第33話

 秋月は、日が変わる前にはちゃんと帰ってくれた。いや、それでも十分遅い気がするが。いろいろあって正常な感覚がぶち壊されている。

 重要人物リスト作りは、金曜のうちには全く終わらなかった。せいぜいその準備ぐらいだ。やっぱり部長のアドバイスが必要そうなので、聞きたいことだけまとめておいた。内容については、深夜に秋月と電話して相談した。

 土曜の朝は、秋月に起こされた。モーニングコールではなく、直接やって来たのだ。寝起きで会うのはためらったが、部屋の前で待ってもらうのもあんまりなので、仕方なく中に通した。

 身支度をしているうちに、秋月は朝食を作ってくれていた。なお、今日は昨日ほどラフな格好ではなく、少しがっかり……じゃなくてほっとした。

 しかし、俺ですら睡眠不足気味なのに、秋月はいったいいつ寝ていつ起きたんだろう。身支度だって、俺の何倍もかかるだろうに。元気だな……。

 ハムとチーズの入ったスクランブルエッグは大変美味だった。簡単だがサラダと、それからデザートにフルーツまで出て、俺はちょっと感動した。朝にまともなものを食べたのは、高校に入ってから初めてな気がする。

 腹ごなしを終え、作業を続ける。途中、部長からは適切な指示指導を(もちろん遠隔リモートで)もらえて、かなりはかどった。さすが、普段から生活記録ライフログデータを分析しているだけある。

 さすがに一日ずっとは集中力が持たなかったので、気分転換を兼ねて買い物に行ったり、少しだけゲームをした。いつだかやった銃を撃つゲームFPSだ。

 秋月は相変わらず上手くはない……と言うかぶっちゃけ下手だったが、今日はずいぶんと楽しんでいた。

 リストが完成したのは、日曜の昼を過ぎてからだった。俺は思わず後ろに倒れ込みながら、言った。

「終わったあ……」

 疲労がどっと押し寄せる。長時間集中していたのももちろんだが、期限が切られていたというのが予想以上にプレッシャーになっていたようだ。部活で同じようなことをやっても、適当に始めて飽きたらやめてたからなあ……。

 もし分析を仕事にすることになったら、こんな思いを毎回することになるんだろうか。ちょっと自信がない。いや、もちろん休日に仕事するようなブラック企業には行きたくないんだが。

「お疲れさま」

 秋月に優しい笑みで見下ろされ、俺はどきりとした。「おう、そっちもな……」ともごもご答える。

「と言うか、まだ終わってはないよな……」

「ええ。冬野ふゆのさんに受け取ってもらわないと」

 そうなのだ。リストを作るのは前提で、冬野を説得して人付き合いを減らしてもらうのが目的だ。そういう意味では、まだ半分しか終わってないとも言える。

「まずはどう説明するかだな」

「正直に全部話せば?」

「全部って……」

 正直にというなら、こうなる。冬野の成績が悪化するのは、人付き合いを広げすぎるからだ。部長からトラウマについて聞いた。これら二つに対処するために、このリストを作った。

「トラウマのことまで? また冬野の様子がおかしくなりそうなんだが……」

「たぶん、話しても大丈夫」

「そうか?」

 俺は首をひねったが、

「解決策が既にあると言えば、素直に話を聞いてくれるはず。問題を解決することが、きっと最優先だから」

「……確かにな」

 あそこまで必死になっていたのだ。多少動揺することを言われても、最後まで聞こうとするか。解決のためなら何だってするって感じだったからな……。

「なら後は、リストに従うだけでいいと信じてくれるかどうかだ」

 聞いてはくれるだろう。だが納得するかどうかは、また別問題だ。

「そうね」

 秋月は口元に手をやって考え込んでいた。さすがにすぐにいいアイデアは出ないようだ。

 全員と仲良くしなければならない、という冬野の強迫感は、相当根が深い。学校の生徒全員と関わろうとして、破滅するはずだったぐらいだ。虐められた経験が、よっぽどのトラウマだったんだろう。

