2話――入学式の四肢落とし

 誓暦41年4月半ば、春の話である。眩しすぎない穏やかな陽光がみずみずしい青空にして、年度のはじまりを告げていた。空を望めば満開の桜がそよ風に揺られ、視線を落とせば黄色いレンギョウや薄紅のツツジが道沿いを飾っている。啓蟄、春分を過ぎて清明といったところだから、蝶の姿や鳥のさえずりがもっと聞こえて良いはずだが、動物の声は散漫としている。いや、花々の賑わいから鑑みれば、静かすぎるくらいだ。代わりに遠くから聞こえてきたのが破裂音である。

 礼砲の余波で揺れる垂れ幕には『誓暦41年 狛半島第二武門用兵学校 入学式』と書かれている。新入生として奔が袖を通す慣れない制服は肋骨服で、襟元にはキラリと一つ星が白く輝いていた。士官候補生に成れたのが嬉しくって、奔は黒真珠のような瞳をらんらんとさせている。

「続きまして、機甲科140期生の操縦士による『四肢落とし』です。後ろにある演習場の方をを御覧ください」

 放送の促すままに視線をグラウンドの方にくるりと向けると、そこには二人の操縦士の他に、何倍も大きな影があった。姿は甲冑武者に似てずんぐりとしている。腰には打刀のような緩やかな反りのある鉄塊を差しており、なおのこと侍のようだ。だが、何よりも異様なのはその体躯である。長さや幅は普通自動車くらいのものだが、特筆すべきはその高さで、6メートルもあるから、どんな猛獣よりも力強く見える。

「ああ、これが──。」


 人肢戦闘車。車の字を名に冠しながら、車輪を持たず、代わりに人のような四肢を持つ。大都海だいとかい沿岸の大要塞「頭塚堡とうちょうほ」を急襲するために作られた兵器で、狛半島と大陸人民を隔てる峻峰を踏破する必要があるから、こんな見た目をしている。のっぺりとした印象を受ける砂色の塗膜の下は、厚ぼったい装甲だ。丸みを帯びているのは避弾経始を意識しているからで、当たりどころによれば戦車砲をも弾き返す。一方で、機動力も折り紙付きだ。車輪が付いてるわけではないので平地でこそ戦車に見劣りするが、両足で跳ねては腕で掴みかかることで高い踏破性能を実現している。足を滑らしても腕が支えてくれるから、山岳地や島嶼部では人肢戦闘車ほど動ける兵器は早々ない。それに要塞を叩くための兵器だから、攻撃手段も多岐にわたる。戦車相手にはロケット弾や機関砲、歩兵相手には機銃や擲弾発射機と、用途に合わせた兵装を背負いしょい込んで、状況に応じて担ぎ出す。備え付けの兵装は肩にある3連の発煙弾発射機くらいのものだが、これほどの体躯の兵器となれば、その図体こそが一番の武器である。近場に標識が立っていれば、それを引き抜いて斧代わりにすれば歩兵を薙げるし、回転翼機でも墜ちていれば、翼をもいで鉈にする。いよいよ何もなくなれば、敵の懐に突っ込んでは腕を通し、両足で踏ん張って投げ飛ばす。このようなことから、人肢戦闘車の強みを汎用性の高さと言う人間もいるが、それは料簡違いで、少しズレていると言わざるを得ない。この兵器の最大の武器は、四肢がもたらす運動性に裏打ちされる「機転」である。「どんなところでも活躍できる」なんてことはないが、知恵を絞れば窮地からもなんとか脱せる。なるほど、人という字を名に冠するに相応しい。


「本日、『四肢落とし』に出場するのは、実技実習において優秀な成績を収めた上位二名の一四〇期生です」

 『四肢落とし』は、その人肢戦闘車を一対一に模擬刀をもたせ、打ち合いをする競技である。6メートルの鋼の巨人が白兵戦をするのだから、とにかく派手で、用兵学校の入学式では花形の演目であった。もちろん、それだけが理由で恒例行事になっているわけではない。

 白兵戦は足捌きと太刀筋が物を言うから、形稽古ばかりを表面的に真似ているような、操縦技術が身についていないものはふるい落とされる。だから、操縦技術の経過を伺うのに好都合なのだ。人肢戦闘車は扱いにくいことが玉に瑕であるが、裏を返せば、扱いに長ければ百人力の一騎当千。ここで名を上げることは、操縦士にとっては出世の助けになるし、教官としてもここで才能あるものを発掘すれば、箔がつく。そういう思惑が渦を巻いて、花形を形作っている。

 尤も、そんな政治的な背景など、新入生の奔には知る由もなく、ただただ初めて見る兵器の迫力に圧倒されるばかりだ。

「すごいぞ」

「でっけぇなぁ」

「うぉおおぉ……」

 あまりの驚きに脳が正常に回らず、表層的な感想ばかりが口をついて出る、という話はよく聞くが、倍率四〇倍の試験をくぐり抜けた粒ぞろいがみんなしてそうなると、滑稽極まる。

