鷲尾小鳩は言い出せない(後編)
私と要が廊下を歩いていると、前方でひばりが誰かと話しているのが見えた。
こちらからは相手の顔は見えないけれど、後ろ姿からどうやら男子と話しているというのは分かった。
明るく気さくな性格に加え、同じ学年に双子の弟がいて、弟を通して誰かと話すことも多いからか、ひばりは私たちのグループの中で一番男友達が多い。
見た感じ仲のいい友達という雰囲気だったけれど、隣の要はそうは思っていないようだった。
普段から演技をしているだけあって、あまり表情に出てはいないけれど、付き合いの長い私には、視線の鋭さと眉の動きから、要の不機嫌さが見て取れた。
「……ひばり、今の人は誰?」
ひばりが男子と別れた後、要が彼女に声をかける。
その声の低さから伺える感情は、ただの女友達に向けるには重いように見えた。
「ああ、今の? この間図書室で会った……」と、ひばりも律儀に答えてくれている。
二人に気付かれないように、私は一人頭を抱えた。
二年生に上がってから、要の様子に変化が起きた。
男子であることを隠している以上、要はいつものメンバーに対してもわずかに距離を置いていて、あまり踏み込んだことは言わないようにしていたはずだった。
それが今――要本人はおそらく無自覚だけれど――ひばりに対してだけ、妙に過保護になっているのだ。
しかも、相手が男子の時に対してだけである。
ひばりから聞いた少女漫画の知識を活用するなら、明らかに「独占欲」や「嫉妬」に分類される行動だ。
だから要の過保護がどんな感情に基づいているのかも、私は気付いているのだ。
――「恋」というのは、才能ある演者ですら狂わせてしまう代物らしい。
このことはまだ要や私の家族には伝えていない。
秘密の完遂に支障が出ると感じた時は要本人に助言しようとは思うけれど、恋愛は個人の勝手なので、できるなら言いたくないなと思う。
ただの友達だと納得した要の声色がわずかに上がっているように私は聞こえたが、当のひばりは気付いていないみたいだった。
その空気に耐えられず、尚も話し続ける二人に「先に行くね」と告げて私は駆け足で教室に戻っていく。
その途中で男子制服を着た誰かにぶつかり、慌てて謝ると、そこには同級生の七海優李さんがいた。
「鷲尾さん、ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
私の顔を見た七海さんが焦ったように手を差し出す。
男子である要はおろか、もしかしたら女子の私よりも小さいかもしれない手の平が視界に映った瞬間、要と過去に交わした会話が頭によぎる。
――ああ、そういえば。飛鷹の友達に七海さんって子がいるんだけどさ。あの子、男子のふりしているみたいだね。事情は知らないけど、気付いたから一応小鳩に共有しておくよ。
似た秘密を抱えた者同士のシンパシーがあったのか、スマートフォンを操作しながら要が何でもないことのように教えてくれたのを思い出す。
七海さんとは一年生の時に同じ授業を受けていたこともあったというのに、私は全くと言っていいほど気付かなかった。
しかも、同じように性別を偽っている人間が身近にいたというのに、である。
それは、七海さんの男子のフリが上手いというよりは、現実に性別を偽っている人間が要以外にいるわけがない、という先入観があったからのように思えた。
その証拠に、要に言われてからは七海さんがどう見ても女の子にしか見えなくなっていた。
要に言われるまで気付かなかった自分を棚に上げて、思い切り叫びたくなる。
――――どうして私の周りには、秘密を抱えた人が多いんだ!