「どう言えば納得するだろうな」

 ぽつりと漏らすと、秋月が何気ない調子で言った。

「あなたなら、効率がいいとでも言えば聞きそうね」

「いやそんなことは……」

 ないか? 怪しい。

「秋月だって、かわいい物で釣れば言うこと聞いてくれるんじゃないのか?」

 反撃のつもりで言ったのだが、秋月は小さく首をかしげた。

「あたしは、あなたの言うことなら何でも聞くけど?」

「なっ……か、からかうのはめろって……」

 俺がうろたえていると、

「試してみる?」

 何を試そうというのか、秋月は自らの胸元に手をやった。ボタンに指がかかる。

 金曜のことを思い出して、俺は顔が熱くなるのを感じた。大きく開いた胸元の、その奥に見えた……。

「ま、待て、降参だ! 勘弁してくれ!」

 俺が両手を上げて許しを請うと、秋月はくすりと笑って手を下ろしてくれた。こいつ絶対Sっあるよな……。

「馬鹿なこと言ってないで、真面目に考えよう……」

 疲れたようにため息をつくと、秋月はふと思いついたように言った。

「今までは、どう言って納得させていたの?」

「今までって?」

「冬野さんは、あなたの言うことを聞いて行動していたんでしょう。あたしと行った店に、一緒に行ったりね」

 その言葉には、少しだがとげが含まれている気がした。や、やっぱりちょっと怒ってたのかな……。

「あー、それは、冬野からやりたいと言い出したんだ」

「ふうん。でも、どうして?」

「どうしてって、秋月と同じことをやらせろと言われて……いや、その理由か」

 俺は冬野の言動を思い出そうとした。あれは確か……。

「秋月が上手くいったんだから、自分も同じことをやれば助かる。って信じてたみたいだな」

「それ」

「どれ?」

「だから、同じ説明をしましょう。つまり……」

 秋月が言ったのは、リストの有用性について、こう付け足そうということだった。

『自分たち以外にもライフログを分析して成績改善を助けている先輩がいて、その人に協力してもらった。リストに従って人付き合いを調整すれば上手くいく。同じように上手くいった人が今までにたくさんいる』

 正直、中身があるかと言われると微妙なところだ。俺だったら首をひねるだろう。だが確かに、冬野には効くかもしれない。

 その後も、どう話すかについて細かく相談した。秋月が出す案は、どう感情に訴えるかなんていう、本質的でない――俺にはそう思える――ものが多かった。

 だが実際は、そっちの方がよっぽど重要なんだろう。今やらなきゃいけないのは、リストの有用性を冬野に正しく理解してもらうことじゃない。とにかく、納得して使ってもらうことだ。

 話す内容を詰め、とうとう冬野に会いに行くことにした。というところで、ちょうど俺のスマホに着信があった。誰だろう。秋月ではないので、家族でなければ風間かざましかいない。

 ポケットから取り出すと、果たして正解は最後の選択肢だった。はて、何の用だろう。

「よお。そろそろリストはできたか?」

 いきなりそんなことを言われて、俺はしばし黙り込んでしまった。ええと、ちょっと待てよ。

「なんで知ってるんだ? 小夏こなつ先輩から聞いたのか?」

「ああ。何かあったらサポートしてやれと言われてな」

 そうなのか。話してるところは見たことないが、部長と風間って実は仲いいのか?

