全治二週間(個人及び種族差があります)
目々
早期回復には適切な処置が必要です
「やっぱりあそこで銃使わずにスパナ使ったのはさ、主人公の決意? つうか執着の顕れなんじゃねえかなって思うんだよ。兄を殺したもんで殺したやつを殺すのはさ、ベタだけど報復としてはバチッと釣り合うわけよ。目には目を歯には歯をスパナにはスパナを。取れてんのよバランスが痛えところでさ」
先程観た映画が随分気に入ったらしく、岩見先輩は滔々と感想とも解説とも独り言ともつかないうわごとを語り続けている。
「取れてんですか釣り合い」
「じゃなかったら銃持たせるだろ。相棒のハゲはちゃんと持ってたんだから。でも撃たせなかったし撃たなかった。わざわざ手汚して惨いことして、それでようようイーブンよ」
「そうなんですか」
俺がずっと適当な相槌しか打っていないことを咎めようともしないのは、そもそもが俺の反応などどうでもいいからだろう。
いつものように消去法的に選ばれた
店の天井、照明は無遠慮にフロアを照らしている。
そののっぺりとした白い光に照らされながら映画の感想をだらだらと語る先輩の目元は青々としたアザに彩られている。
先輩が怪我をしているのは別段珍しいことではない。
そもそも先輩は生活における計画性というものを根本的に所有していない。人との待ち合わせには時間通りに来た試しはなく、思い付きとその場の勢いで不用品と嗜好品──大量の古本や聞けるかどうかも分からないレコードに煙草など──を気軽に買いあさる。金銭感覚が死んでいる上に浪費癖持ち、おまけに人との待ち合わせに遅刻してまでパチンコを打っていることさえある。端的に言ってろくでなしだ。
そんなろくでなしが生活をぎりぎりで破綻させることなく、あまつさえ俺と映画を観に行ったりする余裕さえみせているのには理由がある。
パチンコ狂いで浪費癖があって遅刻癖まであるが、先輩は人魚だ。
純粋な人魚というわけではなく、母親がそうだというだけの
そんな曖昧な出自のくせに、日常においても時折人間離れして見える瞬間があるのが腹立たしい。
世界が丸ごと滅びた夜のような黒髪。縫いたての死装束のように白い膚。断末魔を呑み込んだ墓石の如く昏い黒の中に掃いたような緑の滲む双眸。
普段は安い飲み屋で顔を赤くして馬鹿笑いをしているかパチンコ屋で台を前に虚ろな目をしてハンドルを握っているような人間なのに、ふと正面から見るとその容貌は明らかに異種のそれなのだと知らしめるような整い方をしているのだ。
これに加えて人魚らしく歌はうっかり聞き惚れる程度に上手いし、些細な怪我なら瞬きをする間に消えてしまう。素行や言動はまったくろくでもないのに、先輩は正しく人魚なのだ。
この人魚であるが故に備わった再生能力が、先輩の享楽的かつ発作的な生活における生命線になっている。
先輩はそれこそ腕を取ろうが脚を捥ごうが時間さえおけば普段通りに再生してしまうような冗談じみた身体の持ち主である。それだけならただ怪我が治りやすいだけの生物として済んだだろうが、この世の中がもっとふざけているせいで、食肉提供バイトというものが存在しているのが先輩にとっての福音であり落とし穴でもあった。
食肉提供バイトとは再生能力の強い種族からその肉体を買い取り、各種用途に応じてレストランや加工業者に出荷するという極めて趣味が悪い商売だ。
異種族の異能と世間の悪趣味、両者の需要と供給が合致してしまった結果発生した商売で、印象の悪さとは裏腹に法的にはなんら後ろ暗いところはない。
売る者と買う者、互いに納得づくで売買契約は成立する。十分な再生能と文字通りの身を削る覚悟があるのなら、時給980円で虚無の笑顔を貼り付けてレジに立つより楽に大金を稼ぐことができる──悪趣味だが安全で、割のいいバイトなのだ。
先輩はこのバイトの常連であり、生活費に困ると手を出しては身体の一部と引き換えにあぶく銭を手に入れているのだ。
そんな生活を繰り返している先輩だからこそ、片腕や耳や指の数本がないのは見慣れる程度にはよくあることだった。
だからこそその面を青錆びのように侵食するアザの色合いに、俺はどうしようもなく苛立っているのだ。
手足がない方が重傷だというのはその通りだろう。付き合いのある人間の指が減ったり増えたりしていたら、間柄の深さにもよるがその理由をすぐさま問い詰めるのが自然ではある。
だが先輩の場合は、四肢の欠損くらいはすぐに再生してしまう──何より、そうした派手な欠損には明確な理由がある。
ただアザとなれば話は別だ。
金銭の関わらない苦痛を先輩が望んで受けるとは思えない。左の頬を殴られたら相手の足を払ってから地面に頭を叩きつけるくらいはやるだろう。