七海さんに「大丈夫! こっちこそごめん!」と返してから速足で教室に入ると、私の姿を見た四人グループの最後の一人、舞鶴つぐみがこちらに駆け寄ってきた。
彼女の姿を何人かの男子が目で追っていた気がしたが、つぐみは気にせず私の元に来て「ねえ、小鳩」と口を開いた。
「どうしたの」と聞くと、つぐみはとても愛らしい顔で私に微笑む。
舞鶴つぐみは、グループの中で一番可愛いけれど男嫌いで有名な女子だった。
ぱっちりとした二重に、ウエーブのかかった色素の薄い髪を持つつぐみは、西洋人形のような可愛さがあった。
その可愛さから過去に誘拐されかけた経験のあるつぐみは、同じクラスの男子でさえ必要以上に話したがらず、会話が一分と持たない。
誘拐未遂の件はこの辺りではかなり有名な話のため、彼女が気になったとしても、彼女のことを思うなら声をかけてはいけない――というのが、男子たちでの暗黙の了解らしかった。
同性として一緒に過ごすには優しい子だけれど、男子には過去の経験からあまりいい感情を持っていない。
そのため、つぐみは要の秘密を一番知られてはいけない人間だった。
なんとなく身構えると、つぐみが不思議そうな顔をしたので慌てて表情を正す。
長いこと要の演技を見ていたというのに、私の演技の方はまだまだのようだった。
「小鳩、聞いてほしいことがあるんだ」
私の服の袖を少し引っ張り、つぐみは俯いて顔を赤くさせている。
「……私、要のことが好きなのかもしれない」
その言葉で、私は身体のバランスを崩して壁にぶつかりそうになった。
「や、やっぱり変だよね!?」と途端に泣きそうになったつぐみを慌ててなだめながら「どうしてそう思ったの?」と理由を尋ねてみる。
「要って、可愛いよりカッコいい系の友達でしょ? だから元々カッコいいなとは思ってたんだけど、最近それが大きくなっちゃって……。それに、もし要が男の人だとしてもなぜか不快に思わなかったの。つまりこれって、私が要を好きなんじゃないかなって思って……」
――多少男らしさを残しつつも、こういう女子もいるくらいのラインを目指した方が、演じる分にも楽だからね。
そのスタンスのせいで、女友達の一人が恋患いをしてしまうなんて、あの時の要は思いもしなかっただろう。
「友達にドキドキしちゃうなんて、私どうかしちゃったのかな……」
そう言いながら熱くなった頬を両手で抑えるつぐみは、事情を知らない人が見たら恋をしている普通の女の子だった。
そんな子に想われるなんて幸せ者だろう。
ただ、その相手が家の事情で女子の格好をしている男子でなければ、の話だけれど。
ややこしいことになってしまった、と私はつぐみに見えないよう頭を押さえた。
●〇●
「ねえ、来週の土曜日ってみんな暇?」
次の日の昼休み、要はそう言って私たち三人に視線を向ける。
私はあらかじめ要から聞いていたので知っていたけれど、初めて聞いた風を装い「どうしたの?」と尋ねた。
「実は、親戚の叔父さんから遊園地の券を貰ったんだ。ちょうど四人分あるから、都合が合えば四人で行きたいなと思って」
実のところ、その親戚の叔父さんというのは私の父なので当然顔は知っているのだけれど、知らないふりをして「へえ、その人太っ腹だねえ」と返す。
「私は用事ないからいいわよ」とオッケーサインをした私の方をちらりと見てから、要は二人の友達に視線を向ける。
「つぐみはどうかな?」と要はつぐみを見て首をかしげる。
要に見とれていたのか、呼ばれたつぐみは反応がワンテンポ遅れていた。
「……え、うん! 行こう!」
そう言って、つぐみがまた恋する乙女の表情を要に向けるが、当の要は気付いていないようだった。
「ひばりもいいよね?」
「ええ! 四人で遊ぶの久しぶりよね!」
つぐみの表情も要の視線も気付いていないひばりは、四人で出かけることに対してとても楽しそうだった。
――どうして、私以外全く気付いていないのだろうか。
そんな三人を見ながら、来週の土曜日かと私は気を引き締める。
これまでと同じように、要の秘密は絶対に守り通す。
それに加えて、私はグループの和が乱れないよう、陰で支える必要がありそうだった。
三者三様の表情を見ながら、私は小さく息をつく。
こういう時、過去にひばりが私に話したことを思い出すのだ。
「少女漫画みたいなシチュエーションを現実に持ち込む趣味はないけど、実際に起きたらやっぱり面白いと思うのかな」
グループ内の片想いも、グループの中に紛れ込んだ女子のふりをした男子も、いわゆる「少女漫画のような存在」になるのだろう。
少女漫画好きのひばりが気付いたらさぞ喜ぶんじゃないかと思う。残念ながら気付いていないけれど。
今も尚グループ内の秘密に気付いていない彼女の言葉に、あの時の私は一体何と返したのだろう。
いくら努力しても思い出せないけれど、今の私だったら、こう答えるだろう。
「実際に起きたら、厄介でしかないよ」と。
全部言ってしまった方が、丸く収まるんじゃないかと思うこともある。
でも、言うにはあまりにもリスクが高すぎる。
リスクを無視してまで言い出す勇気はないので、今日もきっとこのままなのだろう。
私の所属するグループに女子のふりをした男子がいて、その男子を中心にして一方通行の片思いが乱立していて。誰かの恋が成就すれば、誰かの恋が挫折してしまう事態に陥っていて。
そして別のクラスには、男子のふりをした女子もいて。おそらくそこでも一方通行の片思いがややこしいまでに絡まっていて。
少女漫画で見かける要素ばかりを煮詰めたような学校生活に浸かっていると、なんとなく胸焼けも感じてくる。
ため息を一つついて、私はぼんやりとグループの三人を眺める。
元々要とは親戚だし、この中で一番先にひばりと仲良くなったのは私で、ひばりと要を引き合わせたのも私だから、私だけが全部気付いているややこしいこの状況もある程度は仕方ないのかもしれないけれども。
――こんな気持ちになるならいっそ、気付かないまま蚊帳の外でいた方が楽なんだろうなと、私は時々思うのだ。
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