「冬野を説得するとこなんだろ。アドバイスしてやろうか?」

「いや、それはもう秋月と話し合った」

「ほう。どんなだ?」

 促され、俺はだいたいの内容を説明した。すると、

「なるほどな。それでいけんじゃねえか」

「そうか。風間が言うなら大丈夫そうだな」

 成功期待度がかなりアップした。対女性スキルでは、風間を上回る者はなかなかいないだろう。善悪は置いておくことにする。

 話はそれだけのようだった。礼を言って切ろうとした時、ふと思いついて言った。

「……もしかして風間、先輩の『仕事』を手伝ってたりする?」

 ライフログを分析して悩み相談をしているという、あれだ。よく考えれば、冬野の知り合いとして部長の名前を教えてくれた時も、妙なことを言っていた。ついでに相談もしろとかいう……。

「ああ、そうだぜ。説得したりすんのが俺の役目だ。お前が今からやろうとしてるみたいにな」

 あっさり首肯された。そ、そうだったのか。普段は誰がその役をやってるのかと思ったら……。

「ってまさか、生徒のライフログも見てるのか? 女子の情報に詳しいのは……」

 だったらさすがに職権(?)乱用だ。そう思ったが、違うようだった。

「いいや。それが目当てだったんだが、見せてくれねえんだよな」

 よかった、部長にも良心はあったようだ。俺に渡してくれたのは、悪用しないと判断してくれたんだろうか。

「役目をこなす上で、知ってしまう情報はあるがな。ま、それぐらいは役得だろ?」

 そ、そうだろうか。まあいいか……。

「それはともかく、先輩の仕事のこと知ってたなら、なんで早く教えてくれなかったんだ」

 校門近くで相談に乗ってもらった時に。文句を付ける立場でもないが、多少は言いたくなる。

「言ったらすぐに先輩のとこ行ったろ?」

「ああ」

「それで良かったのか?」

「いいに決まってるだろ。早く解決するに越したことは……」

「その場合、秋月と仲直りできたかは分かんねえぞ?」

 うっ、確かに。気まずいどころか、疎遠そえんになっていた可能性すらある。

「そういうことだ。ま、今後も仲良くしろよ」

 思わず秋月に目が行っているうちに、風間はさっさと切ってしまった。訝しげな視線を返されたが、俺はふるふると首を振った。

 仲直り云々うんぬんのことは省いて、風間と何を話したかを説明した。まあ、横で聞いていてだいたい分かっただろうけど。

「風間がいけると言うなら安心だ。冬野にはなしに行こう」

「そうね」

 秋月は若干じゃっかん不服そうだったが、とにかく頷いていた。やはり風間のことを嫌っているようだ。春日井かすがいに紹介する話、無かったことにしてもらって良かったな……。

 万全の準備を終え、とうとう冬野を呼び出した。場所は、学校近くのカフェだ。俺と秋月と、二人で行った。

 驚いたことに、待っていたのは一人ではなかった。火口ひぐちが一緒だったのだ。どういうことかと尋ねると、

一昨日おととい風間君に言われたんだ。冬野さんが落ち込んでいるから、なぐさめてあげてくれって……今までのことも、直接聞いたよ」

 いたわるような表情で、隣に目をやる。冬野は確かに落ち込んではいたが、金曜に比べればはるかに安定していた。話も聞いてくれない状態だったらどうしようと思っていたので、これはかなり助かった。

 ただ、今からする話は、冬野の過去に関することだ。他人に聞かせてもいいかと確認すると「火口君なら、いい」と言って、身を寄せていた。ずいぶん親密になったように見えた。

 俺は全てを話した。冬野は動揺してはいたが、秋月の予想通り静かに聞いていた。秋月が「大丈夫だから」「安心して」と口を挟んでくれたのと、火口が優しく肩を抱いていたのも効果があったのかもしれない。

 本当にリストに従うだけで上手くいくのか。やはりそこは引っかかったようだったが、例の殺し文句が効いた。他にも成功した人がたくさんいるという事実が、不安を払拭ふっしょくしたようだ。

 先輩とは誰なのかとか、同じように上手くいったとはどういう意味なのかとか、余計なことを聞いたりはしなかった。たぶん、興味がないんだろう。

 頑張ってリストなんて作らなくても、言葉一つでごまかせたんじゃないか。ちょっとそんなことも考えてしまったが、これも結果論なんだろう。もしセーブしてやり直せるなら試してみたいが、こっちは古き伝説にあるゲーム脳というやつだろうか。

 何にせよ、今度こそ俺の仕事は終わったようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る