 新入生が雁首がんくび揃えてあっけにとられているのを傍目に、操縦士たちは10メートルほどの距離を取って向かい合う人肢戦闘車に乗り込んで行った。二輌は色分けされていて、一方の肩には黃、一方には青の識別帯が引かれている。操縦席は人で言ううなじのあたりにあって、潜望鏡ペリスコープのついた展望塔キューポラから入れるようになっている。黄色に乗り込んでいった男は、パリッと糊が効いた軍服を着ていた。気品のある振る舞いから、いかにも貴族らしい風格で、それがむしろ鼻につく。一方で、青に乗っていった女は粗暴な感じだ。ハッチの開け方も荒々しく、服も手入れの行き届いた感じではない。そのくせ、肩まで伸ばした黒髪は涼しげに揺れて、碧眼を鋭く光らせるから、不釣り合いな印象がある。女の様子を見た者は、身なりと印象に乖離があるな、と口を揃えて言うだろう。例外が居るとするならば、奔ただ一人だ。不釣り合いなのは、女の対戦相手の方ではないか?あの碧眼は野心で青く燃えているのではないか?彼女は、なんとなくそう感じた。

(なんなの?あの目。)

 自分には持ち合わせない瞳に魅了され、奔はぐっと体を乗り出したくなった。人肢戦闘車が車体を震わせ、唸りを上げる。エンジンがかかる音の拍子はいななく馬の声に似ていて、その力強さは喉を鳴らす獅子のようだ。この音を聞いた新入生たちは心が揺れるのを隠せない。これに乗れるのか、という感動の声もあれば、こんな物で戦わせられるのか、とおののく声もある。奔といえば、ただただ唖然と機体を見つめ、一言「すごい」と洩らすくらいだった。

 マフラーから吹き出る排ガスが多くなっていくのに伴って、鈍く赤くまたたくのが蜘蛛のような八つ目だ。展望塔の前、車体上面ににょきと生えている凸部は、兜の鉢やしころのような姿をしていおり、砲塔のように稼働する。遠望カメラや測距儀の類が搭載されていて、まさに人の頭ような役割を果たすのだ。表面に露出した無機質な八つ目が光ってみれば、ますます威圧的である。こうなると、盛り上がりを見せていた観衆が、みんなして固唾をのむから、妙に静かになっていく。両者に問題ないことが明らかになると、放送が仕切った。

「四肢落とし──────」


「───始めっ‼」

 ピストルの号砲がなるやいなや、体を捻って飛び出したのは、青線の機体である。地面を蹴って繰り出される抜刀は、何トンもある車両のものとは思わせない豪速ぶりだ。高重心から生まれる初速を活かした、殴りつけるような斬撃を、横っ腹めがけて叩き込む。黄色もすかさず刀を抜いて、霞の構えでこれをおさえると、金属と金属がぶつかったときの、鼓膜をつんざく高音がグラウンド中に鳴り響いた。絵面は時代劇の決闘のそれだが、音となればチャンチャンバラバラとはわけが違う。鐘のように余音が残るが、それはキィイイインと高い音で、頭蓋を跳ね回って脳に刺さるような、不愉快な感覚がする。参列する教官連中も豆鉄砲を喰らったような顔をしているから、普通は「参る!」とか「覚悟!」とか、一言かけてから打ち込むのだろう。ルール違反とまでは言わないが、マナー違反ではあるはずだ。

 黄色が流すように受けたから、青は前へつんのめってしまう。青色としては、一発で仕留められなかったのは不味い。そう思うまもなく、黄色は正眼に構えてぽんぽんぽんぽん打ち返す。青色も序盤はこれを躱していたが、段々と動きが鈍くなって、次第に刀で受けざるを得なくなっていく。観衆としてはガキンガキンと金属音がうるさくてとても鑑賞どころではない。青色が受ければ受けるほど足許がずりずり滑って、踏ん張ろうとするから、土煙も凄まじい。煙の中、火花が二つの機影の間で散らされる。素人目にもその激しさがよく分かった。

 なるほど、貴族の方は悪くない腕だ。いや、何なら秀でているのかも知れない。青色の奇襲にすぐさま反応し、防御を成功させた。それにとどまらず、相手の渾身の一撃を流して隙を作り、一気に攻めに出た。身のこなしは型稽古のなぞりの域を出ないものの、その太刀筋といえば、きっさきがぶれていない。生身でやっても難しいことを、一回りも二周りも大きい体でやって見せている。剣に限って言えば熟達と評しても言い過ぎではないだろう。

 一方で、女の方はあと一歩足らず、というところか。確かに抜刀に限って言えば、あんな電光石火の技、なかなかできるものではない。しかし、一撃に賭けすぎているきらいがあって、構想がないと言うか、無鉄砲と言うか。現に、一方的な攻撃を許し、じりじりじりじり追い詰められて、後ろに下がるばかりだから、ついにはグラウンドの端を背負ってしまった。

 ……追い詰めた!