金になるならともかく、意味のない怪我をしたがるような趣味はないはずだ。
その先輩に個人的な理由で傷を負わせることができる相手がいる──その可能性が、俺の胸をざわつかせている。
親兄弟、あるいは親しい友人でもあれば、真正面から傷の理由を聞けただろう。
だが俺は単に大学のサークルで多少映画の趣味が合うというだけの後輩でしかなく、そんな個人的なことを直接聞けるほどの立ち位置にいないということをよく分かっている。分かり切ったことではあるが、迂闊な問いを投げて先輩の口から直々に自身の分類を宣告されるのは──例え分かり切った代物であっても──恐ろしい。
俺は黙ってコーヒーを啜る。熱と苦みだけの薄っぺらい味が喉に流れ込んで、胸がじりじりと煮えていく。
「でさあ、やっぱあのシーン。最後の車内のやりとりがさ、俺は最高だと思うわけよ。ハゲの台詞がさ、冒頭の主人公からの問いに対しての返答になってんの結果的に」
お前覚えてる? と先輩から唐突に投げられた問いに、俺はほぼ呆然としながら首を振る。先輩の長広舌をちっとも聞いていなかったせいもあるが、そもそも映画自体も上の空だったのだから答えられるわけがない。
先輩は気分を害した様子もなく、シェイクを音を立てて啜ってから続けた。
「具合悪かったりすんの、お前。なんか上の空じゃん。今日ずっと」
「いや……大丈夫ですよ。済みません。何かこう、気が散ってて」
俺の言い訳に先輩は興味のなさを隠すふりすらせずに視線を逸らし、机の端に置かれたスマホの画面を見ている。
途端、先輩がこちらに向き直り、両目が真っ直ぐに俺を捉える。
照明に閃くように、艶やかな虹彩の上を奥底の苔のように昏い緑色が過ってすぐに失せる。
俺がその異種の目に竦んでいるのを黙って見てから、先輩は口を開いた。
「……こないだ読んだ小説の話なんだけどさ、ヤンキー抗争もの。主人公の舎弟? みたいなやつが抗争中に逆ナンされてついてった女が彼氏持ちで、当然のようにボコされて道端に捨てられて、もう情けないしこんなことやってる自分が馬鹿らしくなってそのまま町を出ていくんだよ。逃げたんだよな、人生から」
「は」
「そんでこれはこないだ配信で見た映画の話なんだけどさ、あー、欲しくもなかったって分かり切って生まれちまった子供が、母親から何かと難癖つけて殴られんの。とっくに育って力も強くなってんのに、殴り返すって選択肢が取れないわけ。親子だから。情とか義理とか失望とか、あるから」
「あの、先輩」
「あとこれはこないだ見たドラマの話なんだけどさ、地元で高卒で就職して暮らしてたやつが──彼女に捨てられたり弟に死なれたり仕事しくじってクビ寸前になったりして、じゃあもういいやって地元を捨てて上京した古い友人のとこ行って一日遊んで楽しく飲んでから宿代わりに泊まる約束してた部屋に入り込んだ途端豹変して、ボコボコにしながら心中迫ったりすんの。もう誰でもいいから一緒に来てくれって」
先輩は口元だけをにんまりと笑みのように歪めた。
「全部フィクションの話だよ。俺の感想。分かるだろ」
細められた緑の目、研がれた鎌の刃のような目を見つめて俺は頷く。
フィクションだという建前で述べられた、それらしい幾つものシチュエーション。異性関係の葛藤、親子関係の陥穽、友人関係の腐爛。どれもこれもアザの残るような暴力沙汰がよく似合う。俺が先輩のアザについて葛藤していることに気づいて、それに対して『フィクションの話だ』とあからさまに示しておいて、それらしく察することができるような話を並べ立てたのだろう。
陳腐で使い古された手だが、だからこそ意図は明確に浮かび上がる。
つまるところ俺に対して本当のことを話す気はないという意思表示だ。
「……後輩に殴られたってのはないんですか」
「まだないな。そういう話も探してみるよ」
自己投影するつもりかよと先輩が笑う。応えるように曖昧な笑みを繕って、俺は自分の腕時計を盗み見る。針はそろそろ六時半を過ぎるころで、今から向かえばちょうど待ち時間なく飲めるだろう。
打ち身にアルコールは良くないんじゃないだろうかと今更ながら考える。食肉なら叩いてから酒に漬ければ柔らかくなる。ならば先輩の身体にも似たような効果があったりするのだろうか。下拵えとしては十分だろう。
そんなことを一瞬思い浮かべながら、当たり前のように口を閉ざす。とりあえずコーヒーを飲み残すのは嫌だなと思い当たり、俺は手元のカップから蓋を剥がした。
全治二週間(個人及び種族差があります) 目々 @meme2mason
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