、呆れて見ているかのように……。

「どうしてそうなるわけ。あたしの態度が原因? 週末のことは無かったことにしたいとでも思った?」

「本人の前で思考を当てようとするなよ……」

 だいたい合ってるけどさ……。しかし、そう言うってことは不正解なのか……。

 秋月はすぐに考えるのに飽きたようで、緩く首を振った。

「あのね」

 再び距離を詰めてきた。今度は逃げる暇はなかった。

「あたしはいつでもべたべたしたいわけじゃないの。そういう気分になった時だけ」

「お、おう……?」

 そうか。言っていることはおおむね理解した。でもなんだ、そこから読み取るべき重要な情報がある気が……。

「まだ分からないなら行動で示しましょうか? 冬野さんみたいに」

「いやそれ本気で怖いからやめろよ!?」

 トラウマを掘り起こさないでくれ。間近に迫った無表情の、いやちょっと面白がるような表情の秋月に、俺は顔を引きつらせた。

「行きましょう」

 手を掴まれ、俺は引っ張られていった。あれ、返事してないのに行くことになってるぞ……おかしい……。

 と言うか、待て、これって手を繋いでないか? いや引っ張られてるだけだから違うのか? え?

 頭の中で浮かんだ言葉が、まとまらないまま霧散していく。急に何も喋れなくなって、無様ぶざまに口を開け閉めする。

 混乱の中で、俺は改めて人付き合いの難しさを実感していた。

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