 そう言うかのように、黄色が一歩一歩近づいてくる。正眼に構え直し、すり足でゆっくりゆっくり間を詰める。女の乗る青色と言えば、気が立った犬のするように前かがみになって、「近づくな」と言う感じで下ろした刀を片手で振り回して、威嚇することしかしない。鋒が地面を掠めるから、砂を掛けているように見え、結果的に情けなく見えてくる。それでも尚、黄色の佇まいはきれいなものだ。どんどんにじり寄ってくる。

 青色、万事休す。ええい、儘よ。

 もはや女に打つ手はない。青色は一気に距離を詰めて八相に振り上げた剣を、力一杯振り下ろした。先手必勝、二の太刀要らず。そう言わんばかりの鋭い斬撃だ。しかしこれほどの大振り、名人の乗る黄色が見落とすはずがない。半身に構えて、たいをすっと躱すと、青色の渾身の一撃が地面に大きな穴ぼこをあけた。砂煙がもくもくと広がって視界を妨げるが、青色が再び懐につんのめって寄ってきたから、黄色はそのまま振り下ろすだけで確殺できる。結果的に、青色は自ら黄色の間合いに入っていったようなものだ。黄色もこの隙きを逃さない。剣を一度腰までひいて横にすると、腹にむかって突き刺した。


(見当違いだったな。)

 土煙の中から車体がへしゃげる音がして、奔は肩を落とした。あんなに野心的な瞳で私を魅了しておいて、なんだあの女は。すごかったのは最初の一瞬だけで、この有様じゃないか。いや、その一撃すらマナーを破った姑息な手段だ。砂煙があいかわらずひどいが、倒れた機体の装甲を丁重に刀で砕く影がよく見えた。腕を踏みつけては、脇の下に刃をおいて腱を切る。これを両足、両腕の四回分やる。油が漏れて、血溜まりのように広がっていく。惨めなことこの上ない姿だが、四肢の動かないだるま状態だから、移動もできない。操縦桿をガシガシ動かしても、体がくねるばかりで、痛々しい。ここまで詳細に見えるのは、土煙が晴れてきたからだ。機体の肩部の識別帯も、今やはっきり見分けられる。


 識別帯を見て驚いた。だるまの機体の隣でもたげる腕に施されているのは黄線。剣の名人が乗って、一方的に刀を打ち込んでいた黄色のが斃れている。一方で、両足で立って勝ち誇り、首をはねようと刀を持ち替える腕には青の識別帯が引かれている。あそこまで一方的に叩き込まれて、ついには演習場の端まで追い詰められていた、女の乗る青色の機体が悠然と立っている。

「どんな手品だ……⁉」

 そう思っていたのは奔だけではなく、他の新入生も、当の黄色の操縦士までもだ。ハッチから這い出て、きょろきょろと周囲を見回している。目が泳いでいるから、なにが起こったかわからないといった風だ。それを見て、奔はハッとして思わず手を打った。

「そうか。何が起きたのか、判らなかったのか!」


 人肢戦闘車は全高六メートルというその車高から、死角が多い。足許などは身を乗り出しても見えないから、その視界の多くをサブカメラを通してモニターディスプレイで把握する。こう言うと、とんでもない欠陥を持った兵器のように感じられるかも知れないが、実戦で死角を把握する必要があるときはは登山や渡河、後は白兵戦くらいのもので、そう多くはないからそれで事足りる。砂煙が立ち込めて、視界が塞がるような環境での使用はこの兵器の運用上ありえない。それを考慮するのは杞憂というものだ。

 ゆえに、狙い目でもある。視覚的な意味だけでなく、思考的にも死角なのた。大上段から振り下ろす渾身の一撃を本命と思わせておいて、あえて体を差し出して相手に打たせる。相手が剣に全体重を預けた時、砂埃でよく見えない足許に蹴りでも入れれば、相手は一気に体を崩す。間髪入れて装甲を叩き割り、車体の骨格ごとひん曲げて動けなくし、腱を切ってしまえば、文字通り「四肢落とし」の完成だ。


「この高さで体幹を崩された気分はどう?目が良く回ったかしら。もっと脳を回転させるべきだったわね。」

女はそう吐き捨てると、体を操縦席に戻して、剣を振り下ろした。黄色の八つ目兜がドサリと地面に落ちると、生徒たちの間で一気に歓声が広がった。ここで一番目を回したのはこのどんでん返しを見せられた新入生たちで、冷めぬ興奮が場を満たしていた。万網奔も、胸に興奮と期待を抱く新入生の一人に数えられる。人肢戦闘車の立ち会いを見て、戦場での獅子奮迅の活躍を想像すれば、脳裏によぎるのは英雄とあだ名された父の顔だ。


「お父さん、あなたの娘として、名前に恥じない活躍をしてみせます。」

 奔が確固たる意志を呟いた時、涼しげな春風が吹き抜けて、花びらと砂をさらっていった。

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時代の奔流、煙草の死神 @HeirMuffin

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